法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

SF映画ベストテン〜アニメ限定〜

例によってアニメしばりで参加。
2013-10-31
もともとSFジャンルに位置づけうるアニメ映画は数多く、しぼることが難しい。かといってSFでないと語りえない物語や、SF観に影響を与えられた作品を選ぶとなると、それはそれで難しかった。


1.『ルパン三世 ルパンVS複製人間』(1978年、吉川惣司監督)ルパンが処刑された。しかし引退した銭形刑事の前に、無事な姿のルパンがあらわれる。やがて永遠の命にまつわるアイテムを争奪しながら、ルパンと仲間たちは大富豪ハワード・ロックウッドの正体へと近づいていく……
毎年のように映画か長編TVSPがつくられることになるシリーズの、記念すべき第一作目。クローンをくりかえすと遺伝子が劣化していくというSF考証を基盤としつつ、あくまでこぎみよくトリッキーな活劇が展開される。洒脱さをねらって外していないルパン長編は珍しい。
そして敵のトリックを暴き、ハッタリのネタが割れたかと思った瞬間、とんでもない情景が展開される。この飛躍の大きさこそSFの魅力だ。


2.『交響詩篇エウレカセブン : ポケットが虹でいっぱい』(2009年、京田知己監督)別宇宙から侵攻してきた生命体イマージュに対し、人類が戦争をはじめてから半世紀。未来をせおわされた何組もの少年少女が、それぞれ異なる夢をいだきながら、先導し、利用し、対立し、離別する……
夢を見ること。こことは違う世界へ逃れたいという思いに焦がれること。大切な人のために全てをささげること。その痛々しい旅路を描いた物語。
TVアニメ作品の劇場版らしく多くの作画を流用しつつ、別宇宙という設定を使って、事実上の後日談として物語が展開。サブカルチャー引用を抑制し、世界との距離感を整え、ジュブナイルSFとして完成度を増した。
共同体に苦しめられる個人を描きつつ、共同体に愛着を持つことは否定していないところが、あらためて誠実な作品だったと思う。大人の責任で病理にむしばまれた子供が、それでも生きつづけることを選択した決意も、普遍的に訴えかけてくる。そして、次世代に呪いは受けつがれないという設定は、鑑賞した当時は違和感をもったが*1、現在になってみると必要な描写だったのかもしれない*2


3.『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年、押井守監督)巨大人型機械レイバーの活躍で、大地震後の復興をつづける東京。しかしレイバーが謎の暴走を起こすようになり、その背後に天才的なプログラマーがいたことが明らかになる。暴走を止める手段をさがす警官と、プログラマーを追う刑事のドラマが同時進行し、やがて成長する都市の虚無性があらわになっていく……
空虚な都市を舞台にして虚構の戦闘に興じた二作目の評価も高いだろうが、やはり未来技術と物語が密接にからまりあい、SF的なテーマを映像として昇華できているのは一作目だろう。
聖書から多くのモチーフを引用し、巨大ロボットを偶像として中心に置きつつ、リアルに考証された電脳犯罪サスペンスで物語を進め、都市の空虚さを二作目よりも鮮烈に描き出した*3
どこを切っても、日本のアニメ作品でしか作ることができず、だからこそ意外なほど追随作品が見当たらない。そこが他の押井守監督映画と異なるところ。


4.『鉄人28号 白昼の残月』(2007年、今川泰宏監督)金田正太郎より上手に鉄人をあやつってみせた復員兵の青年。彼はショウタロウと名乗り、正太郎の義兄としてふるまいつつ、怪しい動きを見せる。しばらくして残月と名乗る復員姿の人物が暗躍をはじめ、東京のあちこちから謎の不発弾が掘り起こされる……
2004年版TVアニメのスタッフによる、アニメオリジナルストーリーの劇場版。人物関係が大きく異なるものの、TVアニメの描写を前提として物語が進行する。序盤で作画が力つきたTVアニメと違って、しっかりロボットバトルや人間のアクションが描かれた。
不発弾の正体は廃墟弾。鉄人と同じく正太郎の父親が開発したもので、巨大な破壊力を持ちながら人間や動物は傷つかない。毒ガス弾*4中性子爆弾*5の性能を反転したかのような、寓話的なガジェットだ。それによる都市の破壊は、復興と建設に狂奔する東京の姿とも重なりあう。
今川監督らしい社会への問題意識が前面に出つつ、映像的なトリックや二転三転する物語展開が楽しめ、空想科学探偵映画としての娯楽性も充分。高度経済成長期の破壊と再生の痛み、そしてその影に隠された戦争の傷跡を、廃墟弾という形で鉄人が掘り起こす。寓話的な時代SFとして完成していた。


