漫画家の藤栄道彦氏が、またツイッターで商業作家らしからぬ「引用」の基準を見せていた - 法華狼の日記
「ナチスは良いこともした」という逆張り その根底にある二つの欲求:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASQ5S4HFPQ5SUPQJ001.html …
いや、やってる。
大衆車としてフォルクスワーゲンを開発・普及させたこととか、内政面で見るべきところは多い。
主義主張は研究者にも色眼鏡をかける。
戦後のロケット技術の基礎になったV2号の開発とか、物事には光と影がある場合が多い。
「絶対悪」なんてあるはずがないのだが、教授がこういうこと言ってしまうのがなあ。
どうせツッタカタでボコボコにされて、反撃の来ないところでイキがってるだけなんだろうが。上記ふたつのツイートこそ事実誤認の指摘が多数あったためか削除されたが、労働時間の制限をナチスドイツの良いことのように語るツイートは残っている。
まず上記エントリで指摘した発端について、藤栄氏が明示的に謝罪撤回するツイートは見つけられた。経緯はどうあれ謝罪訂正したこと自体は立派だと思う。
ナチスを擁護しているようにとられるのは本意ではなく、また私の物言いも雑で失礼なため皆さん不快感を持たれたと思います。
— 藤栄道彦 (@michihikofujiei) 2022年5月29日
元ツイートを削除し、お詫びします。
すみませんでした。
今後は自身の知識不足を自覚し、勉強するとともに他者の発言に敬意を持って接します。 pic.twitter.com/zogltf1mmZ
ナチスを擁護しているようにとられるのは本意ではなく、また私の物言いも雑で失礼なため皆さん不快感を持たれたと思います。
元ツイートを削除し、お詫びします。すみませんでした。
今後は自身の知識不足を自覚し、勉強するとともに他者の発言に敬意を持って接します。
ただし自身のツイートを保存したスクリーンショットで見せているのは最初のツイートだけ。意図はともかく「どうせツッタカタでボコボコにされて、反撃の来ないところでイキがってるだけなんだろうが」という文章は隠されている。
また、上記ツイートを自身で引用リツイートしつつフォロワー向けに謝罪するツイートは、いいねがより多くついている。それ自体は藤栄氏の責任ではないと思うが、ツイッターという場の問題を感じなくもない。
フォロワーの皆さんにもご迷惑かけて申し訳ありません。 https://t.co/ZBcQa1psP2
— 藤栄道彦 (@michihikofujiei) 2022年5月29日
フォロワーの皆さんにもご迷惑かけて申し訳ありません。
また上記エントリで指摘したように、撤回されたのは注目をあびた発端のツイートだけ。労働時間の制限をナチスドイツの良いことのように語るツイートは残っている。
おまけに、上記エントリ末尾で下記のように指摘した問題が残っていたことが今回わかった。
南京事件を調べるにあたって東中野修道氏の著作から手をつけた時もそうだが、まず藤栄氏は一般的なわかりやすい入門書から学ぶところからはじめるべきではないだろうか。
この末尾の指摘ひとつに対して、藤栄氏はブログで下記のように応じていた。
新・漫画家奮闘日記 常に奇妙な局地戦を挑む法華狼氏
見ての通り、私は本を読む限りでは大きな瑕疵が発見できなかったので、判断を留保して自分より詳しい人に「どうなんでしょう?」と質問しているだけですね。
そもそも東中野氏だって専門家なんですから、素人の法華狼氏がどうこう言うものではないのでは?
