法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

まさに『のび太のアニマル惑星』こそ、維新的な利己主義の追及を批判する物語だよ!

三角関数より金融経済を教育するべきだと主張して、先日から話題になっている衆院議員の藤巻健太氏。


三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」
金融教育をテーマに、財務金融委員会で議論させて頂きました。

ツイッターでも同様の主張をくりかえすなかで、今どき珍しいくらい「神の見えざる手」を絶対視するツイートをおこなった。


個々人が最適な経済行動をとれば、結果として社会全体の利益も最大化される。
これがアダムスミスが国富論の中で唱える、神の見えざる手だ。
多くの人が金融経済の知識を持ち、自らの利潤を追求した経済行動をとれば、結果として社会全体の利潤も大きくなる。

これに対して「JE6WHX@Je6Whx」氏が「アニマル・スピリットについてはどうお考えで?」*1と質問したところ、「のび太」の登場する物語だと藤巻氏は返答した。


見ました。
のび太が動物の星に迷い込んでしまう話しですよね。

どこまで本気なのか困惑するしかないし、たとえ冗談のつもりであっても滑っている。


該当しそうな『ドラえもん』のエピソードというと、映画およびその原作として描かれた『大長編ドラえもん アニマル惑星』がそれにあたる。

映画公開および単行本出版は1990年のこと。当時にもりあがっていた環境問題をテーマにした作品のひとつで、後年に舞台化もされた。


物語の発端で、のび太が夢うつつに違う星へ迷いこむ。そこは人間のように進化した動物たちがくらす、進んだ文明と温和な文化の惑星だった。
しかしその「理想郷」がつくられたのは、かつて人類が居住する惑星を滅亡させてしままったため。そして生き残っていた人間が動物たちの惑星に目をつけ、ふたたび収奪の魔の手をのばす*2

つまりこれは人類や技術と自然の対立だけではなく、侵略と抵抗を描いた物語でもある。自らの利潤を追求することを手放しに肯定するような解釈はなりたたない。


大長編ドラえもん』シリーズは、漫画連載と同時並行で制作されるアニメ映画は原作と終盤の描写が微妙に異なることが通例だ。
今作もアニメ映画では、平和な社会で戦いについて考えることができない動物たちに対して、ドラえもんが作戦を立案して戦うための道具も提供する。
一方で漫画版は、やはり会議こそまとまらなかったが、動物の町長が夜をてっして祈るように考えつづけ、ドラえもんの提供した道具から作戦を立案する*3

もちろん本番の戦闘ではのび太たち子供も参加するが、大人側として作戦を聞くのは警官とドラえもんだけという構図が、作者の倫理観の線引きを感じさせる*4

上記のように戦闘がはじまる直前のおだやかな時間を描いた後も、原作漫画はアニメ映画より重層的なゲリラ戦術を描いていく。抵抗する側にこそ主体があることを頁へ刻みつけるように。
超常技術をもった主人公側による一方的な助力ではなく、対等な存在への協力ということが印象的な一幕だった*5


そして終盤の展開にかかわるので説明はさけるが、ここまで利己的な収奪への抵抗を描いた物語は、さらなる種族を超えた連帯と信頼へと発展していく。
一方で、最初に引用した人間組織の演説で「なまいきにも」とあるように、侵略者こそが不遇感をもって被害者意識にとらわれている描写にも味わいがある。
一過性の流行として環境問題を描いた作品と今では解釈されがちだが、さまざまな視点から楽しむことが可能で、むしろ今こそ読み返してほしい作品のひとつだ。

*1:kotobank.jp

*2:160頁。

*3:162頁。

*4:163頁。

*5:なお、敵の正体を印象づける鮮烈なオリジナル描写や、兵器デザインをつかった敵技術レベルの表現など、アニメ映画版も独自にすぐれた部分は多い。以前に戦争映画ベストテンやSF映画ベストテンに私選したこともある。 hokke-ookami.hatenablog.com hokke-ookami.hatenablog.com