法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ドラえもん クレヨンしんちゃん 春だ!映画だ!3時間アニメ祭り』風間くんと入れ替わっちゃったゾ/野原家の秘宝だゾ/「映画ドラえもん のび太の宝島」

2番組を合体させた恒例の3時間SP。


「風間くんと入れ替わっちゃったゾ」は、台詞からも『君の名は。*1の人気を受けたと思われる、しんのすけと風間くんの人格が入れかわる中編。とはいえ異性ですらなく、たがいを知っている関係であり、家族とも面識がまったくないわけではない。
どちらかといえば、幼いがゆえ入れかわった体を演じきることができず、変わった人格によって周囲がふりまわされるという、このジャンルでは少し珍しい方向性のドラマだった。肉体ではなく家族ごと立場だけを入れかえる『ドラえもん』の「ママをとりかえっこ」*2が印象としては近い。
「野原家の秘宝だゾ」は、秋田にいる祖父の家へ遊びにいった野原一家が、先祖が埋めたという宝探しにつきあわされる。これも『ドラえもん』に「のび左エ門の秘宝」*3という根幹が同じアイデアのエピソードがある。
もちろん展開は全く異なっていて、『ドラえもん』でのび太は宝の地図の真相を知っていて無駄な手間を嫌がっていたが、しんのすけは意外と素直に信じたままで真相に気づいている父を連れまわす。祖父なりに孫を喜ばせてやろうとする努力が素直に実ったハッピーエンドは悪くないし、父が隠していた別次元の宝が出てくるというオチも家族の風景として意外と楽しい。


映画ドラえもん のび太の宝島』は、再見すると改めて作画の良さが印象的だが、どうしても細部のつめきれなさが気になってしまう。
たとえば初見では感心もした「治外法権」だが、劇中でそうした歴史や科学の豆知識を明確には引いていないところが、再見すると居心地が悪くてしかたない。
『映画ドラえもん のび太の宝島』 - 法華狼の日記

基地内でレストランが「治外法権」な立場と説明されていることが、作品の世界観の説明となり、伏線として作用していることも興味深かった。
そのような立場を許す海賊社会が理想郷でもあるという雰囲気を生み出していたし、海賊社会そのものが治外法権ということも感じさせた。いわゆる「アジール」だ。

冒頭の出木杉からしてそうだ。のび太が宝を実際に探すと発言したなら、原作の出木杉なら馬鹿にしたり唖然としたりはすまい。現代にもトレジャーハンターがいることを指摘するだろう。
17世紀の沈没船から発見の「宝の山」、競売へ NY 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

フィッシャー氏は、巨額の費用を投じて15年以上にわたる捜索を行い、1985年7月20日に沈没船の場所を特定。船内からは、硬貨や希少な宝石類などを含む、4億5000万ドル(約550億円)相当の宝の山が発見された。

そこから秘密道具で沈没船を探す展開にすれば、島などないはずの海原にあたりをつけた本編と自然につながるだろう。そこで発見された新たな島に過去の海賊が宝を埋めるはずがないという指摘もほしい。海底がもりあがることで沈没船が出てきたとか、火山の作りだす宝石や宝石に秘密道具が反応したとか、さまざまな推理に発展させることができたはずだ。その推理にまじえて火山のエネルギーなどの科学的な説明をすれば、伏線としても成立する。
そうした考証をして設定と物語に厚みを持たせるスタッフがいなかったのか、それともメインスタッフがSFを支える細部のディテールに関心が薄かったのか……そこで今回の放映にあわせて解説していたキャラクターデザインかつ総作画監督亀田祥倫ツイッターを除くと、物語の整合性を高めることよりキャラクターのイメージが優先されていたらしいことがわかる。

これに対して、海賊は何かを欠落しているので、髪色の異なるのに混同したキャラクターは「色盲」ではないかという考察がもたらされ、それを面白いと評価している。やはり工夫すれば整合性を高める余地があったのではないかと思わされる。