ナチス強制収容所において、つねにユダヤ人がいけにえの羊のように無力だったわけではない。さまざまなかたちの抵抗があったし、複数の武装蜂起もおこなわれた。
この映画は、ポーランド東部のソビブル収容所における蜂起がいかにして脱走までたどりついたかを、当時まだ未成年だった参加者イェフダ・レルネルの語りで描きだす。
クロード・ランズマン監督による約100分間のドキュメンタリー映画。約9時間半におよぶ大長編ドキュメンタリー映画『ショアー』で使われなかった素材に追加撮影を足して、2001年に完成した。
ホロコーストの“記憶”を“記録”したクロード・ランズマン監督作ドキュメンタリー3本! 「SHOAH ショア」「ソビブル、1943年10月14日午後4時」「不正義の果て」
あたかも朗読劇のように、ひとりの証言者と監督の質疑だけで映画が進んでいく。再現映像や資料映像すらほとんどつかわれない。しかし、わかりにくくはない。これは証言者の説明のうまさと、監督の質問の的確さによるものだろうし、もちろん編集の力もあるだろう。
ふたりのやりとりに女性の通訳をはさんで、音声のリズムをつくっていることも理解を助ける。通訳の言葉にだけ日本語字幕をつける方針もあって、レルネル自身の表情と口調を受けとってから、何を話したかをじっくり解釈できる。この方針は他のドキュメンタリー映画でも使えそうだ。
映画はまず、制作背景を説明する長い字幕を無音で流してから、レルネルがワルシャワからソビブルへ移送されるまでを描いていく。人間が映らない現代の赤茶けた風景に、過去に取材した音声がかぶさることで、歴史への想像をかきたてる。
レルネルは半年間に8回の脱走をくりかえし、捕まっては別の収容所へ移されていった。あたかも力強い抵抗者のような印象を受けるが、いつも飢えに苦しんで痩せこけた姿だったという。
最終的にソビブルへ移送されるわけだが、ひとりの駅員が行けば殺されるとレルネルへ教えて、脱走をすすめた。しかしレルネルは信じることなく、列車から逃げる機会を逃して連行された。
レルネルの顔が映されるのは、はじまって20分ほどしてから*1。以降は証言者の表情と言葉を中心にして、ソビブルで起きたことを位置づけようとする。
収容所では虐殺の悲鳴を隠すためにガチョウが飼われ、騒々しく鳴き声をあげていた。それを再現するように、映画は歩きまわるガチョウの群れを映す*2。滑稽と裏腹な、姑息な隠蔽。
そのような収容所で蜂起が成功したのは、ソ連軍の将校だったユダヤ人アレキサンダー・ペチェルスキーが主導者になったおかげだった。他の抑圧されたユダヤ人とちがって、ペチェルスキーは暴力の使いかたをわかっていたという。
この映画は、暴力の奪還として蜂起を位置づける。暴力を一方的にふるわれる「クズ」から、暴力を主体的にふるう「人間」にもどれたのだと。そこが第三者に救われた劇映画『シンドラーのリスト』との違いなのだろう。
ランズマンはレルネルへ執拗に質問していく。蜂起した時、人を殺したのは初めてだったのか、どのようにドイツ兵を殺したのか、どのようなドイツ兵を相手にしたのか。対するレルネルは、ていねいに抵抗作戦を説明していく。どのように斧を入手したのか、どのように監視の隙間をねらったか、どのような名前や体格のドイツ兵だったか、どのように武器を頭にふりおろしたか。その殺害についてレルネルは「喜び」と語り、声も顔も誇らしげだ。
もちろん、奪われなければ使わずにすんだ暴力にすぎない。カメラはレルネルの表情がくもる一瞬を切りとり、顔が青ざめているとランズマンは指摘する*3。
そしてレルネルが自由への脱出をはたしても映画は終わらない。移送された人々のリストを読みあげる声が、レルネルが移送された日付にたどりつくまで何分間もつづく。蜂起は失われた命をとりもどさず、あくまで虐殺にピリオドを打っただけ。救われた人の多さではなく、奪われた人の多さを印象づけて、ようやく映画は終わった。
なお、ソビブルで蜂起した600人のうち、脱走できたのは300人で、戦後まで生きのこれたのは100人。それでも一定の成功をはたした数少ない抵抗のひとつであった。
沈鬱でありつつ、娯楽活劇にしたてられそうな題材でもある。ペチェルスキーを主軸にしたイギリスのTV映画もあるくらいだ。未見だが、短縮編集版が2013年にDVD化されていた。
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ペチェルスキーは亡くなっていると映画で言及されていたが、元素材が撮影された後の1990年までは存命だった。脱走後もパルチザンに参加したり、捕虜となったことを戦後にソ連で問題視されて収容所へ送られたり、数奇な運命をたどったらしい。