パワーをつかいはたして、はぐたんが重篤な状態におちいってしまった。無力さを悔いる野乃だが、母や周囲が支えようとする。そしてついにキュアエールに変身できた野乃は、新たな力を手にするが……
坪田文シリーズ構成の脚本に、畑野森生が演出。アクション描写の素晴らしさが娯楽活劇としての見どころにとどまらず、クライマックスのドラマをきわだたせていることに感心した。
前回*1の挫折をへて、他者を応援するしかない無力な主人公が、周囲に応援を返されて再起していく。
そのような素直な展開の前半から、左遷部屋に収監されていた敵幹部チャラリートが怪物化して襲ってくる後半で、さらに意外な展開を見せていく。
プリキュアが武器を使うことがタブーということは良く知られている。
実体のある剣で敵と正面から戦ったのは劇場作品くらいで*2、TVでは剣の形状にした魔法的なエネルギーで切りむすぶのが限界だった。
そこで今回は剣型のアイテムで怪物を切りすてる……かに思わせて、苦しんでいるチャラリートの姿に気づいたキュアエールは攻撃を中断する。
そしてこれは「私がなりたいプリキュア」ではないと気づき、持っていた剣を浄化する楽器へと変化させる……
あくまでシリーズ通例の自主規制にそっただけなのかもしれないし、さらに主人公の挫折で話数を消費するわけにはいかなかったのかもしれない。
しかしクライマックスまでは、怪物を怪獣映画のように街中で暴れまわらせ、それもイメージですまさず建造物を破壊して妹と友人を命の危機にさらさせ、主人公の再起を爽快感たっぷりに描いたことも事実。
怪物が空間いっぱいに手足をふりまわしてプリキュアの仲間を蹴散らし、それに応じてキュアエールがふりかぶる剣の動きも素晴らしい作画だった。
そのまま怪物を切るのが当然の流れと思わせたからこそ、直前でブレーキをかけた主人公の自制心と倫理観で感動させられるのだ。怪物化の前にチャラリートの追いこまれた心情と立場をじっくり描いて、キュアエールの攻撃できない判断に説得力をもたらしたのも大きい。
ここまでくればスタッフが自主規制に屈したのではなく、ドラマの必然として物語に組みこんだのだと納得できる。