法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『世界まる見え!テレビ特捜部』ハラハラも止まらない あんたギリギリだねSP

2時間SP。今回は後述のように都市伝説的なコピペの後日談が興味深かった。


カナダからは海洋動物を保護する救護センターとドクターたちを紹介。荷造り紐が首にかかったトドなど、人間の環境破壊の影響もそこかしこに描かれる。保護した動物が野生にもどれるよう、あえて人間になれさせないため機械的な道具で給餌する光景が珍しくて興味深かった。


バンジージャンプを世界中に広めた人物として、ニュージーランドのA.J.ハケットという男を紹介。
友人たちとともにバヌアツの伝統儀式をパラシュートのハーネスで再現。何度も飛びこんで興奮をおぼえながら、より恐怖と安全を求めて改良していったという。スキー競技のため外国へ遠征に行ったりしていたので、たぶんプロの運動競技者でもあったのだろう。
もちろん世界を変革させる人間はどこか規格外なもので、国内外で勝手にバンジージャンプしては警察に追われていたという。エッフェル塔に忍びこんでのジャンプは成功したが、自由の女神像のたいまつからジャンプするのは失敗。それでも世界的にひとつのスポーツを広めて観光などにも寄与したことで、ニュージーランドでは勲章を受けたとか。
KINENOTEを見ると、『ラスト・パラダイス アドレナリンを追い続けた ニュージーランド冒険者たち』というドキュメンタリでも登場していると解説されているが、映像ソースが同じかはよくわからなかった。
www.kinenote.com


1964年の米国で、チンパンジーを赤ん坊の時から人間らしく育てれば人間のように成長するのではないかという実験があり、その後日談を紹介。
実験そのものは失敗したという豆知識は記憶していたが、心理学者に世話係として雇用された類人猿研究者のジャニス・カーターがチンパンジーを野生にもどすため無人島で生活していたことはまったく知らなかった。
検索してみると、ルーシーが実験に失敗した後で野生に帰されたことは「ルーシーの末路」というコピペとして長らく流布されていたらしい。
後味の悪い話 その26

119 :本当にあった怖い名無し:2005/05/06(金) 15:41:38 id:G7UFJrw50
手話を覚えた(っていうか覚えさせられた)チンパンジー、ルーシーの末路の話。どこかのブログからのコピペ


ルーシーはといえば、それまで頭に詰め込まれた単語をすっかり抜き取られ、ジャングルに解き放たれた。
チンパンジーの住むべき場所はそこだと、飼い主のジャニス・カーターは考えたのである。
しかし、ルーシーの意見は違っていた。十一年間も人間社会で生活してきた彼女にとって、
眠るならいつものマットレスの上がいいし、飲み水はボトル入りのミネラルウォーターと決まっていた。
寝る前にマガジンラックの雑誌をぱらぱらめくるのも、ルーシーの楽しみのひとつだった。

そんな彼女が唯一嫌いなものといったら、キャンプしかない。
このため、ジャングルに連れてこられても、えさを一切調達しようとせず、
「エサ。ハヤク。ルーシーニチョウダイ。モット、エサ。ハヤク、ハヤク」とせがんだ。
ジャニスは甘やかされたやんちゃ娘をほとんどけるようにして森に追いやったうえに、
生きたアリの食べ方まで実演して見せた。

この話でとりわけ痛ましいのは、言葉を奪われてしまったことである。
ルーシーがいくら質問してもだれも返事をせず、話をしても知らんぷりだった。
二年後、昔なじみがアフリカのルーシーのもとを訪ねると、彼女は囲いの端に駆け寄り、手話で、
「オネガイ、タスケテ、ココカラダシテ」と救いを求めた。もちろん、それはむなしい願いでしかなかった。


嫌な話。暗澹たる気持ちになる。

登場人物名で検索すると、複数のまとめブログが引っかかる。上記のように2005年くらいから流布されていた逸話で、それが2ちゃんねるにもちこまれた。そして小人プロレス禁止デマのように、善意が裏目になるパターンの後味の悪い話としてまとめサイトで拡散されていった。
washburn1975.hatenablog.com
しかしHBOドキュメンタリ『ルーシー・ザ・ヒューマンチンパンジー』で描かれた事実はまったく違っていた。実験に失敗した心理学者夫妻とともにルーシーを野生へもどしにいった女性ジャニスだが、野生で生活できそうにないルーシーを見かねて現地にとどまったという。
他にも野生に返すためのチンパンジーがもちこまれたが、ルーシーより先に野生にもどっていった。1年半たってジャニスは施設を出なければならなくなったが、野生にもどれないルーシーのため無人島へ移ることを決意。1年以上かけてルーシーが自然の植物をとれるようになるなか、ジャニスは次々におくりこまれる多数のチンパンジーを野生にもどす助けをしていたため、いつのまにか群れのリーダー的な存在に。
しかしリーダーになったがゆえ、新たなリーダーになろうとするチンパンジーが戦いをいどんできて、ジャニスは6年以上も生活した無人島を去らざるをえなくなった。そして1年後に確認しにいくと、ルーシーはジャニスに愛情を示したが玩具への興味はなくし、群れにもどっていったという……
野生にもどす活動を現在もつづけていることもふくめて、女性研究者ジャニスの物語として、後味の悪さはどこにもない。傲慢な考えから野生に介入する研究の愚かしさは痛感されるが、それもふくめてドラマチックで教訓的だ。



最後もニュージーランドから。平均年齢83歳のヒップホップチームが世界大会に招聘されるまでを描くドキュメンタリ。

東日本大震災の少し前、クライストチャーチ市で発生した大震災によりワイヘキ島へ移住した女性ビリー・ジョーダン。高齢者介護施設を運営してコミュニティに受けいれられるなかで、高齢者を鼓舞しかえそうと思いつく。
ヒップホップ経験がないビリーだが、ふりつけを考えて多くの高齢者に教えたり、ニュージーランドのトップチームをまねいて教えてもらったり。高齢者側にも元オペラ歌手など実力を秘めた人々がいる。
そしてニュージーランドの予選大会で好評をはくし、ラスベガスの世界大会に正式に呼ばれて大観衆を満足させる。最初から競技での勝ちあがりではなく注目されてのスペシャルゲストを目指していたらしいが、それが成功したのも本気でヒップホップにとりくんでいたがゆえだろう。