法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』/『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』

おそらくは未来の日本。巨人が襲ってくるという伝説をおそれて、巨大な壁をつくって生活している人々がいた。
エレンという少年は、その壁にはばまれた状況に不満をいだいていたが、そこに巨人があらわれて壁を破壊する……


人気漫画を原作に、2015年夏に公開された実写映画の前後編。監督は樋口真嗣、脚本は町山智浩渡辺雄介。原作は部分的につまみ読みしたが、全体を見たのはTVアニメ1期だけ。
TVアニメ「進撃の巨人」公式サイト
感想を簡単にいうと、まず特撮は邦画としては相当のクオリティだが、期待よりは悪かった。宣伝で合成が露骨だった立体機動は映画の流れで見ると悪くないが、デジタル合成を駆使して作りあげた世界ともどもゲームのよう。遠景までかすまずにピントがあうことも、悪い意味でCG感が強い。平成『ガメラ』三部作の特技監督として空気遠近法をとりいれた演出家の仕事とは思えない。どこからどこまでミニチュアを使ったかわからない精度は良かったが、この空気感の方向性が決定的に好みとあわなかった。
一方で物語については、あまり原作が好きでなく、映像化における改変を許容する人間として、目指したところは納得がいく構成だった。はっきり設定から別物だが、原作の設定のつっこみどころを理解して再構築している。そして不思議と『AKIRA』のようだと感じた。最後の敵の格好からして意識していそうな気がするが*1


さて、前後編とも多くの酷評があったことは聞いていて、たしかに前編は描写ごとの不協和音が大きい。
特に原作から引いたろうフレーズがどれも唐突で、台詞で違和感がなかったのは「死に急ぎ野郎」くらい。TVアニメでも、登場人物の言動は唐突なものが多かったが、多くをシュールギャグとして処理していたので、比較的に違和感が少なかった。
それでは映画オリジナルらしい行動は良いかというと、やはり説明不足だったりする。巨人の徘徊する地域で作戦行動をとっている最中なのに、子持ちの母親がエレンにせまる場面など、ホラー映画のお約束にしても兵士として無能すぎないかと思わずにいられなかった。
冒頭の不発弾も、意図はわかるが使いきれていないと感じた。壁の穴をふさぐ爆弾のスペアという物語の目的で配置されたことが露骨すぎる。不満をいだいている主人公のメタファーという意味だけでは多義性が足りない。不発弾に描かれている絵から海の存在を確信するところも、その時まで絵に気づかなかった説得力がない。湖や池との明確な違いを表現した絵でもない。たとえば改変案として、不発弾は丘に落ちているのではなく、壁に引っかかった兵器に内蔵されていると設定しても良かったのではないか。壁を超えたいと願う子供たちが立体機動装置を使って兵器にたどりつくという冒頭にすれば、その時に初めて海の絵を見た意味が強まるし、立体機動という説得力のない設定を物語の前提として納得しやすいし、壁をのぼるための専用器具とすれば設定の関連性が強まる。
ただ、多くの批判があったらしいエレンの戦う動機の変更は、理解できるものだった。時間制限がある映画なのだから、少しでも人間関係を省略すること自体は正しい。自動車が残っているという文明のラインも、騎馬で移動する世界で立体機動装置のようなオーパーツがある違和感をなくす。


一方、世間では評価がより低いらしい後編は*2、予想外に良かった。
TVアニメ1期は全話視聴したが、良くも悪くも粗い作品で、展開の説得力のなさがそこかしこで目についた。その説得力のなさを前編では拡大していたが、そこに後編で説明をつけて、ひとつの独立した物語として完結している。
まず全体として、会話が前編よりもこなれている。原作から完全に別離したからだろうか、無理に名台詞を挿入するような齟齬を感じない。あるいは映画評論家が初めて脚本を書いたゆえ、キャラクターを自分のものにするまで時間がかかったのかもしれない。アマチュアのWEB小説を読んでいると、最初は有名作品をコピーしたツギハギのような展開がつづいて、中盤からようやく物語にドライブがかかることがよくある*3
物語は、巨人化したエレンが拘束されている場面から始まる。そこでおこなわれるエレンを殺すか生かすかの論争も違和感がない。TVアニメでも似たシチュエーションがあったが、そこでエレンの親友アルミンが“論破”する流れに説 得力がなかった。
『進撃の巨人』第10話 応える - 法華狼の日記

