やはり複数の未収録作品をふくむ第2巻。小学1年生向けの新連載から小学6年生の連載版まで、時間をおって収録されている。
ドラえもん(2)|藤子・F・不二雄 大全集|小学館
第1巻*1収録作品と同じく1970年にはじまっているが、同時に描かれたはずなのに設定がいろいろぶれているのが興味深い。
以下、各エピソードの簡単な感想を書いていく。サブタイトルに星マークがついているのは単行本未収録。
「ドラえもん登場!(小一 70年01月号)」藤子不二雄ランドに収録された第1話のひとつ。ドラえもんが道具もなく空を飛び、のび太に化けたセワシが背中に乗る。おじさんの住居の田舎ぶりがすごくて、家の片隅に米俵が積んでいたり、部屋の真ん中に囲炉裏があったり。1年生向けの作品であるためトラブルは少なく、しずちゃん家でジャイ子とトランプで遊んだり*2。
「★アタールガン(小一 70年02月号)」スネ夫と拳銃対決するが、のび太と身長が同じくらいだったり。ジャイアンも乱暴さを感じさせず、いかにもウドの大木なキャラクター。何より、のび太がスネ夫に銃をわたされたところ、1発も命中しないことに驚かされた。ここでは他人の銃だと腕前を発揮できない設定らしく、「ぼくのピストルだともっとうまいんだ」と家に帰って探す*3。
「★タイムテレビ(小一 70年03月号)」タイムテレビで危機をきりぬけるエピソードは他の学年誌でも同時期に描かれていたが、このエピソードでは友人の危機を予測する展開につなげる。あたりそうもない未来が的中していく展開がしっかりしており、予言がはずれかけるトリッキーなツイストも入っていて、いわゆる予言の自己成就エピソードとして標準的。
「★ペタリぐつとペタリ手ぶくろ(小二 70年04月号)」カエルの手のような秘密道具で壁をのぼり、謎の屋敷へ侵入する。忍者ごっこに始まるが、屋敷で謎の美少年*4と出会って、隠された秘密を知っていく。2年生向け作品にしてはトリッキーな展開で、身体障碍者を正面から描いているのも珍しい。
「★ロボットのガチャ子(小二 70年05月号)」日本テレビ版TVアニメではレギュラーだった第2の育児ロボットが登場。のび太の意思を無視して、ガチャ子とドラえもんが別々の旅行につれていこうとする。全員が相手のことを考えない展開は、スラップスティックとしては面白いが、何度もつづけられるものではないだろう。
「お化けたん知機(小二 70年06月号)」スネ夫の弟が登場し、兄弟でのび太を驚かせる*5。藤子不二雄ランドに収録されていたのを読んだ時に驚いたのだが、このエピソードでは「お化け」が最初から実在しており、秘密道具は探すためだけにつかう。古井戸にガイコツや幽霊やのっぺらぼうが住んでいて、最近は人間が驚かなくなったと愚痴をいいあってたりする。現在の世界観では、UMAやUFOやエスパーは実在しても、完全なオカルトは秘密道具の助けではじめて姿をあらわすようになっていて*6、このエピソードだけ違和感が大きい。
「ねがい星(小二 70年07月号)」秘密道具がたくさん登場して整理する導入は初めて。そこで捨てようとした秘密道具のひとつとして、ねがいをかんちがいする「ねがい星」が登場する。基本的にダジャレをビジュアル化する面白味だけだが、そのシンプルさが意外と楽しい。
「ふしぎな海水浴(小二 70年08月号)」秘密道具を台詞で説明せず、「どこでもきっぷ」という説明がカギカッコにくくられてテロップされるのが珍しい*7。行ける場所に制限が多いのは、どこでもドアが未登場な時期ならでは。水をつかんで成形できる秘密道具や、泳ぎがうまくなる秘密道具などもつかって、家族全員にしずちゃんもくわわって海遊びをする。
「くすぐりノミ(小二 70年09月号)」広い庭のある屋敷で、子供が拉致され外国へ売られるという噂があった。物語の始まる前からのび太がとらわれていて、ドラえもんが乗りこむ場面から始まる。「ペタリぐつとペタリ手ぶくろ」に似た物語だが、はるかに真相はシンプル。かわりに秘密道具が暴走するエピソードを増やしているものの、連続して読むとネタの使いまわしを感じなくもない。
