法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

朴槿恵前大統領と韓国自体を同じようなものと認識しているBeriya氏の不思議

現職の大統領であっても、その「利益」をそのまま韓国という枠組みにとっての「理由」と同列視はできまい。前大統領ならばなおさらだ。

そういうBeriya氏自身はというと、直前に「国家への裏切り」という主張からナショナリスティックな枠組みを見いだしている。

そもそも元発言が特定されていないため、「国家への裏切り」とは、朴槿恵政権を愛国的だという評価への皮肉ではないかと疑ってしまう。
それぞれの立場における枠組みを考察することは、その枠組みを絶対視することではない。


また、日韓合意の検証に対して、「当然にある」ことと「問題なのはそれ自体ではなく」を混同したツイートもしている。

ここでのBeriya氏の主張は、最も安易な現状追認と区別がつかない。その現状の把握にしても、朴槿恵政権の支持を残す韓国メディアの意見ではなく、国際社会の懸念を引けていないのが説得力を欠いている。
そもそも日韓合意における密約が、誰に対して利益をもたらし、誰に対して秘密にする必要があったのか、具体的な認識にもとづいて考察されているようには見えない。当事者に受けいれてもらうべき合意に隠された条件があったことを、交渉において秘密も必要という一般論で正当化できるだろうか。当事者の時間が限られており、まさに「歴史」の忘却を求めるような外交が、「歴史」になるとはどのような時期を指すのか。
密約が当事者への不利益につながる場合、その密約を隠しつづける正当化や、密約そのものの正当化がどのように可能か。いつでも被害者になりうる個人からすれば、被害者を抑圧するような国家間の密約が今後にむすばれないだけであれば、それは歓迎できる事態だ。逆に、解決における密約を正面から正当化するならば、どのような解決策を示しても密約の可能性を疑われて納得されなくなるという理屈もなりたつ。
密約を正当化するのは誰の視点で、いったいBeriya氏はどこに立脚しているのか。


こうしたBeriya氏のツイートを見ていて、MValdegamas氏*1がトップにかかげている下記ツイートを思い出した。

もちろん、たとえばBeriya氏が民主主義の信奉者であるならば、一家言あろうとなかろうと社会に対して主張することそのものは当然の行動ではある。もっとも民主主義の信奉者ならば、政権交代などでさまざまな政策の妥当性が検証されるのも当然という認識をもってしかるべきだろう、とも思うが。おそらくBeriya氏にしても、「適当な時間」に「適切に公開」された材料だけで外交を語っているわけではあるまい。

*1:はてなアカウントはid:Donoso