前回に主人公の能力が原因で敵の仲間かと疑われ、上層部から抹殺されそうになっていたのだが……反論材料でどのように面白い理屈を持ちだすかと思えば、ただ主人公が能力をふるって友軍を守ったことを指摘しただけ。てっきり、主人公が多くの友軍兵士を守ったことは大前提で、それでも残る危険を排除しようと上層部が動いているとばかり思っていたので、面食らってしまった。

仮に、主人公が戦友を守ったことを誰も認識していなかったなら、まだしかたないと思える。しかし前々回から前回までは、守られているという認識のもとで友軍もアルミンも行動していた。

第10話につづいて第14話では裁判が展開されたが、そこでもエレンが周知の情報で自己主張するだけ。それに対する体罰で論争が打ち切られるが、裁判が終わるほどの説得力はなかった。
比べると実写版の論争が稚拙なのは、情報も余裕もない敵地だからしかたがないし、エレン抹殺にこだわる人物が意図を持っていることも察せる。周知の情報を前提として論争がつづき、登場人物それぞれの意図で発言する。そして納得するしかないかたちで論争が断ち切られ、新しい展開へとつながる。
そこから壁の穴をふさぐという目的でメインキャラクターが行動して、対立する勢力の意図もわかりやすく説明される。前編では急造ゆえに緊張感がなかった兵士たちが、よどみなく行動していくのでストレスがたまらない。TVアニメでは古参も新人もエピソードごとに緊張感が乱高下して、突然の危機で驚かせたい制作者の意図ばかり感じられてしまった。
立体機動装置を力技で逆用したりと、戦闘も映画オリジナルの魅力を出していく。不発弾を起爆できないピンチも、敵味方の行動や距離による行き違いで、さほど不自然に感じさせない。
そして、巨人には対抗できないものの人間同士の対立のために銃火器が利用されようとする。さらに強力な携行兵器は、巨人への武器としても活用されていく。うなじだけが弱点という設定の巨人を倒すために銃火器が無力で、立体機動で接近して剣で攻撃するしかないという設定は、もともと説得力がまったくない。そこで上層部が隠蔽していただけで本当は有効という顛末は爽快感すらあった。


原作と違って壁外調査が中断していること、あまり戦闘に向いていなさそうな主人公たちが兵士になれたこと、超巨大な巨人が壁を破壊したこと、ミカサが迷いなく巨人化したエレンを救い出せたこと、そうした前編での疑問点も説明がつけられていく。前編の話運びで期待がそがれていたところなので、相対的に評価も高くなった。
これならば前後編を一気に上映するべきだった。前編が約100分、後編が約90分、それぞれ10分近いEDクレジットを本編に入れ、後編の5分近い回想を省略すれば、約170分。さらに前編のあまり意味のないエピソードを引いていけば、約120分くらいの映画としてまとまったはずだ。
とはいえ、合体すれば全てが解決するほどではない。前編は謎解きされる期待をもてない語り口だし、後編で意図的と説明されても単純に楽しめない場面ばかり。良かったのは教会をめぐるシークエンスぐらい。映画オリジナルのトリックスターなシキシマも、後編を見ればかつての享楽的な時代を真似しているのかと思えるが、それを考慮しても自己愛的な言動がきつい。

*1:同じように模倣した『CASSHERN』のようでもあるが。

*2:インターネットの映画投票企画で「酷評オンリー」だった。2015年 この映画はいったい誰が観に行くんだ!?大賞 結果発表 - 破壊屋ブログ

*3:時たま書いている私自身、冒頭の立ち上げの難しさは痛感している。