法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

国有地取得問題でゆれている瑞穂の國記念小學院の公式サイトを見て、知識つめこみ式の教育機関としてすら期待できないことを感じる

教育勅語を暗唱させていることで有名で、反医療主義や差別主義で悪名高い塚本幼稚園。
自然の力のみに子供の病気をまかせようとする幼稚園 - 法華狼の日記
教育勅語賛美な幼稚園が、御都合主義的に排外主義的な陰謀論を展開していた - 法華狼の日記
同じ学校法人森友学園が私立小学校を建設するにあたって、不自然な安値を公開せず土地を購入した疑惑が追及されつつある。
学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か:朝日新聞デジタル

財務省近畿財務局が学校法人に払い下げた大阪府豊中市内の国有地をめぐり、財務局が売却額などを非公表にしていることが分かった。朝日新聞が調査したところ、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1だった。

補助金とくみあわせると収支としては黒字にまでなっていることを、弁護士のid:nabeteru1Q78氏がYahoo!ニュース個人でまとめている。
森友学園の国有地取得の収支(渡辺輝人) - 個人 - Yahoo!ニュース

建設中の建物に対する補助金も含めると、10年後に全部払い終わった時点でも森友学園の国に対する収支がプラスになる計算です。そしてこの元利合計額が登記簿に記載されている数字に合致します。


報道記事をいくつか読んだ後、あらためて開設予定の小学校サイトを見ていくと、予想通り「教育理念」のページで教育勅語を推し、愛国心の醸成を明言していた。
http://www.mizuhonokuni.ed.jp/philosophy/
さらに籠池泰典氏の具体的な認識をさがしてみると、「ごあいさつ」のページで安倍昭恵氏や平沼赳夫*1とともに顔を出していた。
http://www.mizuhonokuni.ed.jp/about/

学校一年生よりの国際英語教育に親しみながら世界の国々の人たちと友人となり、国同士が友好関係を結ぶことは世界平和に寄与するとともに、人類の文化・文明を発達進化させることとなります。

ここまでは教育に力をいれる私立小学校らしい記述で、ひっかかる表現もあるが目をつぶれる。

自らの国である日本の文化・歴史・伝統を知り、どっぷりと親しむことは日本人としてアイデンティティを形づくります。

ここまでも塚本幼稚園を知らなければ理解はできる。自国の文化や歴史を、さまざまな側面から知っていくことは悪いことではない。
しかし具体例を語るにつれて、自国中心主義に舵をきっていく。

基礎の部分さえ、きちんと要所、要所をおさせておけば、難解な高度な数学や理工学を学ぶ年代になっても、常に日本人としての誇りを忘れず、日本の為に活躍する人材となります。

数学や理工学を学んで外国で活躍する人材になっても、教育機関ならば喜んで送り出してほしいものだ。
そもそも国家へ奉仕させるために自国の歴史や文化を学ばせるものではあるまいに、と私個人としては感じるのだが。

世界で歴史・伝統・文化の一番長い國である日本。その中で積み上げてきた日本人のDNAの中に「人のために役立つ」という精神が刻み込まれていますし、世界で一番混じりっけのない純粋な民族であります。真心・誠心・正直・おもてなしの気持ちが他の国の人たちより強く深いので、人の役に立つ人材が輩出されています。世界が羨むほどノーベル賞受賞者が多い理由でもあります。日本に生まれてきてよかったと思えば、学業にも力が入るものです。

いきなり歴史教育において知識を学ぶ段階でつまづいている。伝統や文化の連続性ならば、もちろんインドや中国が日本を圧倒する。
「日本人のDNA」という表現も、すでに比喩として定着しているとはいえ、ナチスドイツ等の優生主義を連想させてしまう。いや、同じ文章で「世界で一番混じりっけのない純粋な民族」という純血主義を堂々と語っているところから見て、比喩ですらないのかもしれない。
そして児童の心情として「日本に生まれてきてよかった」と想定していることが、決定的におかしい。百歩ゆずって外国人を学校から除外したいのだとしても、日本とは異なる国や地域で産まれた日本人の存在が想定できないのだろうか。
この小学校では英語を学ぶためにインターナショナルスクールを提携併設したいらしいが*2、このような価値観を表明して対等な友人になれると思っているのだろうか。


さらに「教育方針」のページを見ていくと、復古主義的な性格をあらわにし、個人の幸福ではなく国家への奉仕を求めていることが明らかになる。
http://www.mizuhonokuni.ed.jp/curriculum/

時間軸(当時の価値観、体制)を頭に入れ、現代の価値観で物事(日本・世界)を判断せず、神道に基づく日本的倫理観を基盤に置き、近代から現代世界の動きを考察します。


学びの目的は、各人が最終的に国家有為の人材になることです。

ここまで堂々と現代の価値観を否定して、近代それも神道にもとづく価値観から考察しようと主張されては、一種の“強さ”を感じてしまう。獲得したくない部類の“強さ”だが。
そもそも私たちが生きている時間軸は「現代」のはずだ。現代世界を「当時の価値観、体制」から考察するならば、それは「現代の価値観」からの考察でなくてはおかしい。おそらくは、過去への批判に反発するための理屈と、過去を現代によみがえらせたい欲望を、よく考えず同時に主張してしまったのだろう。

*1:生長の家を信奉している政治家のひとり。

*2:http://www.mizuhonokuni.ed.jp/curriculum/objective/