「引力ねじ曲げ機(小二 70年10月号)」ハイキングにおいて、ジャイアンのかわりに長身の青年が登場。ズル木のようであり、スネ夫のいとこのようでもあり。物語としては、引力の方向を変えて登山を楽にするだけだが、変な姿勢で歩いていく絵面の面白さがあるし、スネ夫に盗まれてからの暴走も楽しい。
「人間あやつり機(小二 70年11月号)」休んでいるパパがひどいめにあうエピソードの初出か。幼年向きだったためか、これまでスネ夫ばかりしっぺ返しされた第2巻において、あまり主人公に良いことがないまま終わった初めてのエピソード。
「★ガンじょう(小二 70年12月号)」隣町の中学生がやってきて、子供みんなを支配下におく。そこで体をがんじょうにする秘密道具「ガンじょう」*8を飲んで、のび太は勇気をもって立ち向かう。ジャイアンは登場するが存在感はまったくなく、中学生に媚びたスネ夫がしっぺ返しを受ける。
「ネンドロン(小二 71年01月号)」前回の事件を受けて、のび太が強くなったのは薬のおかげだとスネ夫が追及する。しかし薬がなくなったため、今度は曲げる側を柔らかくする秘密道具で強くなったふりをする。完全に連続したエピソードなのに、てんとう虫コミックスではこちらしか収録されていなかった。そのため前日譚は架空とばかり思っていたのだが*9、大全集をしっかり読むことで謎が解けた。
「かぜぶくろ(小二 71年02月号)」風邪をひけばママが休めるはずだと、秘密道具を使って治した風邪を、ママにうつしなおそうとする。冒頭のかいがいしく家事をするパパが印象的なエピソード。病気になれば休めるという物語が複数あるのは、原作者の心の叫びか。
「わすれろ草(小二 71年03月号)」のび太がジャイアンとスネ夫のふたりから追われる。のび太がふたりをバカにする似顔絵をラクガキしたという理由があるのは*10、この連載では暴力をふるわれるエピソードが初めてなため、お約束として流せなかったのだろう。ありとあらゆることを匂いだけで忘れさせる秘密道具の設定はシンプルだが、何を忘れさせるのか誰を忘れさせるのか、うまくバラエティある展開をつくりあげていた。
「ロボット・カー(小三 71年04月号)」ドライブに行くスネ夫に対抗して、人工知能をもつオモチャのような自動車でドライブする。他人の家をとおった時に轢かれたドロボウを1コマで説明抜きで見せたり、ロボット・カーが通りすぎた自動車に恋をしたり、小ネタはおもしろい。しかしスピード違反した骨川家とドラえもんを警察がしかる時、ひとりでに動く車と聞いて車をしかり、周囲にバカにされて赤面して「や〜めた」となる。シュールすぎて無理を感じるオチだ。
「★たねのない手品(小三 71年05月号)」ありとあらゆるものを出す、ふしぎなハンカチでスネ夫の手品に対抗する。その真相は、対価となるものをどこかから交換しているという、よくある機能の秘密道具。それでものび太は儲けたと思っていたところ、家の金が減っているというオチにふるえあがる。この連載ではっきりしたしっぺ返しオチは初めてだ。不思議なことに、その最後の1コマに出ているママらしきキャラクターが、それまで登場した野比玉子と顔が違っている*11。
「スケスケ望遠鏡(小三 71年06月号)」骨川家でなくしたパパの万年筆をさがしたいが、スネ夫が協力してくれないため、透視できる望遠鏡をつかって段階的に遠くまで見ていく。「まず小池さんとこだろ」とラーメンを食べるキャラクターを映したり*12、しずちゃんが風呂に入っている姿が初めて映ったり*13、お約束的な描写が増えてきた。
「アベコンベ(小三 71年07月号)」つついたものをアベコベにする秘密道具が登場。それによって重くなった風船がドラえもんを地面に打ちこみ、壊れたドラえもんが暴走していく。アベコベになる法則がいまひとつはっきりせず、SFとしての面白さはないが、シュールな情景を楽しむスラップスティックとしては傑作。
