法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「従軍慰安婦は日本における奴隷だ」という認識に対して、「奴隷は日本にまったくいなかった」とだけ返す没論理の問題

朝日新聞に対して訴訟をおこした「朝日新聞を糺す国民会議」が、2月23日に日本外国特派員協会で記者会見をおこなったという。
主に発言したのはチャンネル桜水島総氏と、かつて韓国人を装って韓国批判本を出した加瀬英明氏。
その感想として山口智*1氏らのツイートがTogetterにまとめられたり、特派員との質疑を中心としてJ-castが記事にまとめている。
「朝日新聞を糺す国民会議」の記者会見 - Togetter
「(外国記者は)日本について全く無知で、いい加減なこと触れ回る」 朝日「吉田証言」2万人訴訟会見で、なぜか海外メディアとバトル : J-CASTニュース


くわしい会見の書き起こしは、BLOGOS等がおこなっていた。
【詳報】"日本国の誇りを取り戻す"〜「朝日新聞を糺す国民会議」の水島総氏・加瀬英明氏が会見 (1/2)
すでに多数の批判がなされているように、水島氏も加瀬氏も事実認識が間違っているし、論理展開も奇妙なものだ。
問題の枠組み、女性観、虐殺や奴隷の歴史、それぞれの誤認を細かく見ていこう。


まず従軍慰安婦問題について、すべての責任を朝鮮半島に押しつけようとして、水島氏が誤りを重ねている。

いわゆる従軍慰安婦問題で問題なのは、戦場に慰安婦・売春婦がいるというのはいまもそうですが、当時、朝鮮人の女性たちが強制的に慰安婦にさせられたか、これが問題だったと思います。

この主張によると、あたかも吉田清治証言にともなって否定できる範囲だけが従軍慰安婦問題かのようだ。
現実には、日本内地や朝鮮半島はもちろん、台湾や中国の植民地からも、太平洋戦争での占領地からも慰安婦を集めていた。それはそれぞれの状況に応じて問題視されるべきだし、事実として問題視されてきた。河野談話と同日に出された内閣外政審議室の報告においても、「慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダ」*2と明記されている。
日韓だけの問題であるかのように主張して、各国の特派員が信じるとも思えない。

事実を言えば、朝鮮人の女衒によってお父さんお母さんにお金が払われ、娘さんには「接待をするだけだよ」と言われて連れて行かれたというのが現実でした。そういった子が、慰安婦というか、売春婦になっていったわけです。

募集の段階だけ弁護しても、移動から現場の段階においても強制がなかったという反論にはならない。騙して集められた人間を日本軍が利用したというのも、それは根本的な弁護にはならない。
それに被植民地人が実行犯だと主張することが、良い印象を与えるとも思えない。ナチス強制収容所では、カポと呼ばれるユダヤ人の監督を利用していた。そうした歴史の類推を特派員がおこなえないと期待しているのだろうか。

2004年だったと記憶していますが、韓国には「キーセン」という、国営の売春組織がありました。これがまさに"comfort women"と呼ばれる人たちです。

くわしい知識がなくても、この説明に違和感をもつことはできるだろう。直前に「朝鮮人の女衒」などと民間へ責任を負わせたのに、ここで「国営の売春組織」が存在したという。
もし植民地時代には民間組織しかなく、独立してから国営組織が生まれたなら、それは性格の異なる組織だろう。日本支配時は民間に責任を転嫁しつつ、韓国という国家の問題にしたいから、連続性がよくわからなくなる。
現実の流れを簡単にまとめると、開港にともなって日本人居留民が増えた1876年から、日本人の売春業者がわたって遊郭を形成していった。そして1910年の日韓併合をへて法律で統制され、遊郭公娼制度に組みこまれていった*3。もちろん現地人の業者も存在したが、植民地で日本側が求めて利用したのだから、被植民地人にのみ責任を負わせることは実態としても不可能だ。


さらに特派員との質疑で、女性問題についての鈍感さをあらわにする。

男の方がある意味で女性の言う事を聞いている、もちろん職場では、働きに出ている女性は少ないかもしれないが、実際の家庭をコントロールしているのはむしろ奥様であると。そういったある種の独特の文化を持っている国であります。

職場と家庭に性役割を固定しておいて、それぞれの権利が尊重された社会といえるだろうか。自由のない状況を押しつけながら、なぜか不公平感をおぼえる身勝手な人々と思われるだけではないか。
しかも、この発言をしている水島氏をはじめとして、会見に出ているのは男性ばかり。それで女性が強いと主張しても説得力はないだろう。ひとりの男性として、書き起こしを読みながら恥ずかしく思った。


さらに水島氏は南京事件を持ちだし、日本は伝統や文化として虐殺をしないと主張した。

日本の歴史の中で、ひとつの都市や多数の者を大虐殺する、何万人も何十万人も殺すような、ローマのカルタゴのような事例はありません。

戦争の中でお互い殺し合いはあっても、住民を虐殺したり、街全部を虐殺するような伝統も文化もありません。

かつて虐殺をおこなった国家はそのような伝統や文化を持つという意味をふくむ主張だが、それを理解しているのかどうか不安でならない。
すぐ後に、同じようなことを加瀬英明氏も主張した。

日本には宗教抗争、たとえばカトリックプロテスタントが殺しあったような対立や抗争も存在しませんでした。

多くの外国のジャーナリストの方々がまったく無知でいい加減なことを触れ回っているから、日本の評判が悪くなっている面が大変大きいと思っていて。ぜひ日本について勉強いただきたいと思います。

