上野千鶴子氏のいう「おひとりさま」は、社会から孤立するススメではなく、家族以外の選択肢も増やすことのススメ - 法華狼の日記
はてなブックマークでも疑問や反発が多く、「おひとりさま」という選択が、選択肢が多い富裕層ならではのものだという解釈も散見される。
「おひとりさま」の語義解釈という論点をタイトルで明記した上記エントリ*1に対して、他の論点を無視していると批判する匿名記事があり、複数の同調者をあつめていた。
法華狼さんと勝ち組のためのフェミニズム
無名の人(色川大吉の一人目の妻)をではなく、勝ち組の著名人(上野千鶴子)を守るために奮闘する法華狼さんのような人を見て「嗚呼、やはり日本のフェミニズムは、強者や勝ち組のためにあるのだな」と再認識したというだけのことである。
私は文春記事で報じられた全論点において上野氏を擁護すると宣言したわけではないし、その意図もない。私は上野氏の友人ではなく、熱心な読者でもなく、むしろ興味関心ある分野で対立してきた*2。
あくまで当該エントリは文春記事で象徴的に提示された「おひとりさま」という語句の解釈を論点にしている。その論点において擁護していると解釈することはできても、上野氏という個人の全人格を擁護するような内容ではない。
後述のように、当該エントリの時点で他の論点に言及することは、それこそ富裕層ではない私には困難だった。
匿名記事は書いていないことを読みとっているだけでなく、当該エントリで論点にした部分の解釈も誤っている。
法華狼さんは「上野千鶴子は、自由で新しい生き方を提示しただけだ」と言う。
どこで私がそのような主張をしたのだろうか。なぜか匿名記事は私のエントリではなく、はてなブックマークにリンクしているが、当該エントリで私は下記のように書いた。
上野氏のいう「おひとりさま」とは、積極的に選ばずとも、いずれ誰もがなってしまうものなのだ。文春記事で報じられた現在のように。
少し前の政府がつごうよく使用した言葉でいえば、上野氏は誰もが「自助」におちいる最期を実感して、夫婦という小さな「共助」も限界と指摘して、家族より広い「共助」と充実した「公助」を求めていた。
細部には疑問があるものの、大枠では社会が直面している状況を正確にとらえた主張だと思えるし、上野氏が数年間の結婚で死別した現在が自己否定になるとは思えない。
「おひとりさま」は「自由で新しい生き方」ではなく、現代社会で多くの人が必然的にたどりつく状況と私は読んだ。
時代の変化にともなう「新しい生き方」とは表現できても、「自由」とは思えないし、そう誤解される文章を書いたつもりもない。
匿名記事や同調者は当該エントリのどこからそれを読みとったのだろうか。
そして匿名記事は当該エントリに書いていない解釈を土台に、下記のように想像をたくましくしている。
法華狼さんによる上野千鶴子を擁護する論説が欠いているのは、色川大吉の一人目の妻の立場に立つことである。欠いているというより、意図的に且つ徹頭徹尾、彼女のことを消去・無視していると表現した方がよいかもしれない。
当該エントリから欠落した理由は後述するとして、論点をしぼれば他の論点が欠けるのは一般的だ。上野氏を全面的に擁護するのであれば広い論点を押さえるべきだろうが、当該エントリはそのような内容ではない。
たとえばドナルド・トランプ氏やイーロン・マスク氏の女性観や対人思想を論じる時、「不倫」について言及することが常に必須というのだろうか。匿名記事は確認しようもないが、同調者はそうしてきたのだろうか。
トランプ氏と不倫後「手を引け」と脅された=米ポルノ女優 - BBCニュース
イーロン・マスクがグーグル共同創業者の妻と不倫、大問題に | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
一例として、匿名記事へのはてなブックマークにおいて、「冷めた」*3という理由で私への応答をやめたid:kuzumimizuku氏が、下記のようにコメントしていた。
kuzumimizuku 納得感ある。擁護する側は批判する側に向きあって「誤解」「自由で新しい生き方を提示しただけ」と反論するのではなく、誤解してた人、あるいは『自由で新しい生き方』に影響を被った人と向きあうべきだと思う。
