『藤子・F・不二雄大全集 ロケットけんちゃん 1』の巻末解説で、小学館の元編集者の立場で梶谷信男氏が書いていた*1。
講談社と小学館は社風も違いますが、編集者のタイプも違います。叩き上げのプロフェッショナルでまんが家に厳しく、あれこれ注文をつけるのが講談社の編集者。いっぽう小学館はそれまで専門のまんが編集者がおらず、学年誌や教育誌の編集部から集めてきた編集者はまんがには素人だったため、まんが家にわりあい好きなように描かせた。
まず梶谷氏は、硬すぎる学年誌とは別個の娯楽雑誌として『少年サンデー』を立ちあげることを命じられ、娯楽雑誌からめぼしい漫画家を探したという。軸にすえる漫画家として手塚治虫と横山光輝だけが決まっていた。当時に少年雑誌のトップを走っていた光文社の『少年』に連載されていた『怪人二十面相』で、梶谷氏は初めて藤子不二雄を知った。しかもトキワ荘に会いにいって、そこで初めて二人組と知ったという。リーダーだった寺田ヒロヲをはじめ、他の著名なトキワ荘メンバーの名前すら知らなかったそうだ。
編集者の出すタイトル案に「できねぇです」と富山弁で素朴に、しかしはっきり断り『パーマン』というタイトルをひねりだすような藤子・F・不二雄。ベテラン編集者のつく講談社より、マイペースに描ける小学館があっていたのではと梶谷氏はふりかえっていた。
*1:345頁。