全世界にゾンビが蔓延した後、テキサス州に自分なりのルールを決めて生きぬくオタク大学生がいた。
両親の住むオハイオ州へ移動していたオタク大学生は、タラハシーと名乗る荒くれ男と出会う。
コロンバスと名乗ることにしたオタク大学生とタラハシーは、ふたりで東へ向かうことに……
ゾンビ映画を自覚的にパロディした、2009年に公開された米国映画。ルーベン・フライシャー監督はこれが初長編。
- 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
- 発売日: 2013/09/03
- メディア: Blu-ray
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1時間半に満たない小品だが、それゆえテンポ良く展開が転がりつづける。メインキャラクターはジャケットの4人だけだが*1、その心身の距離が縮まり離れる過程で、ちゃんとドラマとして楽しませてくれる。全てが終わった後、タラハシーの他者への態度を思い返すと、傲慢と裏腹な哀しみを感じられたりもする。
しかし低予算という印象はなく、放棄された車列や荒廃した街などで、しっかり終末後らしい情景をつくっている。よくよく見ると合成は雑だったり、スローモーションまかせだったりするが、コメディチックな世界観に応じているので許せるところ。空中にテロップが浮かぶ3DCG表現も楽しい。
ところどころに立ち寄るだけのロードムービーゆえに、お約束となったショッピングモールとはまた違った開放感を楽しむ場面もある。社会が崩壊したために束縛からも自由になったという一面を、嫌味なく見せていく。
肝心のゾンビは小走りできるぐらいのスピードで、窓ガラスを割るくらいの力があったり、ドアノブを回して開けられるタイプもいる。
コロンバスがとにかく慎重だったり、タラハシーの身体能力が異常に高かったり、銃火器でしっかり武装しているので、ゾンビを強くしないとサスペンスが生まれないという判断だろう。
結果として、直面した時の敵としては脅威度が高くなく、あくまで社会を荒廃させた原因の痕跡として少数のゾンビが彷徨している。考えてみれば食べられる人間がいなくなれば街から離れるのも当然で、それはクライマックスでも暗示されている。
もちろんゾンビの襲撃で切迫する局面も出てくるが、あくまでライトなコメディなので期待しすぎてはいけない。
そしてゾンビ映画のパターンを考慮したルールにそって行動するコロンバスは、先日に話題となった下記の匿名エントリに通じるところがある。
バカがいないゾンビ物が見たい
ルールが映画と同じ32という時点で偶然とは考えにくく、『ゾンビランド』を鑑賞していなくてもどこかで情報を知っていると思われる*2。
もっとも、この匿名エントリは映画と違って、冒頭でいきなり破綻している。1番目の条件を課すことが、3番目でいう「無理を言う自己中心的な奴」に当てはまる自覚がないらしい。
特殊な技能を持っていない老人、子供は見捨てる
ゾンビ相手に調子に乗る男も、パニックを起こす女も見捨てる
仲間割れが起きる前に相談。解決できる問題は話し合いで解決しておく。無理なら諦めてもらう。無理を言う自己中心的な奴は見捨てる
もちろん物語の主人公は特権的な存在ではあるが、その特権性を認識して主人公が行動することは「バカ」に限りなく近い。下記ルールのように仲間を有用なリソースとだけ利用しようとしても、さしだすものがなければ主人公が見捨てられるだけだ。
トイレ、シャワーなど単独で行かず二人組で行動する
対するコロンバスの1番目のルールは、有酸素運動。つまり小走りできるゾンビから逃げられる肉体をつくるという、まず自分自身をきたえる方向性だ。
また、匿名エントリとコロンバスのルールが共通する部分もある。ホラー映画のパターンを意識している下記が代表だ。
先客が居るショッピングモール、ホームセンター、病院には近づかない
車に乗る前に後部座席を調べる
ただしコロンバスはこうした慎重な行動を必ずとれるわけではない。たとえば脱出路を用意することは、進入路を作ることとバーターだ。その難しい判断がサスペンスをつくりだす。
もちろん匿名エントリも、そうしたバーターでのルール同士の衝突ならば、登場人物を「バカ」と思うことはないだろう。
しかしコロンバスの有能な同行者となるタラハシーは、コロンバスの作ったルールを守らない。その自由なふるまいは全てルールの逆をいっているようで、それなりに成功していく。人的リソースが減少していく状況において、弱者を見捨てることを優先していけば、最終的に自分が最弱者となる。有能な仲間だけ残した時、より弱い立場から主張したルールを守ってくれるとは限らない。
だからコロンバスはタラハシーに個人のルールを押しつけないし、やがてコロンバス自身も仲間のためにルールを破っていく。それが孤独だったオタク少年の、崩壊する世界にあらがう再生のドラマとなる。