法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『相棒season15』第16話 ギフト

末期癌治療のため入院していた快楽殺人鬼、北一幸が停電の隙に脱走した。監視していた刑事のひとりは懇意の女性と連絡するため席を外しており、もう一方の刑事は殺されて顔を切り刻まれた。
さらに北が逮捕前にリストアップしていた女性、有村が死体となり、顔を切り刻まれて冷蔵庫で警察に送りつけられる。警察は女性の保護に全力をつくすが、杉下は異なる角度に注目する……


番組情報や冒頭では、伊丹に逮捕されたという北の因縁が語られていたが、何のエピソードだったか思い出せず。捜査が始まって陣川との因縁が語られて、ようやく前シーズンの第12話のことだったかと思い出した。
脚本も同じ真野勝成。2時間SPではそのエピソード限りの異常な犯人を出しては使い捨てて、あまり脚本家として良い印象を持っていない*1。しかし今回は最初に異常な犯人を成立させてから、じっくり謎解きを展開していったから、異常犯を主軸とした構成は同じでも印象は良い。


さて、人のために罪をおかすことに快楽をおぼえるようになった北は、ある意味では杉下に近い。だから杉下は北が快楽とは異なる目的で殺人をしている可能性を追及していく。追う側と追われる側の精神が同化していく展開は、サイコサスペンスの定石のひとつだ。
北が誰の復讐を代行していたのかという謎解きから社会的マイノリティの苦難が描かれたかと思えば、有村の行動が社会に居場所がない人間のひとつの典型だったりして、社会派的な目配せも充分*2
美しい女性の顔を傷つけるという快楽殺人の法則を敷衍して、なぜ有村が一着だけ体の線を出す服を持っていたのか、なぜ監視していた刑事の顔も切り刻まれたのかという心理的な謎解きも明解。ゴールデンタイムの刑事ドラマとしてギリギリの死体描写ともども、サイコサスペンスとしてよくできていた。
好みとしては、北が“殺す”のは監視していた刑事と有村だけにして、他の被害者は性器を切りとるくらいで殺しはしないという構図にすれば、より快楽殺人鬼なりの法則が明確になったかもしれない。


はっきり残念なのは、ほとんど伊丹が相棒としてふるまっていて、冠城に存在意義がなかったこと。普段は興味本位で杉下を活躍させようとして物語を転がしていくからこそ、杉下ですら熱心にならざるをえない事件においては出番がなくなる。思想の方向性に違いがないので、最後の説教で杉下と異なる視点から主張したりもしない。これがたとえば亀山ならば、相棒初期に体験した事件の関係もあって、良心を正しく発揮できなかった快楽殺人者の愚かしさを悲しんだかもしれない。対立する思想が劇中に存在しないので、杉下の断罪が事件のピリオド以上の意味を持たない。
陣川も今回はロンドンに研修へ行ったまま、とぼけた連絡で最後に物語を日常に回帰させるだけ。俳優のスケジュールの関係か、顔も声も出てこない。今回冒頭で日本の警察に復帰していて、いつものように有村に惚れていれば、後味が悪くなってサイコサスペンスとしての印象が強まったかもしれない。

*1:『相棒season15』第10話 帰還 - 法華狼の日記

*2:便利な連絡役に使われただけの弁護士は、もっと弁護士なりの思想が見えてほしかった感はあるが。