法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

人工知能学会誌の表紙をめぐる件と、警察が教育コンテンツにVTuberを起用した件が、年月をへて当時の文脈が忘れられているので反論をメモしておく

 下記エントリで言及した最近の出来事をきっかけとして、「フェミニスト」と表現にまつわる過去の事例が話題にされているが、さまざまな誤認が見受けられる。
フェミニストに性的嗜好を攻撃されたら攻撃していないフェミニストに「逆襲」するのが「オタク」であるかのように哲学者の東浩紀氏が主張 - 法華狼の日記


 まず学会誌の表紙が批判された経緯について、二重三重に間違っているのが「エキサイ@excite6636」氏の説明だ。


なぜ、この程度での批判でこんなになるかというと、AIの雑誌の表紙の件で、企業が取り下げてしまった事件があったから。最初はこんな程度のもの、だったのに実際に取り下げられたことで一気に危機感上がって、以降は批判しまくるようになってる

 フリーライターの荒井禎雄氏は当時のTogetterを紹介しているが、当事者ではなく周囲の反発する主張をあつめているだけ。


そもそも、フェミ活動家どもによる2次元絵燃やしの元祖って人工知能学会の表紙なんだけど
https://togetter.com/li/1434382

みんなも覚えておいてね、フェミ活動家らが徒党を組んで炎上させ、いまの萌え絵狩りに繋がるムーブメントに発展した元祖の絵は "これ" だからね

 当時のなりゆきは、「ぺんでゅらむ@大阪@pendulumknock」氏の要約と、id:rna氏の補足でだいたいの経緯がわかる。


「最初に問題視したのは人工知能学会の会員でフェミニストではない」「問題にされたのは女性表層と家事の結びつけで性的表現ではない」「一連のシリーズは騒動と同時進行で発表されたので幾らでも後付け可能」「学会誌側は特集を早期に組んでて明らかに騒動を認識している」
雑誌の編集部は大事な表紙を人気投票で選ぶような無責任なことをしてはいけない、というのが一番の教訓だと自分は思ってますね


「後付け可能」ていうか、炎上を受けて反省して後付けしたんですよね。学会誌の編集委員だった坊農真弓さんがシリーズ完結後に同誌に書いていました。
https://jstage.jst.go.jp/article/jjsai/30/1/30_34/_article/-char/ja/
そういえば炎上については『人工知能』2014 年 29 巻 2 号に小特集があったんだ。古い号なので無料で見れます。当時どういう批判があったのかはこれ見たらわかります。
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsai/29/2/_contents/-char/ja


 ご当地VTuverが警察に起用された件では、「道切タクサ@eraki_aso」氏の説明が事実誤認の拡散と定着をうかがわせるし、逆説的に当時の批判に一定の説得力をあたえてしまっている。


百歩譲って宇崎ちゃんは癖が強かったにせよ、松戸市ご当地vtuberの戸定梨香については流石に言いがかりじゃ
普段の服装だってヘソだしミニスカ程度でそこまで過激ってわけでも無かろに、問題になったコラボビジュなんか警察官の格好なんじゃ
臍や脇を出したミニスカート姿の少女婦警の服を着て直立して敬礼する少女
しかもこれは市会議員がいち企業に圧かけてそれが通ってしまったというよくない前例を作ってしまったんじゃ
なのにそれには毛の先ほども触れんで絵の方ばっかり叩くのはどうにもつごうがええのうと思ってしまうんじゃ

 当時の報道を確認すれば実際に抗議があったのは普段のデザインであって、抗議の対象も警察行政だったことがわかる。企業への圧力ではないので、企業が同じ映像を再公開した時には抗議はおこなわれなかった。
VTuberの交通安全動画に『女児を性的対象にしている』と抗議、フェミニスト議連が記者会見。波紋広がる【UPDATE】 | ハフポスト アートとカルチャー

再公開された当該啓発映像のキャプチャ画像
議論の対象となっている、交通安全PR動画VTuberプロダクション「VASE」のYouTubeチャンネルより

千葉県警は啓発動画について、小中高生を対象にした安全教育の一環であると説明。コロナ禍で対面教育ができない中で実施したものだとし、「今後の広報活動の参考とさせていただきます」などと回答した。

 一般的に能動的に視聴するVTuberコンテンツと違い、小中高生を対象として強制的に視聴させる教育コンテンツという違いがあった。服飾デザイン等、通常とは表現を変えることが正当性はさておき一般的な状況だった。
 企業は間接的な圧力を受けた立場といえなくもないが、市議が警察に意見をすることもまた民主主義のひとつではあるし*1、ちいさな議連に警察へ圧力をかけるほどの権力は一般的にはない。


 もちろん表現を批判することも、批判によって表現がとりさげられることも、それぞれ一般的には表現の自由の範疇だ。
 たとえば最近でも日本史を題材にしたフィクションのゲームに対して批判が集中しているが、批判自体や署名活動も自由だろう。批判や署名に問題があるのは、根拠の多くが事実誤認にもとづいているためだ。
ゲーム『アサシンクリード シャドウズ』が日本を舞台に外国出身の黒人男性を主人公にした差別性は、漫画『ゴールデンカムイ』が北海道を舞台に和人男性を主人公にしたくらいに差別的な可能性はあるが…… - 法華狼の日記

*1:これは皮肉として書いているが、つたえたい相手にはつたわらないだろうとも思っている。