念のため、他人にだけ応答責任をもとめるkuzumimizuku氏はともかく、別の論点にも言及してほしいと要望するだけなら一般的に自由ではある。言及の有無から党派性を見いだすことも必ずしも間違いではない。
しかし、あらゆる論点に同時に言及する義務があるような状況はきわめて少ないし、私の当該エントリがその状況に当てはまるとは思わない。
しかも匿名記事のもちだした論点について、匿名記事自身が無視していることが複数ある。
まず、匿名記事そのものが当事者として存在する男性との権力関係を無視している。怪談で女性の怨みが浮気した夫ではなく浮気相手に向けられがちな問題のように。
色川大吉の一人目の妻は、既に亡くなっており、謂わば「死人に口無し」である。それに対して、上野千鶴子は存命であるし、何よりも東大の教授という華々しい地位・肩書もあれば、マスメディアとのコネも持っている。「権力勾配」という左派の人たちが好む表現を使えば、二人のどちらが権力に近いのかは、一目瞭然のはずである。
実際の事実関係はともかく一般的に考えるなら、パートナーのいる人物が第三者と性的関係をもった時、その「不倫」をおこなう選択の責任はパートナーのいる側にあるだろう。
文春記事の全体を読むと「上野さんのほうから交際を申し込んだんじゃないかな」と扇田孝之氏が想像しているが、もし問題のある関係ならば妻のいる男性側が断ることもできたろう。逆に、パートナーのいる時期に相手と「不倫」をおこなうため権力を行使したなら、それこそ「不倫」をせまられた当事者はそのパートナーより重視されるべき被害者だろう。
上野氏の相手とされる色川大吉氏は高齢の有名教授で、上野氏になんらかの強要をされたわけではなさそうだ。そして色川氏のパートナーが、上野氏との上下関係が自明とは思えない。社会的な立場が高い上野氏が上の可能性も高い、くらいまでだろう。
なお、上野氏が富裕層にあたることまでは当該エントリで下記のように言及している。そのうえで上野氏より弱い立場であれば、いっそう「おひとりさま」になりやすいことを指摘した。
「長寿社会」「手厚い介護」と表現しているところは、2008年当時でも富裕層の感覚だろうとは思える。
結婚しないほうが多くの人間関係を構築できる……そのような考えができるのは、新たな人間関係を構築しやすい裕福な立場ゆえという可能性は考えられる。
当該エントリは、上野氏が富裕層と指摘されるほど補強されるような構成にした。上野氏と当該エントリを同時に批判したいなら工夫しなければならない。
また、上野氏が「勝ち組」*4という見解にいたっては、著作で勝ちにいくと匿名記事が「予測」しているだけ。
こういった上野千鶴子の生き方もビジネス戦略も、彼女の好きにすれば良いと思う。それらにより招くであろう世間からの反発も、全て覚悟の上だろうし、上野千鶴子から見れば負け組である一般人が何か言っても詮無いことである。
現実には週刊文春が上野氏について報じて、その表現の受容を見た私が語義解釈をめぐる当該エントリを書いた。その後から匿名記事が予測したものを同じように私が予測して、それが実現することを前提に文章を書かなければならないというのは無理がある。
なお、上野氏自身の応答は3月15日発売の婦人公論でおこなわれるとのことだが*5、上野氏自身の説明をもとめる意見もある以上、もはや上野氏が発信すること自体を匿名記事が責めることは難しいだろう。週刊文春が先に報じた時点で、良くも悪くも匿名記事が「予測」したような上野氏の一方的な見解が流布される状況ではなくなった。
上野氏の応答がどのようなものかはわからないが、文春記事とは異なる事実が主張されるかもしれないし、逆に私の記事解釈の誤りがわかるかもしれない。しかしそれだけでは当該エントリの語義解釈を左右しない。
次に、そもそも文春記事の無料範囲では、色川氏の名前も既婚者という情報も存在しなかったことを匿名記事や同調者は忘れている。
“おひとりさまの教祖”上野千鶴子(74)が入籍していた | 週刊文春 電子版
当初の反応も「不倫」への言及はほとんどなかった。はてなブックマークで確認すると、色川氏の言及は70以上のコメントがあつまった後、特に色川氏のパートナーにふれないid:synonymous氏のコメントが初めてで、それ以降も「不倫」という解釈のないコメントがつづく。
