法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『草の乱』

1918年、北海道の寒村。ひとりの老人が、ずっと隠してきた過去を家族へいいのこそうとしていた。それは鎮圧された反乱の、民衆側の記憶だった。
1883年の埼玉県。世界的不況と松方財政による生糸価格の暴落、富国強兵のための重税、高利子の借金……いくつもの問題がかさなり、養蚕農家は困窮していた。
政府や司法は金融業者の味方だったため、養蚕農家は自由民権運動に希望をみいだす。しかし自由党は弾圧されて弱腰になり、末端の独走も止めるようになった。
1884年秩父自由党左派や養蚕農家は、困民党を結成。貧者救済と政権転覆をはかり、秩父全域で武装蜂起をはじめた……


2000年の『郡上一揆』につづく、神山征二郎監督の地方史映画。秩父事件120周年を記念して2004年に公開された。
秩父事件120周年記念 映画「草の乱」
『郡上一揆』と同じく、自主制作という逆境を地域住民の協力で乗りこえた。地元の史跡を活用して、多数のボランティアを群集シーンや戦闘シーンに投入。建設業者の協力で街のオープンセットまで用意して*1、大作といっていい規模の映像を生みだした。
ところどころで自主制作の限界を感じた『郡上一揆』にくらべても、映像全体の完成度が高い。ほんの1カットだが遠景をVFXで見せているし、銃撃戦の弾着も邦画としては立派な迫力。日本刀をつかった緊張感ある戦闘まであり、戦争映画としても期待以上に充実していた。
特に奇をてらった演出はないが、それゆえ圧倒的な群衆の迫力を素直につたえている。武装した困民党が渡河する場面など、参加者の多さがそのまま絵の力となっていた。
映画「草の乱」から メモリアル写真集 - JCP埼玉北部ブログ


全体としては、人間ドラマを歴史描写の従にしていた『郡上一揆』よりも迷いを描いて、劇映画らしくしている。かわりに地方史を細部まで映像化するというコンセプトは弱まった。
まず、老人が家族へ歴史を語る導入だが、あまりに映画で多用されてすぎていて、新鮮味には欠ける。ただし井上伝蔵が生きのこったのは史実であり、この映画の場合は作為を感じさせない。しかも雪に閉ざされた舞台と、大正という時代のおかげで、老人の語りそのものに歴史映画のおもむきがあった。
次に、秩父事件にいたるまでを映画はていねいに描いていく。生糸をつむぐ養蚕農家の生活、生糸問屋や高利貸しとのやりとり、自由党の演説や官憲の監視と弾圧……ひとつひとつが歴史の一幕となるくらい誠実に再現され、そのかさなりが自由民権運動に希望が集まる伏線となる。
しかし、自由党も弾圧や暴走によって後退してしまい*2、人々には選択肢がなくなった。困民党の総理に推された田代栄助は時機尚早だと反対しつづけるが、民衆の総意による武装蜂起を止められはしない*3
そして秩父事件がはじまるわけだが、カメラは意外なほど客観的に映していく。どの時刻にどの部隊がどの地域へ行くのか、ていねいに困民党の蜂起が俯瞰される。刻々と変化する戦況と多様な戦闘描写で、戦争映画として飽きさせない。モールス信号で政府が蜂起を知った描写など、細かなディテールが歴史映画としての説得力を生みだす。
困民党の幹部は誰もが魅力的だが、約2時間という尺の短さもあってか、個々人は断片的にしか描かない。ドラマの中心にいるのは、蜂起に反対しつづけた指導者と、蜂起が挫折することを知っている語り部秩父事件を顕彰する内容ながら、過剰な美化を感じさせない。真実を知ってほしいという語り部の言葉どおり、民衆側の歴史を誠実につたえようとしたのだろう。
いかにも優等生な映画だが、きちんと当時の熱気をつたえつつ、いろいろな人間模様の味わいもある。いい歴史映画だ。


ちなみに視聴したのはDVDでだが、ハイビジョンモニターでも本編の画質は問題ない。しかし1時間以上も収録されたメイキングは、ナレーションもなく素材をならべただけ。あくまで撮影に参加したボランティアのため、撮影風景を残しただけなのだろう。
同じようなメイキング映像でも『郡上一揆』では神山監督による演出意図や歴史考証がコメントされており、映画本編の補助線として聞きごたえがあった。『草の乱』でも同じようにしてほしかったところ。

*1:平地に建てられたオープンセット自体は、起伏に欠けた単調な街並みではある。しかし何度もつかわれる史跡が山の中腹にあり、武装蜂起も山道を駆けぬけて平地に降りるというかたち。映画全体でみると、うまく美術として裕福と貧窮を対比している。

*2:映画でははっきり描かれないが、秩父事件の数日前に解党にいたった。

*3:内戦映画の型であるがゆえに、感想エントリで言及したとおり、光州事件を描いた韓国映画と似ているわけだ。『光州5・18』 - 法華狼の日記