法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』

20世紀末、米国の片田舎で、子供たちが次々に行方不明になる。
のこされた子供たちの周囲にも、恐ろしい存在があらわれては消える。
そして、いつも近くで道化師ペニーワイズが不気味に笑っていた……


2017年の米国映画で、原作はスティーヴン・キング。道化師が子供たちを恐怖におとしいれる前半エピソードを映像化した「チャプター1」にあたる。

金曜ロードショーで地上波初放送される。流血や人体切断といった残虐表現が多いだけでなく、卑猥な台詞も多いので、かなりのシーンがカットされるだろう。
金曜ロードシネマクラブ|日本テレビ
原作を未読な立場として感想を最初に書くと、良くも悪くも『学校の怪談』のような印象の作品だった。違いといえば怪物のデザインが醜悪になったくらい。


不気味なクリーチャーが大挙して登場するホラー映画だが、驚くほど怖さを感じない。
冒頭で排水溝から顔をのぞかせるペニーワイズからして、ありえない状況だからこそ映画的なフィクションとわかりやすい。幼い子供を傷つける描写も、無数に生えた牙で食いちぎるという、いかにもVFXを使った描写だ。
定石的なホラー演出なら、もっと観客の想像力を引き出すように怖がらせるところだろう。たとえば第三者の女性の視点をもっと活用して、幼い子供から目をはなした次の瞬間に消えている、といった間接的な描写などにして。
冒頭にかぎらず、子供たちがさまざまな場所で直面する恐怖も、すぐに正面から怪物が登場するので怖くない。雰囲気が出ていたのは、川原で草むらの奥にペニーワイズがいる場面と、中盤の廃屋前で白昼堂々と怪物があらわれる場面くらいだ。


しかし、観客に恐怖を感じさせることを目的とした映画ではなく、恐怖に対峙する子供たちを描いた映画と解釈すれば、これはこれで成立している。
この映画に登場する怪物たちは、子供たちが恐れるがゆえに直視できない存在を具象化したもの。ホラー映画で一般的な、直視しても正体がわからない恐ろしさとは正反対の存在なのだ。
だからこの映画に登場する怪物たちは、最初は断片的に映るだけでもすぐに全身をあらわし、子供たちを追いつめていく。対する子供たちも、少しずつ仲間と協力して正面から怪物に立ちむかっていく。
ペニーワイズと子供たちの立場が逆転するのは、直視しがたい過去の存在に近づいて、その正体を喝破した時から。多くのホラーは目を釘づけにされて恐怖に飲みこまれるが、この映画は目をそむけないことで恐怖に打ち勝つ。


身近な道具を武器に、ペニーワイズを集団で物理的に攻撃していくクライマックスは、『貞子3D』*1を思い出させ、滑稽だったりもする。
でもそれが、ひと夏の冒険らしいスケールに事件をおさめて、思い出に残る共同作業という雰囲気を生んでいるとも感じられた。
悲劇の直視と克服という通過儀礼をへて子供たちが少し成長するジュブナイルとして、古典的によくできた映画ではあったと思う。