法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『テイキング・オブ・デボラ・ローガン』

老女デボラと娘のサラのふたりが暮らす片田舎に、学生たちがドキュメンタリーを撮りにやってくる。
医学生の主人公ミアは、認知症で変容していくデボラの人格をとらえながら、街の闇を知ることに……


2017年のモキュメンタリーホラー映画。これを撮ったアダム・ロビテル監督は『インシディアス 最後の鍵』に抜擢された。

取材中のトラブルから恐怖がはじまるフェイクドキュメンタリーにしては珍しく、予定通りのドキュメンタリーで構成された前半がよくできている。
認知症の説明にあたって医者のコメントをとったり、3DCGで身体的なメカニズムを説明して、見ていて飽きない。デボラが若かったころの古びた映像を編集で入れたりして、真面目な認知症ドキュメンタリーと錯覚しそうな域に達している。
さらに活動的な服装なのにネガティブなサラの、周囲との不思議な距離感に、同性愛者という背景をもってくる。社会から孤立しているゆえに被取材者として対価を求める姿が、けして見世物的でなく、マイノリティの苦しみを映しだす。


主軸となるデボラは、症状の穏やかな時の淑女ぶりや、電話交換手をしていた過去描写で、ひとりで子供を育てた立派なキャリアウーマンの精神が衰えていく悲しみを強調する。
電話交換機のシステムを認知症の神経になぞらえる一幕もあり、この比喩は不覚にも感心した。電話交換手をおこなっていた過去は、街全体の歴史をふりかえる契機にもなり、ホラー展開につながる伏線ともなる。


そして、認知症で徘徊をくりかえすデボラを監視するカメラに不思議な映像が残されて、ホラー展開へと移行するのだが……ここからは平凡なPOVホラーになってしまう。
さまざまなシチュエーションでロケして、たぶん低予算なりに手間はかかっているし、VFXもそれなりのクオリティなのだが、どの描写も新鮮味がない。瞬間移動したように見える映像など、伏線としての意味すらない。
恐怖の根源をひもといていく謎解きの面白味はそれなりにあるし、狂気にとらわれてなおデボラには紙一重の気高さがあったとわかる展開は感動もするが、明らかなフィクションなので他人事のようにしか感じられない。恐怖と哀切が身近なリアリティをもって描かれる前半を、ありきたりなオカルトホラーでしかない後半が超えられていないのだ。


前半は真面目なドキュメンタリーパロディとして面白いし、後半もホラー演出が連続するので娯楽性は保たれている。それだけにオカルト移行の安易さが惜しい。
いっそ明らかに超自然的な描写はやめて、現実に起こりうる映像だけで構成すれば、リアリティを保持したままホラーとして成立しただろう。オカルト的な妄想にとりつかれたサイコホラーとして再編集したバージョンもしくはリメイクを見てみたい作品だ。