法華狼の日記

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『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』の第12話と第14話は、視点が違うことの良さを感じた

この物語は、自衛隊がのりこえられる高さの障害のみ発生して、それを倒すだけで成功していく。
『GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』と植民地支配の娯楽性 - 法華狼の日記

たとえば侵略者の陰謀で異世界の別勢力が自衛隊を攻撃し、壊滅して6万人の戦死者を出す。しかし別勢力の敵意が新たに自衛隊に向けられたり、異世界が団結していくことははないらしい。

かさねた失敗が最終的な成功につながったり、のりこえられない高さの障害にもたちむかったり、そうした紆余曲折する展開はない。

たとえば地球にあらわれたものより強力なモンスターとして炎龍が登場する。しかし派遣された自衛隊の、それも少数の部隊だけで撃退できて、むしろ現地民を助けて受けいれられる結果となる。

これは自衛隊が主人公側で、常に正しい結果をまねく物語だ。現代文明がファンタジー世界に優越する物語ではない。だから日本以外の特殊部隊に対しては、ファンタジー世界の住人が戦闘で圧倒する。

たとえば少女の姿をしながら単独で多数の兵士を倒せるキャラクターが出てくる。いまのところ異世界で最も戦闘力が高いらしいが、あっさり自衛隊に協力する。魔法少女という特殊能力をもつ存在も、好奇心から自衛隊に同行する。

主人公が絶対的に勝利するといえば『水戸黄門』などと同じだが、そうした作品で障害に直面して乗りこえるのはゲストキャラクターだ。必ず勝利する主人公の変化はちいさいものにならざるをえず、ゆえに変化するドラマは主人公に助けられたり刃向かったりする周囲が担当する。


さらにいえば、未知の異世界を探索していくような面白味もない。作者と知識を共有しているかのように、自衛隊異世界を既知のファンタジー作品と同じようにとらえて、それで失敗もしない。
たとえば分割2クール目の第2話、通し話数で第14話において、地震が発生する。現地の住民は大混乱におちいるが、地震になれている自衛隊は冷静に反応する。モンスターや魔法の存在する異世界なのに、別の理由で振動が起きた可能性を考慮したりはしない。地球と同じと考えて対処し、地震に慣れている存在として尊敬される。
結果として主人公の心情が動くドラマはその場かぎり。アクションすら淡白に物語が進んでいく。


そして第14話、王宮へ帰った姫についていった主人公たちは、そこで第一王子と出会う。その第一王子が拉致被害者の女性を奴隷あつかいする姿を見て、怒った主人公は殴りとばし、王宮の警備兵が出てくれば銃火器で応戦して勝利する。
弾数がつきる前に脱出するサスペンスや、弾数に限りがあることを隠すトリックは描かない。ただ正面から戦力で圧倒して、その場から去ることができる。一方的に圧倒して短時間で終わるから、アクションの楽しみが弱い。
他に拉致被害者がいるのに、その場で加害者を攻撃することを優先すれば残りの救出が難しくなる……といった葛藤を乗りこえたりはない。拉致被害者を人質として活用されて困ることもない。その後、空爆しただけで敵国で内部衝突が拡大して、うまい具合に話が進む。
そもそも第一王子が拉致被害者を主人公たちの目前につれだすこと自体が、思いつきのような展開だ。以前から自衛隊拉致被害者をさがしつづけていて、王宮へ行くついでに情報収集して見つけるといった伏線はない。逆に、異世界側が拉致被害者から情報をえるのも、第一王子が地震を知らされたという一過性の描写にとどまる。ここで自衛隊を活躍させるために拉致被害が存在したという設定が出てきても、最初の異世界からの侵攻時に地球の軍事力を見誤っていたことの説明はされない。


しかし、ここで第一王子が攻撃を受けつづけた時、第13話でしいたげられていた少女が身をていしてかばう。その行為にも自衛隊側が心を動かすことはないが、それでも意図してなかったにせよ自衛隊の救いの手をはねのける初めての被害者だった。
第13話の第一王子は、その少女で性欲を発散することを部下にとがめられた時、むしろ身分の低い獣人であっても愛の対象にする自分を平等主義者かのように称した。階級差別が固定された社会だから、そのような思いあがった自認ができるという描写であるし、奴隷が優しい主人になつくこともなくはないという描写ともとれる*1。そういう価値観の違いが、初めて自衛隊の障害となった。
さらに後半に入って、第二王子とのやりとりで、それまで描かれていた第一王子の愚行が自覚的な演技だったことが明かされる。それでも拉致被害者を奴隷にして男性は売り飛ばしているように、演技を考慮しても頭がいいとはいえないが、前時代的な価値観なりに考えて動いている。その行動の背景として、自衛隊とは無関係な過去の出来事も語られる。これまで敵であれ味方であれ自衛隊に華をもたせる部品だった異世界の住人に、ここまで独立したドラマが描かれたのは珍しい。
この第一王子と第二王子のやりとりは、自衛隊を敵としているキャラクター同士の初めての正面衝突でもあった。一方が自衛隊の味方、もしくは庇護下になる存在であれば、そちらが優越することが明らかだ。だから第14話はどちらが論争で優越するかわからず、対等の論争らしくなっていた。
さらに自衛隊空爆によって敵国で内部衝突が拡大したわけだが、ここでの元老院も皇帝も両方とも自衛隊の敵としてふるまってきた。自衛隊の活躍というには描写が一方的で短くてつまらないが、圧倒的な敵によってゆれうごく国政の描写とするならば見ていられる。


そうした自衛隊外に視点をおく究極として、1クール目最終回の第12話もあった。異世界自衛隊、それぞれのキャラクターが主人公の活躍を待望する描写だけをつみかさねて、主人公そのものをほとんど描かずに存在感を浮かびあがらせた。
ひたすら成功するだけで、紆余曲折も鬱屈もない、そんな空虚な主人公だからこそ、成果から伝説がふくれあがる。そこに願望を投影する周囲のドラマとして完成していた。
物語がつづいていて、大きな問題が解決したわけでもないのに、ひとまずの最終回らしい雰囲気があったことも技巧的で感心した。


第14話のコンテを切った京田知己が、この作品とは別の絵コンテ講座イベントに対してのことだが、放映と同時期に下記のようなツイートしていたことも印象深い。

自衛隊を主人公の視点に置くのではなく、異世界側に視点をおけば、自衛隊によって救われる者と倒される者のドラマが立ちあがる。逆に淡白に勝利してきた自衛隊も、理不尽なまでに圧倒する強者となり、世界をゆりうごかしていく存在として生きてくる。
情報収集の描写が少ないため自衛隊の判断と行動が拙速に見えてしまう問題も、外から行動と結果だけを描くのであれば内部の描写不足は気にならない。


おそらく第12話や第14話のような異世界の視点はふたたび後退していくだろう。だからこそ、いっそTVアニメは最初から一貫して異世界側に視点をおいて、そのドラマを動かす脅威として自衛隊の活躍を描けば、展開そのものは原作に忠実なまま映像作品として面白くなったのではないか、ということを感じた。
思えば、第1話で日本の建造物に脅威を感じている異世界の軍人や、第2話で自衛隊へ突撃して壊滅していった別の軍人も、短い描写なりに悪くはなかった。

*1:この時点では少女の真意ははっきり描かれないが、主人に対するものとは別個の意図があることをにおわせていて、それもまた生きたキャラクターとなっていた。