[B! 上野千鶴子] “おひとりさまの教祖”上野千鶴子(74)が入籍していた | 週刊文春 電子版
当該エントリで引用した著名人のツイートも「おひとりさま」について上野氏をとがめようとする内容ばかりで、「不倫」に言及していない。特に唐沢俊一氏は「彼女を信じて結婚しない人生を選択した人たちにどう釈明するか、だよな」が「注目点」としている。はてなブックマークから引用した複数コメントも「おひとりさま」の解釈を重視していた。
色川氏のパートナーを「意図的に且つ徹頭徹尾、彼女のことを消去・無視している」主体があるとすれば、それは公開範囲を判断した週刊文春だ。匿名記事や同調者はその時系列を無視しているし、その公開範囲によって生まれた反応も無視している。
私が当該エントリを書きはじめた時点で上野氏の相手が既婚者とは知らなかったし、公開した時点でも文春記事は無料範囲しか読んでいない*6。そのため上野氏を「結婚で死別した現在」と不正確に記述したくらいだが、「おひとりさま」の原義の説明が「不倫」の有無で変わるようには思えない。
有料範囲まで読んではじめてわかる「不倫」への言及が、それに言及していない解釈を論じるにあたっても必須であるかのような主張は、それこそ上野氏を批判したいがための党派的な態度ではないだろうか。
そして、匿名記事と関係なく後日に文春記事全体を読んだが、「不倫」について当該エントリへ補足する必要は感じなかった。
文春記事では匿名の知人証言で「周囲から不倫関係だと揶揄されたこともあった」と間接的な伝聞証言がされているだけで、断定をさけた筆致に読める。地の文では「二人の関係は、周囲には男女の間柄を超えたものに映っていた」とも書かれている。「不倫」かどうかわからないどころか、性的関係かどうかもはっきりしていないのだ。
コメントをとった長男にいたっては「不倫関係ではない?」と問われて、「それはないと思いますけどね。何か志を同じくしていたんじゃないですか」と否定する思いを表明している。
あまり同種の記事を読まないので感覚がつかめないが、不倫や略奪婚と予想して取材したが裏取りが充分できず、「おひとりさま」ではなかったという方向でまとめたのではないかと感じた。もし「不倫」を確信していたなら、もう少し無料範囲で示唆して読者を課金へ誘導した気がする。
いずれにしても、匿名記事の表現を借りれば、匿名記事や同調者こそ子供を「意図的に且つ徹頭徹尾」「消去・無視している」ことになる。私と違って有料範囲まで確認できているはずだろうから。
もちろん家族であっても死者の考えを安易に代弁することはできないが、ならば匿名記事や同調者はいっそう代弁が難しいと考えるべきだろうし、「不倫」を論じるならば子供も当事者のひとりだろう。
逆に、結婚制度をつかったと解釈して上野氏を批判するなかに、当該エントリや匿名記事に対するid:miruna氏のはてなブックマークコメントがある。
[B! 上野千鶴子] 上野千鶴子氏のいう「おひとりさま」は、社会から孤立するススメではなく、家族以外の選択肢も増やすことのススメ - 法華狼の日記
miruna クソみたいな擁護。婚姻制度は家間の人身売買の残滓でしかなくしかも税制などにおいてはシスヘテモノガミーの既得権益であり、それを富裕層のフェミニストが利用している時点で完全に悪。タックスヘイブンと同じ。
miruna 自由な新しい生き方というのがシスヘテモノガミーの税制等においての既得権益を悪用することなのだからどうしようもない
miruna氏は結婚制度を利用したという前提で上野氏を批判しているが、まさに匿名記事を受けてなお元妻について「無視」している。こうしたコメントを読んでも、匿名記事の論点をおさえることが必須とは思えない。
逆にmiruna氏のコメントは不倫とされる関係はフェミニストであれば批判するべきではないと主張しているようにも読めるし、色川氏のパートナーも婚姻者として批判対象にされているようにすら読める。私は「不倫」は社会道徳より関係者の理解や合意を重視するべきだろうと思っているが、良し悪しはともかくmiruna氏よりは匿名記事と対立していないとも思っている。
くわえて、事実認識でmiruna氏も匿名記事も文春記事を読み誤っている。文春記事が確認できたのは、共同でもっていた物件の色川側の持ち分を上野氏が「相続」したところまで。婚姻ではなく養子縁組した可能性も指摘されている。
