法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『アルキメデスの大戦』

大日本帝国の誇る巨大戦艦が、米軍の航空機攻撃になすすべもなく撃沈する。その数年前、日本海軍では軍艦の更新で空母派と巨大戦艦派が争っていた。戦艦は航空機に勝てないと考えて空母派となった山本五十六は、巨大戦艦派が出した建造費の見積もりが不自然に安いことに注目。真実をあばくため数学の天才青年に接触する……


現在も連載中の三田紀房の同名漫画を原作とする、2019年の実写映画。山崎貴が単独で監督と脚本をつとめ、長大な漫画を2時間超の物語として完結させた。

大和を日本の非合理性の象徴として位置づけ、日本が対米戦争へころがり落ちていく物語。それを感動的な悲劇ではなく、軍人の政争をとおして、暗愚な喜劇として描く。
山崎貴のキャリアはこの映画をつくるために積みかさねられたものではないか。そう思えるほど過去作品を連想させる描写が多く、かつそれらの大半を上回っていた。


冒頭の戦闘からして『永遠の0*1を思わせつつ、さらに技術的に向上。ミニチュア特撮を多用した東映大作『男たちの大和/YAMATO』と比べて、大和の全景こそデジタルらしいゲームじみた質感が少しあったものの、3DCGの海面表現は段違いに良くて、航空戦力もエアブレーキの描写など日本映画として破格の説得力。
何より、日本兵が肉塊になった後、パラシュートで脱出した米兵が飛行艇で救助されて去っていく描写がいい。台詞もなくロングショットで淡々と映すことで、それを遠くから見るしかない日本兵の無力さを実感させる。人道的描写で状況の非人道性を描いた皮肉。それを自然なVFXで見せきった。


本筋に入ってからは、ややTVドラマ的な演出になっていく。しかし、きちんと著名俳優を丸刈りにさせつつ、精神論に拘泥する姿を描くことで、堅物な軍人の軽薄さを描く演出へと昇華されている。
そうして男ばかりの画面がつづいた後、芸者遊びで画面が華やかになりながら主人公の青年が登場。将校の要求を涼しい顔ではねのけることもふくめ、軍隊と対照的な存在として印象づける。
もちろんこの主人公の姿は結末との対比でもあるが、それだけにとどまらない。ここで山本五十六が芸者遊びしようとしたことが、クライマックスの議論における小さな脇道の伏線にもなっているのだ。
主人公が軍艦の図面を引いた時、船体の曲線と波の関係に注目する描写も、素人とは思えない造船観と大阪で造船会社の社長*2に認めさせるだけで終わらない。予想どおり、建造費用を論じる会議が変転する伏線にもなる。
主人公にとって日本の良き側面の象徴である造船会社の令嬢も、主人公の助けにも足かせにもなり、物語において意外なほど機能しつづけた。


また本編のVFXは冒頭と比べれば弱いが、さりげなく作品世界を支える背景としては必要充分。
主人公が米国行き船舶に乗りこむ場面や、そこで幻視する廃墟となった日本は、短いこともあって『海賊とよばれた男』と比べて無理がない。
『海賊とよばれた男』 - 法華狼の日記

これまで技術を蓄積してきた白組のVFXとは思えないほど、映像に力がない。戦前戦中戦後のさまざまな情景をすべて再現するにはリソースが足りていないように見える。

特に空襲下の日本でつかう3DCGモブが、技術力こそ低くて不自然だが、イメージシーンだから許せる良さがあった。この場面ならエキストラを合成しなくてもいい。つたない技術を昇華する手法が、全編実景として描いて不足が目立った『海賊とよばれた男』と好対照だ。
ALWAYS 三丁目の夕日』を思わせる汽車移動は車窓と外観ですませ、主張しすぎない。それでいて移動時間が主人公の障壁になりつつ移動しながら計算をつづけられる場所として、往復で登場する意義がきちんとある。


数学の天才描写は俳優の横に数式が浮かぶ古臭さだが、技術的に許せないほどではない。それを菅田将暉が演じることで『仮面ライダーW』の天才主人公フィリップを連想させる楽しさもあった。
そして机上の数式を計算するだけではなく、根拠資料をあつめたり実地計測せずにはいられない性格にすることで、副官に止められたり助けられたりしながら軍規と衝突する姿がコメディにもサスペンスにもなる。
空母派として動いているなら空母建造の資料くらいは閲覧できるはずでは、といった疑問もすぐに面子争いとして説明。軍隊の非合理性が派閥を超えてはびこっていることを印象づける。それは同時に、登場する俳優や舞台が少ない理由づけにもなり、リソース省力に役立つ。
巨大戦艦派の妨害は全体的に安易で、ともすれば幼稚だが、それがこの作品ではすべて軍隊風刺として成立する。それでいて建造費が会議の結論を決定しかけた時、説得力ある策略で議論の土台がくずされる。
この策略には山崎貴が当時まで関与していた東京五輪の膨張予算を思い出したが、監督として実写化した漫画『寄生獣』の原作者による別作品『雪の峠』も思い出した。どちらか、あるいは両方の影響下にあるのかもしれない。

そうして会議が終わった後、軍隊の非合理性が派閥を超えてはびこっていることをあらためて印象づけた物語は、そのまま終わるかと思わせて、そうではない。


最終的に海軍善玉説や山本五十六賛美から距離をとるだけでも、良くも悪くも日本映画としては悪くない。しかしこの映画は、さらに史実との齟齬を埋めていく。
まず見ながら気になっていた、そもそも対米戦争以前から日本が対外戦争をつづけていた問題が、当時なりの俯瞰的な視点で言及される。
そして、いくら巨大でも戦艦ひとつで国のゆくすえが決まる設定について、その無理を自覚的に説明しながら、物語として強烈な意味が付与される。
冒頭で史実どおりに大和が建造され、撃沈した意味。合理性を求める主人公が軍艦に美を感じる意味。
いかにも漫画的な奇人天才として描かれた主人公すら踏み台にして、この映画は日本映画史に残る狂気を誕生させた。その狂気そのものが日本国への批判となっているだけでなく、狂気を否定することも現代日本への批判になってしまう。
オチだけでいえばショートショートのようなシンプルさだが、主人公が才能を軍隊で発揮した末路として描かれるので、長編映画として提示された意味がしっかりあった。
構成する要素がすべて映画の完成度を高めるために奉仕し、監督の個性とあいまって異様な独自性をもたらしている。奇跡のような傑作というしかない。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:軍艦建造から距離をおくこととなり、商船の時代の到来を語るあたりは、『海賊とよばれた男』を思わせる。