「宝くじ大当たり(小三 71年08月号)」タイムマシンをつかって当たりくじを探そうとする、金儲け目的のエピソード。金儲けのためにタイムマシンを使ってはいけないという法律が出てくるが、もともと未来の借金を生まないためにドラえもんが来たのではなかったかと、別の単行本で読んだ時から疑問に思っている。しかし、宝くじで損した分だけ当てようというのび太の説得はうまく、そこからドラえもんものめりこんでいく流れはよくできている。
「黒おびのび太(小三 71年09月号)」けっこう設定は小出しだったことがわかる。ふれるものすべてを投げ飛ばす秘密道具が登場して、それが制御できないなりに暴力的な中学生を退治することに役立つ。この連載ではじめてジャイアンの強さが描かれ、強くなった理由として「とうちゃんに柔道ならってるんだぞ」という台詞が出てくる*14。そこでジャイアンはのび太を投げ飛ばすが、あくまで無邪気な力自慢という雰囲気。
「石器時代の王さまに(小三 71年10月号)」石器時代に行けば自分でも活躍できると、のび太がひとりでタイムマシンに乗る。しかし文明の利器は太古では役に立たなかったり、言葉が通じないと石器人からは現代人がサルに見えたり、古典SF『アーサー王宮廷のヤンキー』を相対化したような展開が待っていた。このエピソードを知っていると、ただ文明側が勝利するだけの仮想戦記や、植民地主義を肯定的に描いた作品が、安易に見えてしかたがない。
「お天気ボックス(小三 71年11月号)」行楽で雨をふせごうとするパターンのエピソード。天候をあやつる秘密道具でいろいろな天気を室内に起こす情景の面白さや、その人工的な天気のせいで天気を決めるカードが飛ばされてしまうという展開の妙が楽しめる。「ロボットのガチャ子」に導入が似ているからこそ、ガチャ子がいないと展開がどう変わるのかがわかりやすい。
「メロディーガス(小三 71年12月号)」パーティーで隠し芸をしなければならないパターン。7ヶ月前に手品をしたばかりなのに。とはいえ、口を閉じたまま歌をうたう芸のおもしろさと、その歌をイモを食べたガスで鳴らしているギミックは楽しい。イモを食べすぎて人体が爆発しそうになるところも、切迫しているからこそ笑える。
「お金なんか大きらい!(小三 72年01月号)」価値観がかわることで衝突と騒動が起こるエピソード。後年には「もしもボックス」で同種の物語が描かれるが、こちらは父子で薬を飲ませあう。ふたりに説得されるまま秘密道具を出すドラえもんに、とぼけた味わいがあっていい。
「いつでも日記(小三 72年02月号)」1月に発売される雑誌らしい季節ネタ。三日坊主で終わった日記を、忘れたことでも書ける日記帳で書きなおそうとする。いつでも日記を書けるということは、未来のことを現在に書くこともできることがポイント。予言の自己成就パターンを素直にふまえていくが、そのトラブルもスキーという季節ネタ。
「物体瞬間移動機(小三 72年03月号)」ジャイアンに貸すはめになった物品を秘密道具で奪いかえす。スネ夫との対決ばかりだったこの連載で、はじめてジャイアン単独の悪行が正面から描かれた。顕微鏡で鼻くそを研究しようとするジャイアンの言動はおもしろい。しかし、のび太の暴走が「もう、なんでもかんでももってきてやれ」*15と調子にのって部屋いっぱいの物を移動させただけなのは、秘密道具の別名として「ドロボー機」と表現したわりには期待外れ。
「コベアベ(小四 72年04月号)」思考と反対の行動をとらせる笛が登場。「アベコンベ」に似ているようで、行動だけ逆になるという法則のわかりやすさと、吹きつづけないと機能しない制限とで、ちゃんとサスペンスフルな物語を展開していく。
