公文書にもとづくメディア研究で知られる早稲田名誉教授の有馬哲夫氏は、近年になって極端に保守的な歴史観をあらわにしている。
そして同じく真面目な経済学者と思われていたJ・マーク・ラムザイヤー氏による慰安所制度論文*1を擁護する数少ないひとりとして*2、外国人研究者の日本語能力を低評価していた。
ハーバード大学も入江昭教授がいることはよかったのですが、ゴードンはねー。読み比べてみてくださいスケールが違うから。ゴードンの書いているものは、アメリカの学部生のレポートを思わせる。おタッキーな趣味でかいている。もっと日本語勉強すべき。
— 有馬哲夫 (@TetsuoArima) 2021年4月13日
ハーバード大学も入江昭教授がいることはよかったのですが、ゴードンはねー。読み比べてみてくださいスケールが違うから。ゴードンの書いているものは、アメリカの学部生のレポートを思わせる。おタッキーな趣味でかいている。もっと日本語勉強すべき。
「オタク」という表現ならば自嘲的な自称としても揶揄的な他称としても見かけるが、「オタッキー」という表現はあえて死語をつかうライトなやりとりくらいでしか見ない*3。
おそらく有馬氏は、偏執的な態度への揶揄として「おタッキー」を選択している。サブカルチャー愛好への蔑視や、社会になじめないという偏見*4にもとづく蔑視ではなさそうだ。
もっとも「趣味」という表現から、偏執的であっても体系的ではないという意図をこめた批判なのかもしれない。ディテールにこだわりコンテクストを軽視しがちなことは「オタク」の独自研究でありがちな欠点とは自戒をこめて思う。
しかし誤りの指摘に対して、それが細かいディテールにすぎないと反論するだけでは、無視していい理由にはならない。たとえばコンテクストにもとづいて解釈することでディテールの問題でもないことを明らかにするような手続きが必要だ。
思えば数年前も日本軍慰安所制度の研究において、取材や引用の甘さを批判する左翼を「オタク」と揶揄する保守派の雑誌記事が存在していた。
「『帝国の慰安婦』著者批判に熱中する日本の正義オタク」という記事によると、「引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応」だという - 法華狼の日記
「左」や「右」という立場に依らず、新しい視点で問題を考えようとする朴氏の姿勢は、真摯なものとして十分に評価できるだろう。もちろん批判を加えるのは自由だが、引用や取材の甘さを持ち出して糾弾するのは、あまりにオタクな対応でしかない。自ら考えることはせず、最初から「糾弾する」という答えだけが用意されている。
このくだりには驚かされた。
どれほど妥当な研究であったとしても、「引用や取材の甘さ」があれば批判されるのは当然だ。そうして指摘された問題点に反論し、あるいは修正することで研究は洗練されていく。なのに批判の妥当性を個別に検証せず、無根拠に「糾弾」と反駁してしまうのは、それこそ答えを用意した態度とはいえないか。
研究者と研究者の争いにおいて、追及する側の偏執的な態度を指摘しても、それは追及される側の擁護にはなるまい。むしろ追及される側の甘さをきわだたせかねない。
ならば追及する側としては、いっそ「オタク」という他称を誇ってもいいかもしれない。もちろん誇らずに怒ってもいいが。
*1:後述する別研究者と同じく引用や取材の甘さがよく指摘されているが、ゲーム理論を机上の空論のように当てはめた結果、むしろ被害規模が広がりかねないのではないかという疑問をおぼえている。 hokke-ookami.hatenablog.com
*2:ラムザイヤー氏は注目された当初から不適切な引用として国内外の著名な経済学者からも批判され、さらに異なるテーマの研究でもさまざまな問題点が指摘されたためか、右翼や保守も正面から利用することが少ない。能川元一氏が具体的にメディアの受容を指摘している。
ラムザイヤー問題、「歴史戦」の中心的存在である『正論』が5月号に要旨と解説を載せた程度で積極的には扱わず、『Hanada』もスルー。まとまった量を書いたのは有馬哲夫ただ一人で媒体は『WiLL』と「デイリー新潮」、単行本も WAC から、というのはなかなか興味深いことだ。 https://t.co/HRAVPIGE3n
*3:リンクしている書籍の著者名は1997年の出版時に見た時点で古臭い印象があった。
*4:個別には偏見でないこともあるだろうが、それは必ずしも他者の人権を侵害する問題ではないだろうし、それだけで蔑視していいという結論にはならない。