法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

アイン・ランドの再発明かな?

新興の米国保守の潮流を説明するid:shiki02氏の下記エントリで、下記引用部分に興味を引かれた。
オルタナ右翼の源流ニック・ランドと新反動主義 - Mal d’archive

ピーター・ティール。彼はシリコンバレーのリバタアンで、「自由と民主主義はもはや両立しない」と発言して、新反動主義にも影響を与えたことは先ほども述べた。そのピーター・ティールがぶち上げた「人工海上都市」(Seasteading)構想は、どこかの海上リバタリアンだけが住む小さな自治国家を設立しようというものだが、これなども「出口」の概念と通ずるものがある。民主主義の制度のもとで愚直に「声」(Voice)を張り上げるのではなく、黙ってその制度から立ち去って(Exit)、新しいフロンティアを開拓していく、まさに右派リバタリアンらしい振る舞いといえる。

これは米国のリバリタリアンに強い影響をもつ小説家、アイン・ランドが1957年に書いた『肩をすくめるアトラス』の設定に酷似している*1

主人公のジョン・ゴールトは、この平等社会でやる気を失くした知的エリートたちをコロラドの山中に集め、テレビをハイジャックして、知的エリートたちのストライキを宣言する。

しかしもし社員が足をひっぱると考えた経営者だけで新会社を作って、周囲との関係を遮断したとする。その新会社はどのように運営され、誰を相手に取引をおこなうのだろうか。


これは、いわば車輪の再発明ならぬ永久機関の再発明といったところか。
再発明でも車輪なら役に立つが、永久機関は失敗するしかない。だからこそ過去の事例が知られず再発明がくりかえされる。ありえない発明だからこそ、その夢へとびつく顧客を集めるフィルターになる。自分を利口と思っている人間向けの詐術にうってつけだ。


ちなみにアイン・ランドは裕福なユダヤ系の娘としてロシア革命の標的となり、米国に逃れて作家となった。共産主義全体主義への憎悪を強く持ち、米国の自由と繁栄を求めつづけた。
そこまではいいとして、ハリウッドの赤狩りにも深く加わって、映画関係者による反共団体MPAPAIでパンフレットを発行。共産主義的な映画をつくらないよう、下記のような提言をおこなったという*2

1.政治を軽く扱わない
2.自由市場資本主義体制を批判しない
3.企業家や実業家を批判しない
4.富裕層を批判しない
5.利潤の追求を批判しない
6.成功を批判しない
7.挫折を美化しない
8.腐敗や堕落を美化しない
9.一般庶民を神格化しない
10.団結することを賛美しない
11.独立独歩の人を批判しない
12.時事問題を不用意に扱わない
13.アメリカ政府を批判しない

全体主義の提言かな?

*1:町山智浩『最も危険なアメリカ映画』152頁。

*2:前掲書149〜150頁。引用時に可読性を考慮して「一般庶民」と改変したが、引用元では「普通の男」とカギカッコつきで表記され「コモン・マン」とフリガナがふられている。