今回はクイズ形式ではなく、通常の雰囲気のまま拡大したSP。
「傷ついた海洋生物を救え!」は、オーストラリアにある海洋テーマパークのシーワールドが動かしている海洋レスキューを取材。
イルカやジュゴンやクジラを保護していくチームだが、今回のドキュメンタリで最も多く救ったのはサメ。かつては救助対象ではなかったため経験や記録の蓄積がないので対応に困ったりしていた。
しかし漁獲資源に多くをたよる島国である日本でも、本来は同等のレスキューチームがどこかで運営されるべきだと思ったが、存在するのだろうか。たまにクジラの救出などをおこなうニュースは見たことがあるが、たしか専門的な団体ではなかったはず。
「どこからともなくやってきた」は、主に米国を舞台にして、そこにあるはずがないものが見つかった謎を解いていく。
以前に番組で紹介した花火におどろいて夜間に空中衝突して大量落下したハゴロモガラスや、大昔にハドソン川が埋め立てた時につかわなくなった輸送船を基礎にしたら911同時多発テロ後の工事で発掘された出来事など。
なかでも印象的だったのは2012年冬にカナダの西海岸にながれついたハーレーダビッドソン。時期から予想したとおり、東日本大震災でコンテナごと流されてうちあげられたものだった。ハーレーダビッドソン社が持ち主に完全修復を提案したが、かわりに寄贈されて現在は会社の博物館に展示されているという。
「古代エジプトの謎 動物の顔をした神々」は、1996年にエジプトで発見された6000年前の古代遺跡ヒエラコンポリスについて。
そこで見つかったのは百種類以上の動物の骨。脚の一部に骨折した痕があり、しかし再生もしていることから飼育されていたと考えられる。そこは当時の王が権勢を見せつけるためつくった動物園で、殴打の痕があるのは王の死にあわせて殉死させられたためらしい。
動物は多く埋葬されていた犬によって捕獲されたと考えられ、草食動物にも調理した餌があたえられていた。そしてヒエラコンポリスはほろびたが、エジプトの神々が動物の頭をもっている文化へ影響を残していると考えられる。
ちなみにメインの研究者レネ・フリードマンは女性で、名前で検索するとBS朝日でも同じような特集番組が放映されたことがあるらしい。
www.bs-asahi.co.jp
「村を襲うゾウ捕獲作戦」は、巨大なゾウが人々をおびやかすモザンビークで、ゾウと人が傷つけあわないよう捕獲する計画を紹介。
すでに先進国のようなビル街もあるほど発展したモザンビークは人口増加により居住地が広がり、動物の生活圏をおびやかしてしまっている。その反動のようにゾウがあらわれ、辺境の貧しい村々をおそうようになった。
ジンバブエの生物研究者フォレスト・ガランテによるゾウ救出計画が動き出す。まずは被害者からゾウの特徴を聞きだし、発見したゾウの糞を身体にぬりつけて臭いを消して接近。被害証言にあったのは巨大なオスのゾウだが、ドローンで発見したのは12頭もの群れだった。
多人数で複数の機材をつかった大規模チームが編成され、ゾウたちをヘリコプターで追いたて、空中から麻酔銃をうちこみ、コンテナトラックに運びいれる。最も驚異のオスのゾウは麻酔の効きが悪く、体重でトラックがパンクするほどだったが、なんとかコンテナトラックまで運ぶことができた。
ジンバブエの国立公園に運ばれてゾウたちの安全は確保された。しかしモザンビークで人と獣の生活圏がかさなる根本的な原因は解消されず、視聴者としては手放しに喜べなかった。
「インドネシアの硫黄採掘」は、ジャワ島のイジェン火山で硫黄を採掘する人々に取材する。
硫黄の煙がたちこめる火口は二重のマスクと布でおおっただけでは呼吸もまともにできない。しかもそばにある緑の火口湖は硫黄をふくんだ死の湖で、落ちて死んだ労働者は骨も残らなかったという。
労働者は、火口に埋めこまれたパイプをとおして冷えて液化した硫黄ガスが、さらに地面で固まったところを鉄棒でくだき、カゴにいれて天秤かつぎで火口のふちまで運びあげる。その重さは80kgで、1kgあたり10円で買い取られる。番組リポーターは手伝おうとしたが40kgでも30分間しか動かせなかった。
労働者の足は重量物を運びつづけて平たくなっており、足もとに岩が落ちて指をなくした者もいる。それでもインドネシアの平均収入の2倍ということで、肉体を酷使しながら人々は労働をつづける。
見ていて本当にすさまじい光景だったし、そのような過酷な労働が医薬品などで私たちの生活をささえている事実にふるえる。せめて硫黄ガスを冷やすパイプを火口の外まで延長して、人力で危険な火口を運びあげなくてもいいようにはできないものか。
「ヒマラヤの村にピアノを届ける」は、65歳の調律師デスモンド・オキーフが最後の仕事として、ヒマラヤの村ザンスカールの学校へピアノを運ぶプロジェクトを追う。
以前にNHKの「BS世界のドキュメンタリー」で『天空の村のピアノ』として放送されたことがあるらしい。
www.nhk.jp
ピアノのバランスが崩れないためには細かくわけられないので、3分割してヤクではこぶ計画。しかし手配した業者がピアノの大きさがわからなかったらしく、豚くらいの小さなヤクしか用意されていなかった。
しかたなくヤクには手荷物をのせて、ピアノは神輿にのせるようにしてシェルパが4人がかりで斜面をおろしていく。てっきり白人の偉業のように見せながらシェルパが大半の仕事をおこなうパターンになるかと思った。
しかし老齢のデスモントは高山病に苦しみながら現地にたどりつき、移送中に多くの破損があったピアノを3日かけて修復。その後も69歳になるまで徒歩でしか行けない村で1年ごとに調律をおこなったという。技術者自身がたどりつくこと自体に大きな意義があったわけだ。