法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『バーフバリ2 王の凱旋』

栄華をきわめたマヒシュマティ王国。その国母シヴァガミに命じられ、先代バーフバリは諸国を漫遊して、次期国王として見聞を広めることとなった。
クンタラ王国についた先代は、女性ながら王族として盗賊退治をおこなうデーヴァセーナに惚れこむ。しかし王位争いで負けたバラーラデーヴァが先手をうち、デーヴァセーナとの婚姻を後押しするようシヴァガミに認めさせた。
マヒシュマティ王国とクンタラ王国は誇りをかけて衝突することとなり、先代とシヴァガミのたがいの誤解も確執を生んでしまう。さらに先代の周囲から仲間が脱落していく。すべてはバラーラデーヴァの策謀だった。
やがて先代が謀殺され、マヒシュマティ王国はバラーラデーヴァに支配された。しかし時をへて、息子バーフバリが、いくつもの試練をかいくぐり、仲間をひきいて進撃してくる……


バーフバリ 伝説誕生』の続編にして、完結編として2017年に公開されたインド映画。破格の予算をそそぎこみ、インドで歴代1位の大ヒットを叩きだしたという。
映画『バーフバリ 王の凱旋』完全版公式サイト

インド映画をまったくといっていいほど観たことがないので、良いところも悪いところも、この作品だけの特色なのか、インド映画の潮流なのかわからない。
それでも、インドの技術力と資本力を感じたことは確かだし、娯楽大作として普遍的に楽しめる内容だと感じられた。苦手なミュージカル演出も、視聴した短縮版では明らかなイメージシーンに1回あるだけで、他は素直に挿入歌でもりあげるだけなので見やすい。


また、高い評価を聞いて観賞したのはこの続編だけで、前編はいくつかの情報を見かけたのみ。単独でも楽しめると聞いたし、作品として完成度が上がっているという評価もあったからだ。
たしかに前半は先代の因縁を語る前日譚として独立しており、後半も前半までの情報だけで流れを追うことはできた。冒頭で描かれるシヴァガミの儀式が、時をへて再演されることの重みもよくわかる。それ以外でも、前日譚の描写を反復していくことで、伝説を実現する高揚感がわかりやすく、継承と発展のドラマとして見ごたえがあった*1
見ながら連想したのが、たとえば漫画『ベルセルク』などの、長期シリーズに組みこまれた前日譚だ。完結していて楽しみやすく、前日譚ゆえ描写をひきのばす無駄がなく、主人公格でも容赦なく転落させられる。ゆえに人気が集中しやすく、それ単独で映像化されたりもする。

そうした作品の前日譚は、長期シリーズの終わりが見えないからこそ、相対的に評価があがる側面もある。
しかし『バーフバリ2』は、前日譚が終わった瞬間、そのまま決戦に突入して、息つくひまもなくクライマックスを駆け抜けた。長い上映時間を飽きさせないどころか、尻上がりに濃密になっていった。


また、VFXを多用した時代劇的な大作映画として、期待以上によくできていた。
序盤は平面的に見えてしまう情景も多かったが、それもふくめてディテールが繊細で、劇場作品として通用するクオリティになっている。インド映画で最高の制作予算がそそぎこまれたことを考慮しても、さらに緻密なVFXを作れそうな余裕が感じられた。韓国映画VFXが、繊細さは作品を成立させるための最低限にとどめ、多彩なアイデアを効果的に実現することを優先していることと対照的だ。
VFXの見せ場も、架空の都市や地形や、アクションシーンの補助にとどまらない。動物CGは多彩でハイクオリティだし*2、バーフバリ父子の計略で戦場を動かすガジェットでもCGが大活躍。いかにもファンタジーらしい中盤のイメージシーンすら、セットとCGの境目がよくわからない。
3DCG群衆は、よく見ると動きが単純で、ポーズの種類が少ないのは残念。しかし後景や危険な撮影にのみ用いて、できるかぎり実物大セットとエキストラを活用しているので気にならない。クライマックスのメイキングを見ると、グリーンバックで後景を合成しているが、それがなくても戦争映画として成立しそうな撮影風景に驚かされた*3
Q&A with S.S. Rajamouli on 'Baahubali' from Baahubali 2: The Conclusion (2017)
もともとインドは映画大国であり、広大なオープンセットや多数のエキストラやスタッフが使えることから、ハリウッド映画なども外注している。さらに国家としてIT技術が世界的にもトップクラスとなった昨今、VFXなどでも活躍するようになったという。そうした映画産業の総合力を感じさせる完成度だった。