しかし以前のエントリでは、先行する批判に藤栄氏が同意しない評価を公言した問題を指摘した。けして中立的な留保ですらない。
表現や発言に攻撃を加えてきたのは一般人、と主張する漫画家の藤栄道彦氏は、単に権力による攻撃を除外しているだけ - 法華狼の日記
悪名高い人物を、2020年に「そこまでトンデモではないと思う」と評価していたこともある。
そして東中野修道氏は南京事件の専門家ではない。歴史学者ではあるが政治学や思想史などが専門分野だ。
ツイッターでのやりとりを見ると、さらにラムザイヤー氏を専門家あつかいするという間違いを重ねていた。
この人、慰安婦問題に関して私と反対の立場のようですが、専門家のラムザイヤー教授の言うことに従って欲しい。
— 藤栄道彦 (@michihikofujiei) 2022年6月2日
この人、慰安婦問題に関して私と反対の立場のようですが、専門家のラムザイヤー教授の言うことに従って欲しい。
J・マーク・ラムザイヤー氏は経済学者であって、日本軍慰安所制度に限らず歴史学は専門外だ。
そもそも私は専門家にしか自説の開陳を認めないわけではない。専門家の通説に反論したいなら相応の努力や根拠が求められると考えているだけだ。
藤栄氏も専門家に反論したいなら、せめてまともな出典からまともに引用するくらいのことをするべきだろう。
また、藤栄氏のブログエントリは、JSF氏のエントリを引くかたちで、私が本題から話題をそらしているかのように論じている。
実際はそのJSF氏こそ当時に私が指摘したように、本題ではないからこそ注記にとどめた部分へ能動的に文章量をさいていたのだが。
JSF氏の願望 - 法華狼の日記
コメント欄の平均的な意見と指摘しているわけでも、JSF氏に責任があると指摘しているわけでもない注記に対して文章量を割いて反論し、エントリの「本題」であるWaiWaiコラムの記述を具体性なく切り捨てたJSF氏が、エントリタイトルで「話題逸らし」と書くのは悪い冗談なのだろうか。
ツイッターを見ても*1、批判されること自体を拒絶するような、そして自身が「ツッタカタでボコボコ」と書いたことを忘れたようなツイートをしている。
常に奇妙な局地戦を挑む法華狼氏 https://t.co/rtwWRPJ0Ul
— 藤栄道彦 (@michihikofujiei) 2022年6月2日
おなじみの法華狼氏から。
しかしなぜこう私に喧嘩売って来るのだろう?「言論の局地戦」というのは私が勝手に作った言葉ですが、相手のミスとか誤字脱字を集中攻撃して黙らせるというのは、ツッタカタでは有効でも現実では軽蔑されるばかりであまりいい手段じゃないと思うんだけどなあ。
— 藤栄道彦 (@michihikofujiei) 2022年6月2日常に奇妙な局地戦を挑む法華狼氏 http://michihikotouei.blog.fc2.com/blog-entry-266.html
おなじみの法華狼氏から。
しかしなぜこう私に喧嘩売って来るのだろう?
「言論の局地戦」というのは私が勝手に作った言葉ですが、相手のミスとか誤字脱字を集中攻撃して黙らせるというのは、ツッタカタでは有効でも現実では軽蔑されるばかりであまりいい手段じゃないと思うんだけどなあ。
藤栄氏は商業作家でありながら思い違いをしているようだ。公開した表現は誰でも論評することができる。もちろん論評自体も評価の対象になることはまぬがれないが、論評そのものをさまたげることはできない。
もちろん本題ではない細部を評価の対象にする自由も、それを自説の本題に選ぶ自由もある。その相手は、修正しても主張を維持できるような細部の間違いであれば修正すればいいし、明らかな誤記であれば謝罪する必要もない。
そうした細部の誤りが問題になるのは、ささいと主張しながらたいした根拠もなく反発し、訂正の機会を放棄するからだ。「判断を留保」したはずの東中野氏を「専門家」あつかいするような誤認を重ねた今回の藤栄氏が、まさにそうだ。
そもそも藤栄氏自身も、私が皮肉で引用しただけの「左巻き」という表現ひとつを「差別用語」と非難するブログエントリを書いたことがある。
漫画家の藤栄道彦氏は文章力がなさすぎるのか、それともはてしなく不誠実なのか - 法華狼の日記
少なくともスクリーンショットで示された範囲では、藤栄氏が過去に使用したことがわかるだけで、先に私へ「左巻きの人」と評した部分は欠落している。
藤栄氏が自認においてその文意でつかわないようにしたと表現はせず、「私は使わないようにしている」と表現したことも今回の一連のツイートではわからなくしている。
上記エントリで経緯を指摘したように、先に藤栄氏が揶揄として私をふくむ他者に多用して、私はそれに対して皮肉とわかるかたちで引用した。その後に藤栄氏は過去の文脈を隠すようなブログエントリやツイートを書いたわけだ。
念のため、皮肉や引用であっても差別的な表現を用いるべきではないという考えもありうるとは思う。しかし藤栄氏はそれを主張できる立場ではないだろう。何より、「言論の局地戦」という造語を他人への批判へ適用できる立場ではあるまい。