法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』第3話 鉄骨のひと

厚生省の超人課と対立するように、警察にも超人専門の刑事がひとりいた。その名前は柴来人といい、自身も全身を機械におきかえた超人であった。
連続爆破事件を追っていた柴は、アンドロイドの少女と出会う。超人を憎む柴は、少女が爆破事件の原因と考えるのだが……


クライマックスの中村豊作画が、なかなかに絶品だった。もちろん『スペース☆ダンディ』等でも仕事そのものは良かったが、今回は物語の緊張感と同調するように解放感あるアクションが展開される。『血界戦線』第1話も良かったが、今回は担当した物量が圧倒的に多い。
コンクリート・レボルティオ~超人幻想~ 特集|GYAO![ギャオ]
しかして物語には解放感がなく、時をへだてて「正義」を失った超人ふたりの決戦という構図が痛々しい。どちらも秩序を回復したり維持する側ではもはやない。決戦の直前に「正義」が顕現していることも、ふたりが「正義」や「悪」の選択肢を失っていると強調する。
さらに物語の出口のなさをあらわすように、決戦を断ち切るようにEDへと移行する。娯楽としてはアクションから結末までに余韻をつくるか、特殊EDでなじませてほしかったが、こうしたい意図はわかる。


合体によって超兵器となるアンドロイドをめぐる論争も、主要な論点をきちんと押さえていた。アンドロイドがプログラムされているように、人間もプログラムされていると位置づける。それを「愛」として肯定する力強さも印象的だ。
そのアンドロイドを第二次世界大戦に由来する技術と設定したことも面白い逆説であり、ミスディレクションとしても作用していた*1。社会の思惑で動かされる矮小な存在であっても、どのような時代状況であったとしても、個人としてたどりつけるかもしれない、その理想。
念のため、もちろん大東亜戦争の美化とは距離をとっている。たとえば男性型アンドロイドとともに復員した兵士は、小野田寛郎ではなく横井庄一を思わせる。大東亜戦争の遺産が戦後も軍事に動員される問題にも目配りしている。

*1:もっと明確に爆弾と確信させるミスディレクションがあれば、合体の結果に驚くことができたと思うので、そこは惜しかったが。