法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

北田暁大准教授の大屋雄裕教授に対する評価は明らかな間違い

「説得や意見表明を離れたデモにテロに似たところがある」という「ど真ん中の左翼」 - 法華狼の日記でとりあげ、大屋教授の主張から異議をとなえたid:zaikabou氏と北田准教授*1のやりとりだが。

しかし今回、まったく別件で北田准教授の主張に反する情報を知った。


まず[twitter:@flurry]氏が大屋教授の過去エントリを紹介し、それに対して大屋教授が「違いがわからない人々」と評し、そもそもflurry氏は違いを主張していないことを[twitter:@NakanishiB]氏が指摘する、そういうやりとりだ。

やりとりの内容そのものには踏みこまないが、先日に私自身が下記のように大屋教授から反駁されたことを思い出し、微妙な気持ちになった。

この大屋教授の主張を信じたのか、「言ってないことを読み取るマン」*2というコメントをしていたid:frothmouth氏だが、今回の大屋教授に対して同じコメントができるだろうか。


書いてないことを読みとる問題はさておき、紹介されている過去エントリを読んだところ、冒頭で大屋教授が明言していた。
他者の歓待 - おおやにき

保守を自任している人物に向けて「生活保守主義的」と言うことが批判として機能するのかどうか(挨拶)。「進歩的じゃない!」とか言っていればみんな畏れ入ってひれふした時代じゃないんだからさあ、つうか。

良し悪しではなく、北田准教授の大屋教授観が、そもそも大屋教授の自認に反していたわけだ。誤った先入観から低評価を生みかねないという意味で、北田准教授の評価は大屋教授に対しても失礼だと思われる。
また、zaikabou氏のいう「はてサ的パブリックエネミー」だが、そもそも大屋教授が保守ならば「はてサ」に限定せずとも左翼と対立するのは当然ではなかろうか。


ついでにzaikabou氏がひとくくりにし、大屋教授も「このラインナップに混ざれるのであれば私としては大いに光栄」*3と評したひとりの山形浩生氏だが、2005年に『マンガ嫌韓流』を下記のように高評価していたことがある。
Books of 2005: Sight

日本の残した各種制度やインフラがいまの韓国発展の基盤になっているのはまちがいないことなのだ。そして韓国はすでにそれを元にして、世界にいばれるくらい十分な発展をとげた。そろそろ当の韓国自身が、自分の発展の源がどこにあるのか、というのは冷静に考えたっていいんじゃないか。直接当時の遺恨が残っている人は仕方ないけれど、そろそろ世代もかわってきたし。日本でそうした本が出てきて、しかもそれが売れて基礎知識がいきわたるのはとてもよいことだ。

私は記憶していなかったが、2007年の時点でJodorowsky氏に批判的に言及されていた*4。植民地の発展が宗主国のインフラによるものという主張を、よりによって『マンガ嫌韓流』で基礎知識になることを歓迎するのでは、左翼はもちろん学問としても「パブリックエネミー」としてあつかわれるべきではないか*5

*1:ツイッターアカウントは[twitter:@a_kitada]。

*2:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20141105/1415213910でも質問したが、大屋教授が新たにツイートしたことなので、あらためて質問したい。

*3:http://twitter.com/takehiroohya/status/452454350384672768

*4:http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20071124#1195981589

*5:ちなみに菊池誠教授は、「なんちゃって左翼」を自認するツイートをしている。https://twitter.com/kikumaco/status/423819768957648897https://twitter.com/kikumaco/status/423823917057208320だ。たとえ「はてサ」に激しく批判されているのだとしても、大屋教授や山形氏と同列にくくられるのは、いくらなんでも失礼だと思われる。