5.『映画ドラえもん のび太とアニマル惑星』(1990年、芝山努監督)擬人化された動物が出てくる、メルヘンのような夢を見た野比のび太。動物たちの危機を救ったり、意図せず地獄へ迷いこんだりしながら、楽園のような世界の人工性があらわになっていく……
このシリーズから選ぶのは本当に悩まされる。いっそベストテン全てを選び出そうかと思ったほどだ。一見するとファンタジーな作品でも実際は先端的なSFエッセンスが入っている。むしろ評価が低い後年の作品ほど原作者のSF趣味が漏れ出ているため、いっそう選ぶのが難しい。そこで中期の、作画が安定しつつ構成もしっかりしているこの作品に決めた。
ピンクのもやをくぐると動物世界へ行けるという発端からして、メルヘン特有の不穏さがただよっている。そして地球環境保護をテーマにしながらも自然賛歌では終わらず、楽園が高度な科学技術で成立していると明かされ*6、人類文明の原罪へと物語が展開。さすがに未来へ希望を持てる結末で終わるが、ちょっぴりの皮肉がアクセントとして残った。
少年たちの群像劇として無駄なくキャラクターを使い切った脚本構成もたくみ。終盤の戦闘もテンポがいい*7。敵兵器の急造品らしいデザインや、敵首領の素顔は、アニメオリジナルの見どころ。


6.『映画ドラミちゃん ミニドラSOS!!!』(1989年、森脇真琴監督)野比のび太が勝手に注文した小型のドラえもん、ミニドラ。しかし宅配のミスで、のび太の息子ノビスケへ届けられてしまう。中途半端な能力のミニドラと、それを回収しようと追いかけるドラミ、もっと遊びたいため逃げ出すノビスケたち。少し先の未来を舞台とした、小さな冒険がはじまる……
併映中編映画だが、それゆえ無駄のない洗練された物語構成が楽しめる。むしろ『ドラえもん』の映画は、しばしば併映作品こそ娯楽として純度が高かった。原作で固定された人間関係にしばられずにすみ*8、映像に映えるギミックを自由に設定できて、才気あふれる若手監督が腕をふるえるためだ。
近未来SFは暗くなりがちなところ、あくまで前向きにポップに、それでいて生活感ある世界を描いたところが特色。原作主人公の子供世代を主人公にしたことで、逆説的に親世代の個性や人格もしっかり描かれているところも面白い。ちゃんとクライマックスにサスペンスも用意され、きちんと伏線のはられたSF設定で切り抜ける。


7.『AKIRA』(1988年、大友克洋監督)核戦争後の東京を舞台にして、超常能力を獲得しかけている新世代と、秩序を守ろうとする大人たち、そして身近な存在とともに進もうとする若者を描いた群像劇。つまらない意地のはりあいが、やがて都市をまきこむカタストロフを展開させる……
ひとつのジャンルにとどまらない物量がこめられているため、過去のベストテン企画で選んだことはなく、ホラー映画ベストテンで番外として言及したのみ。しかしSFとは絵であるという野田昌宏の定義にしたがうならば、この作品がSFでないはずがない。
オリジナリティに満ちているようでいて、キャラクターやネーミングで『鉄人28号』をパロディしているし、バンドデシネ作家メビウスの影響も色濃い。しかし、新旧ごたまぜなイメージの奔流を圧倒的な作画で表現しきって、ひとつの娯楽作品としてまとまっている。大友克洋監督がマイナーからメジャーへ移行する瞬間だからこそ、ふたつの作家性の高みが同時に味わえた。


8.『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年、山賀博之監督)戦闘機に乗れないからと試験段階の宇宙船へ乗る道へ進んだ青年シロツグと、ままならない生活に疲れて神にすがるしかない少女リイクニ。こことは異なる歴史の宇宙開発競争が、大国の思惑をはらんで加速していく……
日本のアニメーションが到達したリアリティの極北のひとつ。架空の物理現象を導入することなく、どこまでも緻密なディテールで異文明の宇宙開発が描かれる。クライマックスのロケット打ち上げシークエンスは何度となく見返した。
もちろん、当時の大阪の若者たちが長編アニメ映画をつくりあげた制作背景と、充分な支援がなされないまま綱渡りのように開発を続ける劇中の宇宙船が重なりあう面白味もある。そして制作スタッフは、EDクレジットの主人公のように、たしかに日本アニメ史に残った。


