法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『移動都市/モータル・エンジン』

量子兵器により旧文明が崩壊してから約千年。生き残った人々は都市そのものを地上で移動させ、エネルギーや旧文明の遺産をうばいあっていた。
ヨーロッパへ上陸して他の都市を飲みこんでいく巨大都市ロンドン。そこではじまるひとつの復讐劇から、都市間をゆるがす戦いがはじまる……


SF小説シリーズを原作とする2018年のニュージーランドと米国の合作映画。映画化に動いたピーター・ジャクソンは製作と共同脚本にまわり、視覚効果スタッフのクリスチャン・リバースが初監督をつとめた。

監督がピーター・ジャクソン作品でストーリーボードを担当してきただけあって、多種多様な移動都市の美術設計は素晴らしい。雑然としながら都市ごとの個性が感じられ、WETAらしい玩具めいた質感のVFXで全景を逃げずに見せてくれる。
ロンドンが他の都市を飲みこむ冒頭は、宮崎駿監督作品のようでもあるが、生活空間そのものが追跡劇をおこなう富野由悠季監督のTVアニメ『OVERMAN キングゲイナー』に近い。この方向性の実写化を見たいと思うほどだった。

思えば巨大構造物が車輪で地上を蹂躙する光景も、同じ富野監督のTVアニメ『機動戦士Vガンダム』が先行している。
また、ロンドンが白人中心の階層社会で少数の能力ある黒人が上層にひきあげられているだけで、対立する各都市がアジア系をふくめて多様な人種構成になっているキャスティングもSFらしいビジュアル演出だ。


しかし見つづけると、ロングショットで全体を見せるカットが多すぎて、適度なクローズアップが足りないと感じるようになった。
たとえば全景から都市の一角にいる人々の姿までワンカットで見せるようなカメラワークがほとんど存在しない。たぶんピーター・ジャクソン監督ならば全景から回りこむ時にカメラを被写体に接近させて、なめるように住民の生活を映すだろう。
都市に蹂躙された木々から鳥や獣が飛び出さないことも、世界がジオラマでしかないように感じさせる。思えば都市の巨大感のための対比表現も、都市に人間がいるわずかなカットしかない。都市が追跡劇をくりひろげる場面でふりおとされまいとしがみつく人間が映ったりしないし、飛ぶ鳥が都市とカメラの間に入ってスケール感を表現したりもしない。
巨大感や質感の表現をセットやVFXにたよっており、それでも映画が成立するくらいWETAの技術力は高いのだが、もっと架空の存在に実在感をもたらす工夫がほしい。


また、ドラマにしてもオーソドックスに楽しませてはくれるものの、約二時間の物語本編にしては描くべきことが多すぎて、ダイジェストを見ているような印象だった。
原作の良さかもしれないが、くりかえされる父と娘のディスコミュニケーションが事態を悪化させる構図など、興味深いところは少なくない。しかし救済者に搾取される逆転や都市間の戦争をめぐる思想など、たいていの論点が出てはすぐに次の展開にうつってしまう。
たとえば復讐者を追いかけるサイボーグ兵士の物語を前編にしてひとつの映画にまとめ、静止都市との本格的な戦争は後編に分割するくらいがよかったのではないだろうか。