法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜THE LAST SONG』第24話 君はまだ歌えるか

前回にひきつづき、妖怪たちが人類と超人へ反旗をひるがえす。一方、帝都広告社の顧問として暗躍してきた里見義昭も乗りこんでくる。
そして人吉爾朗の発する炎がウルティマポリスを焼きつくそうとする時、追いかけつづけた星野輝子は彼の本心を知るが……


2期最終回にしてシリーズ完結。原子爆弾によってこの世界に生まれた人吉が、原子爆弾が威力を発揮した歴史を求める里見と対峙する。
いわば作品世界の歴史が修正されたものであり、敵こそが本来あるべき歴史を求めており、主人公側がそれに反逆するという逆説がおもしろい。しかも前回から説明されているとおり、その本来あるべき歴史が原子力の発達した社会で、石油を奪いあう戦争などは起きないと仮定されている二重の逆説。
もちろん本来あるべき歴史に生きている視聴者は、実際に発達した原子力が何をもたらしたか、石油を奪う戦争が終わったかどうか、今なお痛感しつづけている。


他に興味深く感じたのは、里見義昭が人吉爾朗の対に設定されたことで、倒すべき強大な悪として最終回にたちはだかったこと。
人吉こそが「超人」であり、その超人を守るために「超人課」が生まれた。そこで人吉が「正義」としてふるまう道を選んだのであれば、人吉の味方すなわち「正義の味方」といえるだろう。
いったん主人公が「悪」という立場を引きうけようとして、それでも「正義」の責任を背負おうと改める*1。そうして他者を犠牲にして理想をつかもうとする敵を、もうひとつの正義などと日和見な評価をして矛先をにぶらせることなく、きちんと正面から「悪」とみなして戦いきった。
過去の會川昇脚本のラスボスといえば、主人公が状況そのものと対峙している時に、つまらない場所で自滅するというのがパターンであった。そうでなくても、状況を生みだしながらも制御はできない矮小な存在として描かれてきた。むろん、さすがに子供向け番組では素直にラスボスを倒すこともあったし、近年の映画『UN-GO episode:0 因果論*2やTVアニメ『エウレカセブンAO*3では違う傾向を見せはじめていたが、今回は逆説を逆転することで完全な勧善懲悪を描きだしてみせた。たぶん脚本家として新境地だし*4、この展開そのものが冷笑主義への批判として成立している。
なお、里見の正体はもう一対の原爆だろうかと思ったこともあったが、原爆が失敗した世界なら別のエネルギーで生まれたという設定になるのは当然だろう。ただ、ツングースカ爆発で生まれたのだとすると、ただ長く正体不明だった存在というだけでなく、世界最大の水素爆弾ツァーリ・ボンバの核実験なども連想させられるところである。


倒すべき悪がひとりのキャラクターに収束したおかげで、アクションの見どころも存分にあった。それがドラマを基盤にしているおかげで画面へ素直にのめりこめる。
ただ、あいかわらず中村豊作画の全力は素晴らしいものの、主人公の打撃よりも負傷に力点が置かれていたのは残念だった。爾朗の炎の対になるかたちで義昭も雷あたりを使うような、そんな正面からの決闘を見たかった気分も少しある。
良くも悪くも、最終回で最も印象に残った絵といえば、あえて粗く描かれたEDの静止画であった。

*1:第24話で主人公が悪としてふるまおうとして挫折し、第25話で正義になろうと起きあがる展開にすれば、シリーズ構成としてより綺麗になったとは思う。ただ、主人公が悪を演じる展開は陳腐になりやすいので、それで1話分の物語を成立させるのも難しいかもしれない。

*2:アニメ映画ベストテン〜映画限定〜 - 法華狼の日記に上げた時、ラスボス描写の傾向をふくめて少し書いた。

*3:『エウレカセブンAO』第二十三話 ザ・ファイナル・フロンティア(episode:23 Renton Thurston)/第二十四話 夏への扉 - 法華狼の日記

*4:対立する両方に正義があるものだと最後の敵が主張した作品としてTVアニメ『機動戦艦ナデシコ』があったが、敵を倒すのとは違う次元で物語が終わったし、敵の相対主義を完全に否定するまでにはいかなかった。