法華狼の日記

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植村隆氏が誤報してから「32年」?

朝日新聞記者として従軍慰安婦問題を報じたことがある植村隆氏。責任を過大視されているが、特筆すべき記事は1991年の被害証言報道しかない。
『真実 私は「捏造記者」ではない』植村隆著 - 法華狼の日記

植村氏が記名で報じた記事は片手で数えられるほどしかなく、なかでも独自性のある記事は初の実名証言者を匿名段階でスクープしたものしかない。

ちなみに現時点のWikipediaでは直接的に聞いたかのような記述があるが、実際は被害者団体の保有する証言テープを聞いただけで、名前もわからない段階ゆえに匿名で報じるしかなかった。
金学順 - Wikipedia

インタビューして記事にした記者は当時ソウル支局勤務であった植村隆記者。この記事における『日中戦争第二次世界大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、』という記述から、韓国で「女子挺身隊」=「従軍慰安婦」という認識ができたとされている。

「挺身隊」の表現にしても、同時代の専門的な記述を引きうつしただけだ。「挺身隊」は証言者の自認としてつかわれた表現であり、植村氏の記事の影響が韓国の認識に影響をおよぼしたとは考えられない。そもそも直後に実名証言がスクープされたためか、匿名段階の植村記事は韓国では注目をあびなかった。


さて、そんな植村氏が従軍慰安婦問題にまつわる誤報を30年以上もつづけていたという批判が一部で、しかし継続的におこなわれている。

ツイートは文春報道から朝日検証がおこなわれた前後に集中し、2014年ごろから「32年」前の誤報として指弾されている。しかし1991+32=2023で、誤差を考慮しても計算があわない。
なぜこういう的外れな批判がされているかというと、どうやら1982年の吉田清治報道を植村氏がおこなったという事実誤認から責任を負わされているようだ。

吉田証言報道は朝日新聞では前川惠司氏らがおこなっていた。そうした「誤報」に対して、植村氏は「だまされた」という証言を伝えたことをはじめ、むしろ修正する側だった。
従軍慰安婦問題を否定するために認知がゆがみきった元朝日記者の前川惠司氏 - 法華狼の日記

前川氏こそが撤回されるような吉田証言記事を書き、その記事を1997年に事実上の撤回をさせた調査をしたのが植村氏であることを思えば、冗談のような内容だ。

もっとも、修正によって従軍慰安婦問題が史実として強固になっていったことから、植村氏が敵視される動機は見当がつく。それで事実誤認にもとづく攻撃を受けているならば理不尽なことであるが。