id:ohanabatake38氏が立憲民主党の参議員である石垣のりこ氏に対して、「公職者」の資格という観点から論評していた。
今回のもろもろ、安倍晋三に「お疲れ様でした」と言う必要はまったくないけれど、「病気を理由に辞任するな」とか、まして病を「癖」と言うのは単なる不心得だという、そういう話でしかない。
— 蓮華草 (@ohanabatake38) 2020年8月28日石垣のりこはわかってて人の病を「癖」と言っているのなら公職者であるべきではないし、わからずにそう言っているのなら、やはり公職者の資格に欠けるだろう。
— 蓮華草 (@ohanabatake38) 2020年8月28日安倍晋三辞任については「沈黙は金」と、沈黙できない身として思う。
— 蓮華草 (@ohanabatake38) 2020年8月28日
なるほど。
閣僚の病気辞任って田中慶秋の仮病以来か?
— 蓮華草 (@ohanabatake38) 2018年2月27日
正直、共産党幹部の病気離任を聞いても別の要因による更迭(権力闘争とか)を隠すフェイクじゃないかと疑ってしまう。
— 蓮華草 (@ohanabatake38) 2016年4月11日
なるほど。
不心得が許される立場とそうでない立場があるという考えがあるのもわかる。
仙谷由人死去。「野党民主党」時代に胃がんで倒れ、再起して官房長官に就いたら「流動食を摂っている」とか「トイレで倒れた」とかいろいろ健康不安説を書き立てられていたことを思い出す。あの慇懃無礼、不遜な態度もあいまっていかにも元気そうなイメージだったが。
— 蓮華草 (@ohanabatake38) 2018年10月16日
健康不安説が許される場合と許されない場合があるというのはわかりにくいが、その責を求めないか求めるかというのがひとつの基準か。
また、別の一般論として、よく嘘をつく人間が信用できないとしても、嘘をついているとは限らないということは考えている。
嘘をついて整合性をたもつことには一般的にコストがかかるし、都合のいい事実が起きれば嘘つきもわざわざ嘘をつかない。
特に病気というものは、発言や行動の整合性を問う時でも、個人差が大きいことは考慮されていいだろう。
ただしその個人差のために弱者への共感すらもたない政治をするであれば、また話は違ってくる。
難病法の軽減廃止 今月から負担増/患者不安 治療継続できず重症化も
「措置廃止で今後、多くの患者さんがさらに負担増を強いられることになるでしょう」
日本難病・疾病団体協議会(JPA)の森幸子代表理事は指摘します。
「『軽症』とされた患者さんも、治療を継続しているからこその軽症状態です。特異的な治療の継続が必要な場合は、引き続き医療費助成をして、重症化させない支援であるべきです」として、改善を求めています。
これは第二次安倍政権が緊縮政策を選んだ一例といえるだろう。