「スーパーダン(小四 72年05月号)」ジャイアンがスーパーヒーローを気どって、正義の味方をしようとする。もちろん現実には倒すべき悪などおらず、ジャイアンのストレスはたまるばかり。すでに『カイケツ小池さん』*16を発表していた原作者。そこで正義の暴走にひとひねりをくわえて、真のスーパーダンとしてジャイアンを排除したのび太が、今度は自分が正義の味方をできなくてストレスをためていく。正義の暴走を描いたエピソードとしておもしろいし、しょせん秘密道具によるかりそめの力ということを強調したオチもいい。
「おはなしバッジ(小四 72年06月号)」昔話を現実で演じる秘密道具が登場。その贈り主としてひさしぶりにセワシが登場するのだが、それが見事に伏線となっている*17。現実に起こりうる範囲で昔話そっくりのできごとが起きる展開もよくできているし、現実の出来事は各昔話をこえて関連しているのでエピソード全体のまとまりもいい。
「ゆめふうりん(小四 72年07月号)」今回はジャイアンがガキ大将という設定が初登場。みんなが何をやりたいかと問われて「あやとり!」とのび太が叫ぶのも、趣味設定の初登場。もちろん、のび太の意見は聞きいれられないし、夜にガキ大将になろうとしてもうまくいかないまま終わる。ガキ大将になりたいという未来の夢の話が、みんなが寝ている時ならガキ大将になれるという夜の夢の話へ、地味にすりかわっているのもおもしろい。作者らしい連想による物語展開。
「ぼくの生まれた日(小四 72年08月号)」短編アニメ映画にもなった有名エピソード。両親の期待をうつくしく描きつつ、それを実際に聞く子供の立場としては負担でしかないという、つきはなした人間観が自然でいい。たしかに感動エピソードではあるが、ちゃんと子供読者の視線で描かれていて、読んでいて重すぎないのだ。
「悪運ダイヤ(小四 72年09月号)」不幸を他人へ押しつける秘密道具が登場。それを使おうとしたのび太だが、反省してから物語の流れが変わっていく。反省した者が絶対的な不幸を逃れる、教訓的なエピソード。スネ夫も珍しく反省して、いったん拾ったダイヤをのび太へ返すことで痛みから意図せず逃れる。しかしダイヤを回収するため探す方法はクレバーで、教訓のかけらもないギャップがいい。
「友情カプセル(小四 72年10月号)」人工的に友人をつくる秘密道具でスネ夫がドラえもんを制御しようとする。のび太が「機械で友だちをつくるなんて、かわいそうだね」という隣にドラえもんがいる1コマで有名。秘密道具を出す前は、どら焼きでドラえもんを買収しようとする。ドラえもんの大好物が本編で描かれた初期エピソードといえるか。
「世界沈没(小四 72年11月号)」のび太が秘密道具で未来の光景を見て、その夢のとおりに船をつくって大洪水から助かろうとする。作中で言及されるとおり、ノアの箱舟そっくりのエピソード。冒頭の緊迫した主観視点から、ちゃんとシリアスにもりあがりつつ、そこに伏線をおりこんだオチがきれい。
「この絵600万円(小四 72年12月号)」かつてパパが師事していた画家が、かつて売れていなかったことを知り、のび太とドラえもんはタイムマシンで絵画を買いにいこうとする*18。パパの画家志望設定の初出か。作中の絵は抽象度が高く、のび太たちは金銭的な価値があると画家の名前でしか知らず、作品は落描きとしか判断できないことがポイント。作者の芸術観がうかがえる。
「温泉旅行(小四 73年01月号)」説明もなく立体映像で風景を楽しんでいる描写にはじまり、その立体映像を駆使して温泉旅行を疑似体験して家族で楽しもうとする。風景がすべて偽りのエピソードだからこそ、最後にドラえもんが実体をかすめとるオチがきわだつ。
「大きくなってジャイアンをやっつけろ(小四 73年02月号)」数話前では夜中にガキ大将になることに失敗したが、今度は中学生時代をタイムマシンで呼びにいき、ジャイアンをこらしめようとする。その提案をするのがドラえもんで、そもそもジャイアントの衝突をあおったのもドラえもん。大学生ジャイアンと誤認されるように親戚らしき人物が登場するが、その詳細は不明。