そもそも上野氏が婚姻したかどうかもわかっていないし、いつ「入籍」したのかという時系列もはっきりわかっていないのだ。私も文春記事の有料範囲を読んでいれば当該エントリで「結婚で死別した現在」という表現にはしなかっただろう。
良し悪しはさておき、制度に反抗する手法はふたつある。その制度をいっさいつかわず拒絶するか、その制度を想定以上に利用するかだ。今ならマイナポイントを獲得した人間がマイナカードを批判しても良い。
友人と養子縁組をむすぶ手法は『おひとりさまの老後』から上野氏がとりあげているし、現在の社会制度でも「シスヘテモノガミー」でなくても利用できる。物件をもっていること自体が富裕層の特権だと主張するのであれば入籍とは別問題だろうし、多くの人間がつかえる制度をフェミニストがつかう時だけ特権になるというのであれば厳しい。
ちなみに、相続の書類で「上野千鶴子」と記載されているらしいことから、仮に養子縁組ではなく婚姻制度を利用していたのだとしても、法的な関係は一時的にむすんだだけらしいことも文春記事で示唆されている。これも「不倫」を前面に押し出す内容にしなかった理由だろうと感じているが、先述のように不倫記事の通例を知らないので想像ではある。
最後に、このようなエントリを書いたのは、匿名記事へのはてなブックマークでid:develtaro氏やid:orisaku氏が応答をもとめるようなコメントをしていたことが一因だ。
develtaro このような意見は同じように無視し無かったことにするのがあの人たち
orisaku 法華さんのアンサーが待たれる
しかし私の「予測」では、匿名記事の筆者こそ無責任に一方的に主張したかっただけで、おそらく私のエントリにきちんと応答することはないだろう。
私に無視されないことを求めるならば、私に認識される手段で文章を書いたはずだ。当該エントリではなく、はてなブックマークで間接的にリンクしたのも、アクセス解析から気づかれることをふせぐためかもしれない。
その意味では、一方的に認識を表明しただけというid:anmin7氏の解釈が正解なのだろう。それはanmin7氏もふくめて色川氏のパートナーを本心では気にかけていないということでもあるが。
anmin7 そう、増田と同じく「そういう奴なんだな」って認識するだけ。
事実として、文春記事へのはてなブックマークにおいて、anmin7氏は下記のようにコメントしていた。色川氏のパートナーへ言及しないことが意図的とはかぎらないと、本当はわかっているのだ。
anmin7 敵なんだけど、素敵な話ね。
*1:以下、「当該エントリ」と表記する。
*2:hokke-ookami.hatenablog.com
*3: この人の立ち位置がよくわからないのだけど(まあ、匿名の自分もお互い様か)、この人と意見を交わしたり、論破したり論破されたりしたところで現実の問題が解決するわけではない、と自覚してから、冷めちゃったな。 / “法華狼さんのColabo応援記事を心待ちにしている。” https://t.co/j0CYbbdexj
*4:ここでの匿名記事の表現選択の意図は理解できるが、婚姻の話題であればパートナーのいる側が「勝ち組」にあたるのではないかと思う。
*5: 「文春砲」なる下劣な報道が出た。ふりかかった火の粉は払わなければならない。反論を3月15日発売の『婦人公論』に書いた。興味があれば読めばよい。
*6:ちなみに私が当該エントリの公開前に認識できた著名人による「不倫」の言及は木曽崇氏によるツイートだけだった。上野氏のキャリアをを無視して「誰だよ、あんなんを東大の教授にしたのは(って、元旦那か)」と書いている時点で事実認識がうたがわしかった。そして文春記事を確認すると、色川氏は東経大教授なので上野氏が東大教授になった経緯にかかわれたとは思えないし、そもそも出会ったのは上野氏が東大助教授になった後のようだった。
上野千鶴子がポジショントークの塊でしかないってことは、僕は昔から言及してきたけど、まさか長年の不倫相手の正妻への当てつけで結婚制度を否定し、「おひとり様」を主張し、正妻が亡くなったらまんまと結婚してていたとは。。誰だよ、あんなんを東大の教授にしたのは
(って、元旦那か) https://t.co/ZbZgKkb5go