法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

映画『若おかみは小学生!』は児童労働アニメではないとは思う

5月16日にEテレで地上波ノーカット放映された『若おかみは小学生!』について、児童労働という観点からの評価が再燃しているのを見かけた。
映画「若おかみは小学生!」Eテレで5/16放送決定! | NHKアニメワールド

祖母の温泉旅館・春の屋で若おかみの修業をしながら暮らす小学6年生の女の子・おっこ(関織子)。ユーレイのウリ坊や不思議なトモダチに助けられながら、おっこは少しずつ成長していきます。


この論点について、昨年末に映画テン年代ベストテンで5位に推した時、簡単に私なりの考えを書いておいた。
映画テン年代ベストテン~アニメ限定~ - 法華狼の日記

少女が旅館で奮闘する根本の動機が、現実の痛みからの逃避なので、旅館経営や児童労働といった問題は留意しつつ慎重に回避*6。超常的な力で珍客が招かれて、少しずつ少女の傷がいえてたくましくなり、それゆえ超常的な存在とわかたれる。

たしかに主人公は若女将として訪問客をていねいにもてなし、自分なりの工夫で満足させていく。
しかしそれは奇妙な訪問者をもてなして意図しない対価をえるという物語類型であり、旅館はそのための舞台装置だ。
老舗旅館でありながら常連客は主人公の物語にかかわらない。同僚との作業で仕事場に居場所を見つける場面は必要最小限ですまされる。


何より主人公を最もゆり動かす中盤の客は、すぐに若女将と客という関係を捨て去って、対等な友人としてふるまう。
主人公にもてなされるだけでなく、主人公をもてなしてやる。金銭をやりとりしない関係であっても主人公を救いにくる。
労働ではなく出会いこそが主人公の居場所を明らかにし、それが幻にとらわれていた主人公が現実で立ちなおる助けとなる。


さらに、主人公の少女「おっこ」に対比されるライバルの少女「ピンフリ」は、ずっと仕事らしい仕事をする存在として描かれていた。

祖母の旅館に将来性が無いことをにおわせる描写が序盤にあり、そこには明確な解決がないまま物語が閉じられる。逆にライバル的な少女の大規模な旅館は、さまざまなプロジェクトを展開しつつ人間や自然を傷つけないよう注意する描写がしっかりある。そこから主人公側の旅館方針が正しいのかと問いかける意見にも説得力があり、それが結末のさまざまな助力につながるだけでなく、あくまで主人公の救済という枠組みのドラマを現実の旅館に適用するべきではないという注意になっていた。

おとずれた客だけを楽しませるのではなく、地域全体の観光をもりあげる工夫などもライバルはおこなっていた。
私情をはさまない契約関係として客をもてなし、指示する立場から旅館の組織としての方向性を決める。必要とあれば望まれぬ客も受けいれる。
主人公と違って能動的に客をむかえる、自立した人格だった。


単純に旅館を舞台として珍客の物語を描いたり、どのように客をもてなすべきかを考える作品ならば、主人公とライバルのどちらが若女将としてすぐれているかを描いただろう。そうでなくても長所短所を比べて競って認めていくドラマにするだろう。
しかし少なくとも映画では、ライバルと主人公の若女将としての評価を比べるような物語にはしなかった。ライバルは主人公が労働ではなく逃避していることを浮かびあがらせる存在だった。本来の旅館業から主人公のドラマがはみだした時に受けとめる装置だった。
100分に満たない短めの映画で、他の同世代の出番をほとんど削りながら、あえてライバルの描写を長くとったのは、そのためではないか。