9.『劇場版デジモンアドベンチャー』(1999年、細田守監督)マンションの一角に幼い兄妹が住んでいた。パソコンからあらわれた不思議な生物デジモンに対して、妹は素直に仲良くなり、兄は怪しく思って距離をとる。すぐにデジモンは進化して知恵をつけたかと思えば、巨大化して手におえなくなる。やがて第二のデジモンがあらわれ、戦いが始まる中で、兄と妹のデジモンへの距離感が変わっていく……
後に『時をかける少女』で再ブレイクする細田守監督の初監督作品。『ミツバチのささやき』からモチーフを引用した、子供たちだけの視線で描かれた怪獣映画としての完成度の高さ。怪獣の背景設定は不明瞭だが、奇妙な生物があらわれた時に人間はどのような感情をいだくかという意味で、SF映画になっていると判断した。
ISDN時代のインターネットを舞台とした続編『ぼくらのウォーゲーム!』の評価ももちろん高く、過去のベストテン企画の続編部門で選んだこともある。しかし今回は、わずか20分の尺でファーストコンタクト物として完成された一作目を選んだ。


10.『マインド・ゲーム』(2004年、湯浅政明監督)初恋の女性と再会した主人公は、ヤクザの恫喝にまきこまれてしまい、尻の穴へ銃弾を撃ちこまれて死んでしまう。しかし神様に哀れまれた主人公は、やりなおしの機会を与えてもらい、少し時間を巻き戻して奇跡のような冒険活劇を始める……
人生の選択肢をやりなおすリプレイ物と、一時期に流行したインナースペースSFの融合といったところか。いってみれば、単純すぎる願望充足として否定されがちな「神様チート転生」と同じような発端ではある。しかし日本の娯楽アニメがとりあつかわないようなキャラクターを多くとりいれながら、ちゃんと娯楽作品としてまとまっており、マイノリティの描写にもほとんど違和感がない。
さらに実写素材と手描き作画と3DCGが同居しつつ、高度なアニメーション映像として完成された画面がすばらしい。次から次へと新しいアイデアが展開される映像は、見ているだけでも楽しくて飽きない。


基本的に、どこかにSFでしかありえないハッタリに満ちた場面がある作品を選んだ。この中ではさほど作画が良いわけではない『複製人間』*9をトップに選んだのも、そのセンスオブワンダーがクライマックスの1カットに集約されていから。
選んだリストをながめてみると、きちんと考証された共同体が物語の強固な舞台となりつつ、その共同体に違和感や疎外感を持っている個人の物語が多い。自認していたよりも趣味が偏っていたことを自覚させられた。
なお、やはり再編集映画を入れるのはためらわれたので、『トップをねらえ!&トップをねらえ2! 合体劇場版!!』や『イヴの時間 劇場版』は除くことにした。念のため、『交響詩篇エウレカセブン』はTVアニメ版の作画ソースを利用しつつも、細かくコラージュして全く新しい物語を展開したので、再編集ではない。
どこかに宮崎駿監督作品も入れたかったが、代表作の『風の谷のナウシカ』は漫画版が圧倒的すぎて映画の印象が相対的に落ちてしまい、残りの作品はSF色が弱いのでためらわれた。


