米国をはじめとして、怪獣を兵器に転用しようと動く各国。一方、ガゴン騒動以降の日本では、怪獣の出現が少なくなっていた。
しかし日本でも怪獣兵器への反対運動が活発化。そして生きのこっていたガゴンを反対運動の象徴として利用しようとする……
社会運動の位置づけが同期のTVアニメとくらべて興味深かった。
政府の管理に反抗して主人公と対立してたり、宣伝のため危険なはずの兵器をよみがえらせたり、物言わぬ怪獣を勝手に代弁したり、ひとつひとつは偏見に満ちた描写といえるかもしれない。しかし、怪獣に思いいれて暴走させずにはいられない心情をすくいとり、その選択をするしかなかった苦しみまで描いている。
社会運動を嫌悪するだけの作品ならば、怪獣を兄弟のように思っている孤児と、社会運動をひきいている青年が、同調するように怪獣を暴走させはしなかったはずだ。きっと青年もまた社会に居場所のない、魂の孤児なのだ。そしてその居場所のなさも青年個人の内面問題ではなく、主人公側に誘導されたものと判明する。
たしかに批判的な描写であっても、共感しつつ自己批判しているような雰囲気であり、怪獣を推したてる運動を他人事として切りすてていない。より愚かな言動をとっていても、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』のクーデリア・藍那・バーンスタインと比べて、ずっと確固とした人格を感じさせる*1。
ちなみに今回は特殊EDで中村豊作画がおがめたが、スタッフクレジットとかぶっているため集中がそがれた感はある。アクションシーンにクレジットをかぶせるのではなく、Cパートにあたる動きのないシーンにクレジットを入れてほしかった。