アクション作品としては、先代バーフバリの足跡をたどる途中までは日本の時代劇レベルだと感じた。主人公が斧や弓矢をつかう珍しさがあったくらい。
近年のアクション映画としては殺陣の動きが遅くて、カメラワークにも工夫がない。主人公たちが戦っている背後のエキストラは、あまりアクションにやる気を感じさせない。クンタラ王国へマヒシュマティ王国が攻めこんできてからも、オープンセットやVFXの規模感はすごいが、ファンタジー映画らしいデフォルメされた特撮にとどまる。
しかし先代バーフバリの描写は、船が飛翔する場面などもふくめて、あくまで劇中で語られる伝説としてとらえれば問題ない。すべてが劇中の事実だったわけではなく、先代をたたえる誇張された逸話をイメージとして描いたものだ。
そして現バーフバリがマヒシュマティ王国へ進撃してからは、一気に画面が現代的な水準へと引き上げられる。スローモーションや手持ちカメラで戦いを迫真的に撮影して、破壊されたオブジェクトが画面に舞いつつ、やりすぎたりうるさくなったりしない。後景のエキストラも手を抜かずアクションしている。カットも割りすぎず、引いた構図で戦いの全景をとらえて、戦場の奥行きと肉体の衝突が実感できる。
評判になった現バーフバリが城壁を越える方法も、それ単独では良い意味で笑えるだけだが、映画の流れで見れば世界観を逸脱せず、伝説的な伏線もはられている。父が樹木で城壁を降りたことの反転であり、庶民を助ける工夫の活用である。そこに困難を突破する爽快感と英雄への賛歌がくみあわさり、いやおうにも気分が盛りあがった。しかも越えるだけで終わらず、連続して主人公のアクションをもりあげる背景としても活用される。
奇策ひとつで一気呵成に勝利するのではなく、順当な作戦につないでリアリティを調節しなおすクレバーさもある。城内に突入してからも、不安定な足場で戦うシークエンスをくりかえして、アクションが単調にならなかった。


そして、先代が諸国をまわって見聞を広める前半は、物語としても良くも悪くも日本の時代劇を思い出させた。
正体を隠して世直しをするのはいいとして、あくまで王族ゆえの余裕で人助けしているだけで、しょせん社会制度の問題にまで目を向けることはない。きびしくいえば先代のありようは傲慢といってもいい。
そもそも先代が自身の正体を早々に明かしていれば、嫁取りをめぐっての戦争が起きなかったはずだ。先代はクンタラ王国を守り、マヒシュマティ王国と戦うわけだが、そこで名も無き兵士が無駄死にしていることには目を向けない。マヒシュマティ王国もまた傲慢に侵攻するわけだが、まだ国家全体が腐敗しているわけではなく、前線で戦う兵士に罪も責もないだろう。
しかし中盤からの、国母の妥当な選択が最悪な結果をまねきつづけ、先代ともども転落していくのを見ていて、庶民を理解できない覇王として先代を自覚的に描いているのでは、と感じられた。もともと世直し描写は短くて、転落後をあわせても、先代が庶民の立場を見聞できる局面は少ない。
先代はたしかに快活な性格だが、それで人間として好感をもてるかというと、どこか周囲から浮いている。デーヴァセーナの兄弟を助けて友人となるが、対等な関係はつくれずに、やはり最悪の結果につながってしまった。転落を決定づける家臣の裏切りを見抜けなかったのも、立場や心の弱い人間を先代が理解できなかったためだ。
覇王たる先代を真に理解できていたのは、たぶん魔王たるバラーラデーヴァだけだった。だからこそ人心をまどわして先代を孤立させる陰謀も成功したのだろう。


逆にいえば、子バーフバリがバラーラデーヴァに対抗できたのは、王族という身分を離れて庶民とともに育ったからだ。
クンタラ王国との無意味な争いと違って、祖国を解放するために必要な戦いだ。驚愕の城壁越えも、バーフバリが先陣をきるが、獣を利用した先代とちがって、兵士と対等な立場で協力し、さらに同志がつづいて突入していく。ただ英雄が地に足をつけるのではなく、仲間とともに飛躍したことが勝利へと結びつく。
最後に主人公が提示する国家のかたちも、ただ権力者が善政をしくだけの古典的な社会観ではなく、歴史劇なりに現代的にアップデートされている。それが父の限界と挫折を息子が乗りこえたドラマとしても成立していた。

*1:ただし、いくつかの思わせぶりな描写は前編を前提としているようで、やはり物語を細部まで楽しむには前編も観ておくべきだろう。

*2:飛ぶ鳥の羽毛が細かくふるえていることには感心させられた。

*3:インド映画のため、公式にアップロードされたメイキングの判断が難しいが、とりあえずIMDBならば問題ないだろう。