法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

ふたつの意味の「歴史修正主義」と、代替できる言葉

歴史修正主義者」より良い言葉があれば、それが定着すればいいと思うことはある。
「修正」しないことが歴史修正主義になることもある - Apeman’s diary

歴史修正主義」に代わる適切な用語を提案してそれを定着させるべく努力してくれるというのなら実に結構なはなしなんですが、まあ日本でこの用語にケチをつけるやつの9割9分9厘はろくでもないやつです。「歴史修正主義」のパラダイム的な指示対象としてはホロコースト否定論があり、そこからのアナロジーによりこの用語の有効な使用法について有効なコンセンサスを得ることは容易だ……という事実を無視することによってのみ可能になるケチだからです。

コトバンクでは大辞林の項目だけが引っかかる。それも価値中立的な記述であって、その態度が見直しそのものを優先するため学問的な手続きを軽視することまでは明言していない。
歴史修正主義(れきししゅうせいしゅぎ)とは - コトバンク

ある歴史的事象について定着している評価を一面的とし,その見直しを要求する理論的態度。

ちなみに私個人は「歴史修正主義」という言葉を使わなくなっている*1。とりあえず主義ではなく主張そのものを批判しようと思って、偽史という言葉を使うことが何度かあった。
最近では国家的責任が問われる過去を否認する主張に対して、話題ごとに従軍慰安婦問題否認論といった言葉を使ったりする。たいていが従軍慰安婦の実在そのものは認めていて、その責任や問題性を否認したり矮小化することが多いので、「従軍慰安婦問題」まで書かなければならないのが面倒だが。


しかし、すでに流通している言葉について、あたかもインターネットの一部だけが固執しているかのように評価されているのは、よく意味がわからない。
それは[twitter:@Beriya]氏による一連のツイートだが、時期と表現から見てApeman氏のエントリを念頭においた批判だろう。

国外の問題に語源がある言葉を国内の問題に適用する「アナロジー」が許されないというなら、「あの辺りの界隈以外で使われている"historical revisionism"」を国内に持ちこむことも同じくらい「アナロジー」ではないのか*2
そうでなくても本来が国外の言葉だというなら、どちらかが新しい訳語で定着すれば混同をふせげるだろう*3。Beriya氏の理屈は、南京で起きた事件は複数あるし歴史的に古い呼称だからといって、南京事件ではなく南京大虐殺と呼称するべきというようなものだ。


さらに厳然として、日本の大手新聞でも、国内の動きに対して歴史修正主義という言葉が用いられている。
はてなブックマーク - 特集ワイド:安倍首相の「反米度」測ると 歴史修正主義的発言次々、近い支持者の極論に同調、信頼回復狙い親米的政策 - 毎日新聞

歴史修正主義とは、例えばドイツ極右勢力がナチスユダヤ人大虐殺を否定するなど、自国や自説に都合が良いように歴史を焼き直すことだ。

今年のニューヨークタイムズ社説で安倍晋三首相を「危険な修正主義」*4と評したりと、国内に限っているわけですらない。
Mr. Abe's Dangerous Revisionism - NYTimes.com
一方、「否認主義」は大手新聞で掲載された事例が見つけられなかったので何ともいえないが、今のところコトバンクでも引っかからない。
ただ安倍首相に対するワシントン・ポスト社説の引用として時事通信記事に出てきたことがある。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201402%2F2014021200624

歴史認識をめぐるNHKの籾井勝人会長と百田尚樹経営委員の発言を「破壊的な歴史否認主義だ」と問題視し、安倍晋三首相は2人の見解を明確に非難すべきだと主張する社説を掲載した。

WEB上の英語辞書でも引っかかる。これから定着していくかもしれない、といった段階か。
否認主義の英訳|英辞郎 on the WEB:アルク

否認主義者
denialist〔世の大勢となっている学説や理論を科学的根拠なく過激に否認する人。〕

つまりは、冒頭で引用した「代わる適切な用語を提案してそれを定着させるべく努力してくれるというのなら実に結構」ということ。


むしろ疑問なのは、Beriya氏がインターネットの一部用法であるかのような前提で批判していること。新聞の各記事にこそ目を通さずとも、ある程度まで用法として確立していることくらい知っていそうなもの。まさか国内外のメディアで「歴史修正主義」という言葉で批判された時、インターネットで誰も意味を理解できなくなることが望みというわけでもないだろう。
もちろん歴史修正主義の用法を限定させたいと願うことは自由だ。たとえば東京裁判史観と大東亜戦争史観の双方を批判すると称して自由主義史観研究会が発足した当時、「自由主義史観」は既存の訳語だから異なる名称にしてほしいという願いを見た記憶もある。歴史修正主義に対しても同じような意見があることも不思議ではない。実際そうした願いで用語が変化していくことはある。
しかし、そこで主張するべき対象はインターネットの一部などではなく、もっと広い社会だ。2013年にBeriya氏は下記のようにツイートしていたが、たとえ「原因」があるとしても過ちでなければ改める義務などないし、2000年以前から存在する用法について現在の個々人は責任などとれないだろう。

残念ながら下記ツイートを見るかぎり、新しい用語を定着する努力をBeriya氏自身に期待することは難しそうだ。

さらに疑問なのだが、「否認主義者」を自称しているのは誰なのだろうか。自称でない言葉を使うことがふさわしくないというならば、より難しくなるように思うのだが。


最後に、現在までの日本における動きを「歴史修正主義」と同じく自称から引くと、やはり先述した「自由主義史観」になるだろうか。どちらも自称から引いているため、字面そのものに批判の意味あいがほとんどなく、誹謗中傷ではないことを明らかにできることが長所か。
しかし自由主義史観は、関係者が内紛と分裂をくりかえしながら異なる団体を作りつづけているので、いまひとつ忘れられていっている感覚がある。実際は現在でも活動をつづけているのだが。
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*1:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20121018/1350595344の末尾で意図を説明した。

*2:ちなみに2000年に出版された高橋哲哉『歴史/修正主義』は、国内外の動きをグローバルな現象ととらえているというが、未読なので何ともいえない。https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/6/0264340.html【90年代後半に登場した日本版歴史修正主義.「悔悛のグローバリゼーション」といわれるほど広がった歴史の負債を「清算」する動きに対し,修正主義の台頭もまたグローバルな現象である.冷戦終結後に突出した「民族」とナショナリズム−その激化する《記憶の戦争》に分け入って,歴史の中でどう判断すべきかを考える.】

*3:実際、スマラン事件という従軍慰安婦強制連行事件について、同じスマランで起きた別の事件との混同をさけるため、差別的な意味をふくむ白馬事件を選ぶことも個人的にあった。

*4:時事通信の紹介記事の翻訳より。http://www.jiji.com/jc/zc?k=201403/2014030400857