「未来世界の怪人(小四 73年03月号)」今度のドラえもんは空気ピストルを出してジャイアンへの復讐をあおるが、ジャイアンは空気砲で圧倒する。ドラえもんを圧倒する秘密道具の多彩さと、初登場でデザインが後年と異なるタイムパトロールが見どころ。ちなみに、のび太の復讐に野次馬としてスネ夫が「のび太くんはドラえもんがついてていいなあ」とついてくるだけでなく、しずちゃんも「どんな機械か、見せてね」と笑顔でついてくる*19。意外なキャラクター描写だが、原作だと違和感はない。
「ハイキングに出かけよう(小五 73年04月号)」ドラミちゃん初登場。不調なドラえもんを無理やり休ませて、家族旅行を助けようとする。この時点でのドラミちゃんは家庭科専門という自認で、旅行するためにドラえもんの秘密道具を使おうとするものの、ポケットが整理されていないため目的の道具が見つからない。そして「前につかったことある! くぐるとどこへでも行けるドアだ」*20という台詞とともにどこでもドアが登場するのだが、実際は初登場。
「ジキルハイド(小五 73年05月号)」のび太はジャイアンから望遠鏡をとりかえそうとしたが、泣き落としされて貸したままにしてあげる。そのおひとよしな性格を直すため、性格が反対になる秘密道具が登場する。性格の変わったキャラクター描写の楽しさだけで押しきったエピソードだが、その極端な表情や態度だけでも読んでいて楽しい。
「アパートの木(小五 73年06月号)」ジャイアンやスネ夫と部屋で格闘ごっこをしたところ、ママにしかられてしまう。そしておつかいをたのまれ、いとこの五郎が大学生らしく自由にふるまっているのを見て、のび太もアパートに入ろうとする。地下茎を部屋にする秘密道具で、地下で好き放題にする楽しさは、秘密基地の楽しさだ。
「のび太漂流記(小五 73年07月号)」ロビンソン漂流記の絵本に感化され、のび太は無人島へ行こうとする。わずかな秘密道具で10年間を生きぬいたエピソードではなく、こちらは縁の下に隠れてドラえもんがサポートしつづける。すぐ弱音をはくのび太と、こっそり助けるドラえもんの二重写しな構成がおもしろい。そのおもしろさを発展させたアニメ化として、前半はのび太視点のみで描き、後半はドラえもん視点を見せていくような中編を見てみたい。
「キャンデーなめて歌手になろう(小五 73年08月号)」さまざまな声になれるキャンデーの製造機をつかって、ジャイアンの音痴をなおそうとする。そしてジャイアンは「スターになろう」という番組に出て歌手になるため、ドラえもんにキャンデーをねだる。「リサイタル」という名称とチケットが登場し、ジャイアンリサイタルエピソードとしてほぼ完成。ただ空き地に土管はまだない。
「ぼくを、ぼくの先生に(小五 73年09月号)」のび太はパパとママが家庭教師をたのもうとしていることを知る。未来の自分なら優しいし金もかからないだろうと考え、タイムマシンを使うのだが、実際は同じ人間だからと厳しくあたるのだった。小学生中学生高校生と連鎖し、相対化していく構図はおもしろいが、それだけかな。
「こっそりカメラ(小五 73年10月号)」1970年代に流行した8ミリカメラをスネ夫がつかって、のび太の私生活を勝手に公開した。その反撃でドラえもんはちいさなレンズをつけるだけで盗撮できる未来の8ミリ撮影機を出す。レンズが予期せぬものを撮影したため、のび太とスネ夫の撮影した映像を楽しむ観客まで舞台にあがる展開がおもしろい。マスメディアの戯画化であり、監視カメラ社会の風刺であり、SNS社会の予見である。
「ミチビキエンゼル(小五 73年11月号)」のび太が選択に迷って動けないところ、ドラえもんに良い選択肢を決めてもらおうとする。より良い選択肢を示す秘密道具が登場するパターン。最初はうまくいきかけるのだが、その場の選択だけを優先して、人間関係を破壊してしまう。のび太の全体について考えるドラえもんの大切さを描くエピソードであり、だからこそ、のび太は不調のドラえもんを助けるため秘密道具の指示にあらがう。