以下、番外もいくつか*10
ルパン三世 DEAD OR ALIVE』(1996年、モンキー・パンチ監督)原作者が監督をつとめたことで、比較的に原作の印象に近い作品となった。軍事独裁国家における革命劇が、ナノマシンを根幹にとりこんだ先駆的な設定で、娯楽色たっぷりに展開される。同じシリーズから2作品を選ぶのも良くないと思ったので番外としたが、SFアニメ映画として一見の価値はある。アニメならではのアクションも楽しめるし、二転三転する展開もトリッキーで飽きさせない。
『劇場版 機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazer-』(2010年、水島精二SFのエッセンスを多くとりいれていた『ガンダム』シリーズだが、あくまでビジュアルの引用元として、そして舞台となる戦場の背景に使われただけだった。超常能力から人類の進化へつなげる描写もあったが、主軸は宇宙を舞台とした架空戦記であるため、結末を放棄したかのように感じられた。
しかしこの作品は、冒頭から人間が金属化するというショッキングな描写から、全く異なる知的生物とのファーストコンタクトを描き、TVアニメでは空虚な理想にとどまった「対話」の行きつく果てを見せてくれた。姫なのに貧乏くさい歳上のヒロインと、巨大ロボットになりたいという主人公の関係を、極端なかたちでリフレインした結末はSFそのもの。
ただSF性が増したかわりに、せっかく制作リソースを投入した華やかな戦闘が物語の背景でしかなくなり、中だるみすら感じさせたのが難だった。そのためベストテンには選ばなかった。
『WALL-E』(2008年、アンドリュー・スタントン監督)ピクサーの3DCG映画の常として、主人公の住む舞台を魅力的に見せて、たいせつな人との出会いと別れを描くまでは完璧。説明台詞をほとんど使わず、機能の異なるロボットとの交流を映像だけで見せていく。
過去の映像ではリアルな頭身の人間を出しながら、中盤で登場したのはピクサーらしいデフォルメされたキャラクター。『映画ドラえもん のび太とブリキの迷宮』を超えているわけでもなく、正直わざわざ出すほどの魅力はなかった。ただ、歴代艦長の進化でコミカルに理由を見せることで、SFギャグとして楽しませてくれた。
しかし残念なことに、ピクサーアニメの常として、倒すべき敵がつまらなすぎる。前半が素晴らしいほど、全体の印象が尻すぼみになる。しょっぱい悪役を無理やり登場させるくらいなら、帰還を忘れた人類が主人公ロボットに感化されるだけで良かったよ。
『映画ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』(2004年、芝山努監督)原作者が亡くなられた後にオリジナルストーリーで展開されつづけた映画シリーズの、スタッフリニューアル前の最終作品。いかにも幼稚そうなタイトルにたかをくくると騙される、かなり完成度の高い時間移動SFとして見どころがあった。スタジオジブリのアニメーターが参加していたり、クライマックスの活劇が激しかったり、リニューアル後の映画シリーズへの準備段階といったおもむきもある。
映画クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望』(1995年、本郷みつる監督)デフォルメされつつも娯楽活劇として完成度の高い時代劇パートが、タイムスリップSFパートにはさまれている。目にも止まらぬ速さで攻撃するため、ただ手をあげただけで勝手に敵が倒れたかのようなアクションなど、SFマインドがアニメとしての面白さを支えている場面が多い。
直球表題ロボットアニメ』(2013年、石舘光太郎監督)映画どころかOVAですらない。しかし今年で最もSFマインドを刺激された作品ではあった。笑いという概念そのものを知らないロボットたちのドラマという体裁で、アドリブ全開のシュールギャグを展開。しかし全てのギャグに見えた細かい描写が、最終回で一挙に回収され、思弁SFとしての高みに達して見せた。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20100223/1266941699

*2:ここは難しい問題なので、フィクションと理解しつつもうまい表現が難しい。

*3:押井監督自身も、一作目ではまだしも映す価値が残っていた東京の風景が、二作目ではほとんど失われてしまっていて、破壊したくなるほどの対象が橋梁しか見当たらなかったと語っている。

*4:実際に日本軍は大久野島で開発し、一部が中国戦線に投入されたことで知られている。そして戦後、不発弾の汚染や徴用者の障害という問題が尾を引いている。

*5:強力な放射線で生物だけを殺しつつ、物体は破壊しない核爆弾。また、劇中で廃墟弾が海で処理される描写は、核実験の記録映像をアニメに置きかえたものだ。

*6:たとえばプランクトン培養による人工食料が登場するのだが、なにげなく肉食動物と草食動物が社会に共存できることの背景説明にもなっている。

*7:一方、原作漫画ではゲリラ戦らしく頭脳的に戦う描写が多く、シリアスなムードがある。戦略も動物の村長が担当し、ドラえもんたちは補佐的な存在となり、植民地解放劇という側面が強調されている。

*8:ただし原作者の藤子・F・不二雄も脚本会議に参加しており、きちんと意見ものべていた。

*9:芝山努が担当したレイアウトのおかげで、構図や奥行きは完璧だが。

*10:他に『攻殻機動隊』『メトロポリス』『いばらの王』も考慮に入れていたが、きりがないので流石にやめることにした。