一向一揆への弾圧や島原の乱も、義務教育で習う範囲だと思っていた。勉強するべきは誰なのか。
http://shimabarajou.com/free/shimabaranoran

キリスト教を厳しく取り締まった。ことなどで、領民の不満が高まっていた。

 農民たちは2万7000〜3万7000人で、島原半島の南側の人はほとんど全員参加、天草側は有明海側の人が多かったようだ。その中には、子どもや老人、女の人もいた。
 武士・幕府側は約12万人で、九州各藩兵や、遠くは福山藩兵も参戦した。
 死者は農民側が全員(2万7000〜3万7000人)。幕府藩兵の死傷者は約2400人。

水島氏や加瀬氏よりは、ジャーナリストとして現地の知識も押さえているはずの特派員こそ、比較的に日本史を知っていそうな気がする。
事実、会見終了の間際に35年間も在日しているイタリア人の特派員から「戦国時代においても似たようなことはあったんではないかと強く思う」と指摘されている。


前後して加瀬氏は、日本に奴隷がまったくいなかったとも主張した。この誤認が私の本題だ。

日本は歴史を通じてslave=奴隷、slavery=奴隷制度がまったく存在しなかった文化です。とくにアメリカのような、19世紀後半まで奴隷制があった国から、"sex slave"と言われたくないと思います。

むろん平安時代の「奴婢」は日本の義務教育で習う範囲だ。外国のような「奴隷制」とは違っていたという説もあるが、「奴隷」がいなかったという説はありえない。
奴婢(ぬひ)とは - コトバンク

日本古代の賤民(せんみん)制度における奴隷的な賤民。中国の隋(ずい)・唐(とう)の身分法の奴婢制度を継受したもの。

奴婢は所有者により資財と同様に扱われ、相続・贈与・売買され、牛馬と同様に、生まれた子は所有者のものとなり、また所有者を異にする奴婢の間に生まれた子は婢の所有者のものとなった。

日本の誇りにからめて奴隷史を語るならば、古典的な説話『山椒大夫』くらいは知っておくべきだし、それを原作とした溝口健二監督の実写映画*4や、東映動画のアニメ映画『安寿と厨子王丸*5も押さえておくべきだろう。
映画 山椒大夫 - allcinema
安寿と厨子王丸 - TOEI ANIMATION
どちらも外国で賞を受けた映画であり、特派員に知られていてもおかしくない。


しかも近現代になると、はっきり従軍慰安婦問題と関連したかたちで「奴隷」と評価されるものがある。公娼制度のことだ。
しばしば慰安所制度の悪質性を低めようと持ちだされるが、実際は当時からも奴隷制度と批判されていた。つい最近にも被害者や学者によるシンポジウムで紹介され、神奈川新聞で報道された*6
カナロコ|神奈川新聞ニュース

 「慰安婦はまったくの別物だが、公娼もまた性奴隷と呼ぶにふさわしい境遇に置かれていた」

 その問題性はそして、当時から認識されていた。1872年の芸娼妓解放令に始まり、1930年代には全国各地の県議会での公娼制度の廃止決議が相次いだ。神奈川県議会の決議文には「人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする事実上の奴隷制度なり」とある。

従軍慰安婦問題について訴訟するのであれば、これは押さえておかなければならない知識だ。
太平洋戦争以前から公娼制度は日本国内でも公的に問題視されていた。逆にいえば、20世紀まで日本には奴隷がいたことが県議会などでも認定されていた。しかし戦争をつづけるため公娼制度の問題性は無視され利用され、退歩したまま思想として日本社会に残っている。


そもそも、具体的に指摘されていることに対して、まったく存在しなかったとだけ主張しても、それは論理ではないし釈明になっていない。
これは「朝日新聞慰安婦報道』に対する独立検証委員会」の、先日に公開された報告書の問題とそっくりだ。
「朝日新聞『慰安婦報道』に対する独立検証委員会」の報告書は、検証のふりすらできていなかった - 法華狼の日記

プロパガンダを前提視する枠組みで検証する報告書とは、さすがに予想できなかった。誤報がおこなわれた原因や意図は、検証の結果として指摘すべきことだろう。前提と検証の順序がおかしい。

水島氏や加瀬氏の問題の根本は、知識の無さではない。願望にあわせて具体性から目をそむけているのだから、正しい知識を教えるだけでは考えを変えないだろう。
事実誤認を批判することも重要だが、そのためには思想の枠組みも批判することが必要だ。

*1:ツイッターアカウントは[twitter:@yamtom]。

*2:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf

*3:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_23-2/RitsIILCS_23.2LEE%20Na.pdfのノンブル211〜212頁を参照のこと。

*4:パブリックドメインなので、現在はインターネットでも簡単に無料視聴できる。

*5:ただ私見では、映像の質こそは大作らしく高いが、東映動画のアニメ映画内ではチェックする優先度が低い作品だと思っている。フルアニメーションでディズニーに追いつこうとしていた時期と、日本独自の漫画映画を確立していく端境期の作品なので、歴史的な価値と映像のダイナミズムがどちらも中途半端な感があった。

*6:シンポジウムを開催した側にも記事が転載されているので、保存をかねてリンクしておく。http://fightforjustice.info/?p=3539