「イイナリキャップ(小五 73年12月号)」ジャイアンのペットのムクが捨てられる場面からはじまる。別連載では先行して登場しているが*21、この連載では初登場。いいなりにできる帽子のセットを訓練のため出したが、ムクは実際はたいていのことができて、ジャイアンが無茶な命令をしていただけだった。そしていらなくなった帽子で、のび太は猛獣をしたがえようとして失敗する。ペットからの愛情と飼い主の身勝手さを描くため、ふたつの主従関係を重ねていく。ライオンが人を食べる念入りな描写は作者の趣味がだだもれで、ムクの奮闘は素直にいじらしくけなげだ。ギャグとシリアスが両立した佳作で、いくらカニバリズムが前面に出ているとはいえ、てんとう虫コミックス未収録だったのが残念でしかたない。
「宝さがしにいこう(小五 74年01月号)」パパの弟のムナシが登場。のび太のお年玉を借りたいほど貧乏なキャラクター。もちろんのび太も貸す余裕はない。そこでドラえもんがアルバイトで見つけた日記をもとに、宝探しをはじめようとする。登場人物のすべてが金に困っているという、新年号とは思えない貧乏くさいエピソード。真相は第1巻の「のび左エ門の秘宝」に近いが、ムナシの貧しさが伏線になっている。
「シャーロック・ホームズセット(小五 74年02月号)」のび太が珍しく小説を読んで影響され、自分もホームズのようになろうとする。そこで秘密道具の助けを借りて、しずちゃんの家でなくなったものを探しはじめる。別のトラブルがかかわってきたり、密室の変奏曲が展開されたり、かなりトリッキーな構成。何がなくなったのか、誰がなくしたのか、どこへ消えたのか、それぞれ物語と密接な真相が隠されていて、短編ミステリとして完成度が高い。
「ママをとりかえっこ(小五 74年03月号)」母親の無理解に怒った子供たちが、それぞれ違う家族のもとで生活する。たがいに立場を交換することで、子供たちが冷静に親との距離を見つめなおしていく。複数のキャラクターが自然に認識していくので、教訓的なわりに押しつけがましくない。源家や骨川家の親子関係がしっかり描かれているのも珍しいし*22、のび太やスネ夫やしずちゃんの違う顔も見えてきて、キャラクタードラマとしても楽しかった。
「変身ビスケット(小六 74年04月号)」客に出す菓子を買ってくるよういわれて、のび太はドラえもんが置いていたビスケットをもっていく。そのビスケットで客が変身してしまうため、時間切れになるまでごまかすことに。6年生になって、この連載の流れでは初めてしっぺ返しエピソードが連続する。ところで、ビスケットを茶菓子に出してはいけないというママの主張が子供のころはわからなかった。いまでも、正式な服装で粉を落としやすい菓子や、直接に手でつまむ菓子はよくないという理解しかできない。
「○○が××と△△する(小六 74年05月号)」5W1Hを書きこむと、そのとおりのできごとが起こるメモ帳が登場。小学生の国語を題材にしたような、いかにも学年誌らしいエピソードといえるか。例によって、起こりそうもないことが偶然のつらなりで起こっていく展開が楽しい。
「タヌ機(小六 74年06月号)」のび太はタヌキに似ているとバカにされ、催眠術をかける秘密道具で復讐する。そこからタヌキに化かされた昔話そっくりの物語が展開される。タヌキに似ているといわれたのはドラえもんよりのび太が先、という豆知識で知られるエピソード*23。ドラえもんまでのび太をタヌキそっくりと笑ってしまう。だから秘密道具の実験台として、ドラえもんは自分自身をタヌキだと思いこまされる。基本的にバカにした人間へ復讐しているだけなので、アスキーアートで知られる顔面パンチがしっぺ返しとしてはきつすぎる。そこからオチにつながるのではあるが。
「人間製造機(小六 74年07月号)」つかうなとドラえもんがいった秘密道具をつかうパターンだが、回収業者をごまかす過程がちゃんとある。そして秘密道具に人間を構成する物質を入れて、新たな人間をつくりだす。炭素としてエンピツ450本という身近な道具をつかうのは、たしか教育向けの説明の引用だったと思うが、いかにも手作り感あっていい。しかししずちゃんとの「ふたりでいっしょにつくらない?」「なにを?」「赤ちゃん!!」*24というやりとりは、6年生向けの学年誌だからできたギャグだったか。
