法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「軍靴の音が聞こえる」という声は時たま幻聴

徴兵制へ言及した[twitter:@Hideo_Ogura]氏に対して、[twitter:@obiekt_JP]氏が「現代戦で徴兵制は不要です」といった反論を展開していたのだが、どうにも最初から論点がすれ違っているように見える。
軍靴の音がざくざく聞こえる人が日本の徴兵制導入を憂いています - Togetter
少なくとも、[twitter:@ahosidai]氏*1のまとめ自体にも問題があるだろう。「軍靴の音がざくざく聞こえる」というタイトルをつけているが、今回のHideo_Ogura氏が想定している徴兵制は、まとめ冒頭で引用されている下記ツイートの通り。合理性から見て批判されているのは、軍事のための徴兵ではなく、教育のための徴兵だ。

ネット上でお勇ましい愛国青年は自ら自衛隊に入隊しようという感覚はないんですねえ。RT @minamikuma: まあ、頭で世の中がわからないなら体で学んだ方がいいケースもありますしね。
Hideo_Ogura
2011-02-15 08:27:52


若者に、国民に、国家権力を利用して苦痛を与えることこそ愛国的と考える倒錯が流行っているということです。RT @CCCP1917: そもそも軍事的必然性に基づかないこの種の徴兵議論というのは、一件『愛国的」なように見えて実は国防をものすごく軽視してるのでないだろうか。
Hideo_Ogura
2011-02-15 08:53:34

「国家権力を利用して苦痛を与える」ための徴兵制であって、「軍事的必然性」によって徴兵制が求められているという話では最初からない。後半でもHideo_Ogura氏は稲田朋美議員の「徴農制」へ言及しているように、いくつかの国家権力によって苦痛を強制する一種の「教育」手段の、あくまで一例として徴兵制が想定されているにすぎない。「体で学んだ方がいいケース」という文脈での指摘なのだから、わりと自然な想定だと思える。
そして「教育」のため国家権力が強制する苦痛という論点をふまえると、事実関係は別としてもobiekt_JP氏の主張が反論としては的を外していると感じる。参考にしていたドイツで徴兵制が廃止されるかどうかではなく、徴兵制が教育のため役立つという思想に政治的影響力がどれほどあるかが、この文脈でいう徴兵制の導入に関わってくるのだから。
むしろobiekt_JP氏のツイートは、いくつかは意図せずHideo_Ogura氏の主張を補強しているとすら感じた。現代日本で徴兵制が求められる動機の多くは軍事的合理性のためではない、という点においては両者の争いがないためかもしれない。

それがどうしたんです? 安部は徴兵制について言及した事は一度も無い筈ですが。 RT @Hideo_Ogura でも、安倍晋三さんを党首にし、首相にした政党ですよ?
obiekt_JP
2011-02-15 11:38:19

ここで、安倍晋三元首相で徴兵制といえば、下記のような政策が存在していたことを思い出してほしい。
徒刑制度? - 非国民通信

教育再生会議:高校で社会奉仕活動を必修化、明記の方針(毎日新聞

 政府の教育再生会議は14日、今月とりまとめる第1次中間報告に、高校で社会奉仕活動を必修化するよう明記する方針を固めた。安倍晋三首相の自民党総裁選の公約だった。19日に全体会議を開いて決める。学習指導要領に盛り込むかどうかなどの実施への制度作りは、その後さらに議論する。

 学校での社会奉仕活動については、森内閣の教育改革国民会議が00年、小中高校で共同生活をしながら行うことなどを提唱した。しかし「憲法が禁じる苦役につながる」との指摘や受け入れ態勢の問題があり、実施は見送られてきた。

 ところが、安倍首相は昨年の総裁選で「公の概念が大切」と大学入学の条件にボランティア体験を義務付ける考えを示し、著書「美しい国へ」で「最初は強制でも、若者に機会を与えることに意味がある」と主張。

 これをきっかけに社会奉仕活動の導入論が再浮上し、再生会議でも「奉仕の義務化が必要」(池田守男座長代理)などの意見が出て、報告に明記する方向となった。

徴兵された素人では戦力にならないとしても、軍隊の役目は戦うだけではないのではないか、戦わせるための軍隊ではなく、人に服従や忠誠を教え込むための矯正機関としての軍隊の役割がこれから拡大していくのではないか、だから安倍総理の大好きな規範意識や公の精神とやらを教え込むための徴兵だったらあり得るのでは?

ここでは別に、国家が強制する社会奉仕が徴兵制に繋がるというつもりはないし、いう必要もない。「国家権力を利用して苦痛を与える」ことをもって「教育」とする思考は、まさに安倍元首相の推し進めようとしていた上記政策と一致する。


より根本的な話をすれば、苦痛を与えることと教育を混同する思想そのものが誤りだ。苦痛を感じること自体は問題の所在を把握するために重要で、その限りにおいて時に個人を成長へと導くこともありうるとは思うのだが、ことさら苦痛を与えたり感じたりする必要はない。
苦痛のための苦痛は激しい苦痛をやわらげることもあるだろうが、同時に問題の所在をわかりにくくしてしまう。いささか比喩的な表現とは自覚しているつもりだが、心の苦痛も同じだと思う。現実にある問題の所在をわかりにくくしてしまえば、むしろ教育として逆効果ではないだろうか。

*1:ブログで最近に教育現場の国旗国歌強制へ言及したエントリを見る限り、小倉弁護士の懸念が当てはまりそうな人だと感じた。論点は異なるが「強制連行も、従軍慰安婦も、裁判所によって正否が分かれているのですが、これに対して「あった」という前提で物語を作ることを推進してきたのが朝日。」という認識も歴史教育の専門家ではないとはいえ、さすがにどうかと思う。http://blog.goo.ne.jp/ahosidai/e/38d786ade55599ba0704bef700bc3be9