法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『懲罰大陸★USA』

架空の1970年代、ニクソン大統領は反政府的な人々を弾圧する制度をつくりあげた。そこで若者たちは一方的な簡易裁判をへて、懲罰公園でのゲームをしいられる……


イギリス出身のピーター・ワトキンス監督による1971年の米国映画。日本では2015年に初上映された。

ヤコペッティの残酷大陸』と同年につくられた先駆的なフェイクドキュメンタリーであり、デスゲーム物の嚆矢でもある。


おそらく低予算映画ではある。裁判がおこなわれるのは簡素なテントで、傍聴者はいない。懲罰公園はどこかの荒野で、追われる若者も追う保安官も数人だけ。おおがかりなセットや小道具は出てこない。デスゲーム的な設定なのに暴力的な描写は意外と少なく、死の描写も淡々としている。
しかし1時間半を、まったく飽きることなく楽しむことができた。大人と若者が激しく罵りあう簡易裁判に、バストショットで主張を聞くインタビュー、さらに懲罰公園を延々と歩くロングショットを混在させることで、映像にメリハリがある。手ぶれカメラが画面に適度な刺激を与え、当時の劇映画には珍しい構図も多い。
大人たちのキャラクターは定型におさまっているが、同時代の愛国的な意見のカリカチュアとして理解できる。若者たちのキャラクターには温度差があり、実力で反抗したり非暴力で生きぬこうとしたり、けっこう人格の違いが出ている。懲罰公園の現場で追う側も、率直にとまどったり自己正当化したりして、そのブレがリアリティを感じさせる。
さらにエンドロールのナレーションで、あくまでドキュメンタリー形式のフィクションと思っていた観客の、虚構と現実の境界線が崩される。架空の圧政国家が現実に重なるおぞましさが、たしかにそこにあった。


ちなみにワトキンス監督はもともと報道をテーマにした作風をもち、1960年代からフェイクドキュメンタリー的な映画を作っていたという。
映画の國 || コラム ||

『忘れられた顔』を買わないかと持ち掛けられたイギリスのグラナダ・テレビは、これがカンタベリーで作られたドキュメンタリーを装った作品と聞いて、こんなものを放映したら、自分たちのニュース映像を誰も信じなくなってしまう、と購入、放映を拒んだという(『傷だらけのアイドル』BFI版DVD付属冊子、ジョン・R・クックの記事)。

18世紀の戦争をインタビューや実況中継で表現した『カロデン』で注目されたワトキンス監督は、英国に原爆が投下された設定の『ウォー・ゲーム』でアカデミー賞のドキュメンタリー部門を受ける。
そして米国へわたったワトキンス監督は、以前からもっていたベトナム戦争への批判を明確にして、架空の社会制度下の米国を高いリアリティで描きだしたわけだ。


先述したように、この映画はデスゲーム設定も先鋭的だ。制限下で過酷な砂漠を歩かされる制度は、スティーブン・キングが1979年に発表した『死のロングウォーク』に先行している。

バトル・ロワイアル』や『ハンガー・ゲーム』の作者がインスパイア元と明言しているように、『死のロングウォーク』こそがデスゲームジャンルの源流だ。時期的に酷似した設定を出した意味は重い。
もっとも、懲罰公園のルールは不明瞭かつ理不尽で、デスゲーム物としては遊戯性が弱い。形式的な簡易裁判と対比するためでもあるだろう。そもそも描写が断片的で、若者なりの努力はすぐにつぶされる。
それでも裏をかこうとする局面もあって、それなりにサスペンスがもりあがる工夫はされている。あくまで先駆作と理解すれば興味深く「ゲーム」を楽しむことができるだろう。