「世界平和安全協会?(小六 74年08月号)」のび太が1年分のこづかい前借りをたのむ。ふしぎに思ったドラえもんが追っていくと、子供たちが謎のバッジをつけていた。入会金をおさめてバッジをつけると危険から守られるというが、その秘密を守らないと事故にあうともいう。つまりは間接的な脅迫で、「世界平和安全協会」*25もアパートに住む不良学生コンビなのだが、台詞では建前をつらぬくことと協会名のおかげで社会風刺のおもむきがある。バッジをつければ助かるという建前は、1977年の西村京太郎『華麗なる誘拐』*26にも似ている。
「赤いくつの女の子(小六 74年09月号)」のび太が幼稚園にかよっていたころ、ノンちゃんという外人のような少女がとなりに住んでいた。仲良くオママゴトをしていたのだが、ジャイアンとスネ夫にからかわれ*27、あおられるようにオママゴトをメチャクチャにして逃げ出す。その時に盗んだ赤い靴を時をこえて返しにいく、そんなリリカルなエピソード。物語はシンプルなのだが、のび太のモノローグに情感があり、珍しく台詞のないコマもいくつかある。ほのかな恋愛の痛みを描いた物語として印象深い。
「ラッキーガン(小六 74年10月号)」幸運がおとずれる赤玉3発と、不運がおそってくる黒玉1発、その弾をこめてロシアンルーレットする秘密道具が登場。のび太はまずママで試して、他人が黒玉を出してから使うことを思いつく。のび太の勇気のなさにドラえもんがあきれていくエピソード。ジャイアンの父親が珍しく映画にさそったり、スネ夫が3人の少女にいいよっていたり、サブレギュラーの出番が多いのも見どころ。
「ジャイアン乗っとり(小六 74年11月号)」生霊となって他人に憑依できる秘密道具が登場。のび太はジャイアンとの論争で威圧に屈して、土下座させられた。そこでジャイアンに憑依して自分自身に謝らせようとする。横から見ていただけのしずちゃんが、「どうしてあんな人のいいなりになるのよ!」と叱ってくるのが嫌なリアリティ。正論かもしれないがキツイ性格が出ている。
「流行性ネコシャクシビールス(小六 74年12月号)」流行のバカバカしさを相対化したエピソード。いいきかせたとおりの流行を生みだすビールスをばらまいて、奇妙なファッションを流行させる。ミニスカートをどんどん短くさせたり、街全体に古着ルックがはびこったり。ファッションにこだわるキャラクターとして、スネ夫の他に「しゃれ子」という長身の少女が登場する。
「見たままスコープ(小六 75年01月号)」お年玉をなくしてしまい、探すため過去に見た光景を秘密道具で投射する。投射される光景がしっかり主観視点なので、構図の珍しさだけでも楽しい。あくまで見た光景をほりおこすだけなので、他人のプライバシーを知るのではなく、自分が何を見ていたかというプライバシーが投射されるのがポイント。しずちゃん自身が「きれいな子でしょ」と評するいとこばかり映っていることに、となりで見ていたしずちゃんが「なによこれ」「あの子ばっかりうつして」「いっぺんあっただけでそんなに好きになったの?」「いやらしい人ね!!」と怒りだしたりする*28。ちょっとラブコメのはじまりを感じさせるヤキモチ描写だ。
「マッド・ウオッチ(小六 75年02月号)」周囲の時間を早めたり遅らせたりする秘密道具が登場。名前は何度か変わっているが、この版では「狂時機」に「マッド・ウォッチ」とフリガナがふってある。それを使って逃げたり、説教をやりすごしたり。完全に停止しているわけではないので、長い時間がたつとポーズが変わる、そんな微妙なリアル感がいい。遊びにきたしずちゃんを停止させ、「二人でただこうして…………。むきあってるだけで楽しいじゃないか」とモノローグするのび太に、前回とはまた違うラブコメっぽさがある。
