法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

過去の作品を現代の価値観で位置づけることを否定するなら、『風と共に去りぬ』という映画そのものが否定されるのでは

まず、黒人差別抗議運動を受けて、米国の映像配信サイトで映画『風と共に去りぬ』がいったんとりさげられるという報道があった。
米動画サービスが『風と共に去りぬ』配信停止 人種差別理由に 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

 南北戦争を舞台にした1939年公開の同作はアカデミー賞(Academy Awards)9部門を受賞し、インフレを考慮した興行収益で歴代トップに君臨する歴史大作だが、奴隷が不満を言わず、また奴隷所有者が英雄のように描かれているという部分は批判の的にもなっている。

風と共に去りぬ』は自由奔放な女性を主軸にした先進的なドラマだが*1、黒人が奴隷階級におかれている社会をうたがいはしない。
たとえ個々の黒人は善良と描写したり、白人男性へ批判的な観点もあっても、社会の構造そのものを批判できなければ、むしろ社会のありようは強く固定されてしまう。たとえば現場の独断による奮闘だけで問題をしのいだ時、そこでただ現場を賞賛するだけでは、上層部や命令系統が改善されることはない。
ただし「停止」*2という記事タイトルが誤解をまねいたようだが、本文を読めば注釈を付記しての配信予定が書かれており、作品そのものが改変されるわけでもない。

 HBOマックスは歴史的背景に関する議論や説明を追加して配信を再開する予定だが、「差別は存在しなかった」と主張することになりかねないとの理由で編集は行わない意向を示している。

もともと自主的にとりやめるだけなら配信社の自由だったし、ここで表現の自由は基本的に侵害はされていないと考えるべきだろう。
ちなみにカラー映画とはいえ古い作品であり、日本では著作権が切れている。もちろん新しい翻訳には著作権が発生するが、古典としてパブリックドメインの格安DVDが販売されている*3
どれほど内容が批判されても、いわゆる封印作品になることはないだろう。


さて、こうした過去の作品が差別的として現在に批判されることはよくある。それに対して、現在の基準で過去を批評するべきではないという反論もよくある。
しかし映画『風と共に去りぬ』の場合はどうだろう。もともと1936年に出版された小説を長編カラー映画化した作品であり、原作から期間をおいていないとはいえ改変はされているという。
そのひとつが、黒人を差別する秘密結社KKKの描写だ。小説では黒人の性暴力へ反撃する団体として登場したそうだが、映画では暴力は白人が主導*4したしKKKの存在も暗示するにとどめた。
南部諸州の復帰

小説の中ではスカーレットが危うく黒人にレイプされそうになり、夫たちがその復讐で黒人居住区を襲撃する話が出てくるが、その夫や同調した白人たちがクー=クラックス=クラン団員なのだ。小説ではその名前も出ている。しかし、1939年に映画化されたとき、このエピソードは描かれたが、スカーレットを襲ったのは白人のならず者とされ、クー=クラックス=クランの名前も一切でてこなかった。

つまり作品の差別描写を弱めようとする動きは、映画そのものに組みこまれていたのだ。もしKKKの白装束などが登場すれば、ビジュアルインパクトのある映画はもっと早く古びたかもしれない。
作品は公開された時点から過去のものになっていく。だからこそ時代を超えたい送り手と受け手は歩みを止めずに考えつづけるのだ。

*1:主人公の恋敵がけなげな女性で、主人公の悪意を優しく受けとめて愛でつつみこむ構図がおもしろい。ちょうどTVアニメ化で話題になっている『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』で見られるように、「悪役令嬢」物で散見される百合っぽい描写が、原型から存在していたといえないだろうか。

*2:停止(チョウジ)とは - コトバンクを引けば、「一時やめること。また、差し止めること」という語義もあることがわかる。しかし「一時停止」といった表記にしたほうが正確につたわっただろう。

*3:ただパブリックドメインDVDは、ネガフィルムから起こせずリマスターの予算も滅多につかない。たまたま私も買って手元にあるが、高解像度モニターで視聴するには画質が厳しい。現在に視聴するならリマスターBlu-rayや配信サイトを選ぶべきだろう。

*4:「白人のならず者」という表現だけでは少し誤解をまねきかねない。橋で主人公から馬をうばおうとする白人と、手下のように協力する黒人の二人組だ。原作も同じ人種構成の二人組だが、黒人が主人公に襲いかかって服を引き裂く。