「ツチノコ見つけた!(小六 75年03月号)」のび太は歴史へ名を残そうとして、方法を考えながら昼寝してしまった。それを見たドラえもんは、ツチノコ発見者としてジャイアンが未来の百科事典に掲載されていることを教え、がんばらせようとする。ツチノコ発見者として「郷田武」というジャイアンの本名が出てくることで有名なエピソード*29。大全集の掲載順で読むと、のび太が冒頭で「ぼくはまもなく中学生。この先、どういう人生を歩むか、それはわからないが、とにかくこの世に生まれたからには、なにかひとつ足あとをのこしたい!」*30と語っている台詞が、まさに読者の立場そのままとわかる。ちなみに1975年にツチノコが発見されたという設定だが、これはドラえもんたちの行動がかかわっているので、現在に読んでも成立している。
巻末資料室にはドラミの告知カットや、ドラえもんの本物をあてさせるイラストが連載開始時に作者の手で描かれていたことが紹介されている。
さらに「ツチノコ見つけた!」の雑誌掲載版の結末も収録。のび太が歴史に名を残そうとする思いを重視したオチとなっており、単行本加筆版より掲載号の読者を意識していたことがわかる。
巻末解説は勝間和代。掲載されたエピソードから複数ピックアップし、その印象を書いていく。漫画感想として標準的な内容ではあった。そして作品全体の感想として、かなり性的役割分担がはっきりしていることは今では違和感あると指摘しつつ、それでも多くの普遍的なテーマが読めると評している。
*1:『ドラえもん(1)|藤子・F・不二雄 大全集』 - 法華狼の日記
*2:19頁。顔の上半分しか見えないが、そう考えて間違いないだろう。
*3:22頁。ただし銃は見つからないままドラえもんに助けてもらい、真の腕前を発揮する場面はない。この時点では自称にすぎない設定だった可能性もある。
*4:そういう台詞の評価があるわけではないが、藤子F作品における美形記号で描かれている。
*6:自己パロディ的にQ太郎が登場するエピソードは後年にある。
*7:76頁。
*8:公式サイトではサブタイトルが「がんじょう」になっているが、書籍のサブタイトルや台詞の秘密道具名はこちら。
*9:『ドラえもん』街中ぐにゃぐにゃネンドロン/寒い日は雪女になろう! - 法華狼の日記
*10:後に画力のないキャラクターとして完成するが、この時点では友人が「ははは、そっくり」と笑いながら評するくらいの絵になっている。138頁。
*11:158頁。磯野サザエのような髪型で、眼鏡をかけていない。
*12:162頁。
*13:164頁。
*14:182頁。
*15:242頁。
*16:1970年が初出。有名なSF短編『ウルトラ・スーパー・デラックスマン』の原型。
*18:今度はタイムマシンで金儲けしてはいけないという法律は出てこない。
*19:364頁。
*20:377頁。
*21:大全集の第3巻に収録された「バッジどろぼう」等。
*22:この第2巻に収録された連載ではジャイアンが活躍しない傾向があり、このエピソードにも出てこない。
*23:ただし雑誌の初出では1973年の「ぼくマリちゃんだよ」でドラえもんがタヌキと間違われている。しかしそのエピソードは、てんとう虫コミックスではひとつあとの8巻に、大全集ではふたつあとの4巻に収録されている。
*24:543頁。
*25:公式サイトではサブタイトルからクエスチョンマークが欠落している。
*26:原型となる短編『一千万人誘拐計画』は未読でバッジやワッペンが登場するのかは知らないが、ファンサイトによると1975年が初出らしい。西村京太郎 短編小説リスト - 西村京太郎研究会
*27:しずちゃんは登場しない。ここで「ノン子」という名前が出てくる。本名と判断するべきだろうが、個人的には園児らしい仇名をつけただけの可能性をわずかに感じる。
*28:605〜606頁。
*29:ただし大全集では「剛田武」という他の本名表記にそろえている。620頁。
*30:619頁。