法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

英和辞典編纂者で言語学者の山岸勝栄氏が、インターネットの愛国情報を信じて朝日新聞を訴えていた

『スーパー・アンカー和英辞典』等の編集で知られる山岸勝栄明海大名誉教授。
その山岸氏が朝日慰安婦報道訴訟における原告のひとりとなり、産経記事に登場していた。
【朝日慰安婦報道訴訟】原告側報告会詳報(2)「本多氏と植村氏を信じて恥ずかしく思う」「今まで教えた数万人にお詫び行脚」(1/2ページ) - 産経ニュース
必ずしも近現代史の専門家ではないが、授業や辞典などで日本の戦争犯罪を事実として教えたこともあったという。


まず、従軍慰安婦にまつわる会見なのに、なぜか山岸氏は百人切り裁判の話をおこなっていた。

 「私が申し上げたのは、法政大の専任講師だったとき、(朝日新聞元記者の)本多勝一氏の英語版の記事を授業に使った(こと)。南京(事件)や、軍部が悪いことをしたという話は、法政大では学生にうけた。それに私ものってしまった」

 「私の父は近衛兵で、父から『お前は日本の軍人を知らない』と言われた。日本の兵隊は、そういう教えられ方をしていないと。『百人斬り』なんかしない。悪い殿様は時代劇にあるように試し斬りはするが、(日本兵は)そういうことはしないと。『なぜお前は分からないのか』と叱られたことがある。(日本兵は)少なくとも、名を惜しむということを覚えている。みんな台湾などで名を残して、侍だった」

 「朝日新聞の記事をまともに受けて(授業を)教えていた。非常勤講師としては色々な大学でも教えた。南京大虐殺はあったという前提で教えていた。入試では天声人語が多く出され、英語はその英語版が出される。それを実によく使っていた」

名誉棄損で朝日新聞等を遺族が訴えた百人斬り裁判において、原告敗訴が2006年に確定したことを山岸氏は知らないのだろうか*1
実は山岸氏はブログを開設しており、2013年3月20日のエントリで下記のように書いていた。
山岸勝榮の日英語サロン : 「政治は検証と反省を」という社説*2

ウェブ上に書かれた“反朝日記事”を同紙は冷静に分析すべきだ。我が家では私が物心付いた頃から朝日新聞を購読して来た。朝日新聞のファンであり、同時に“厳しい読者”の一人でもある。したがって、本多勝一という媚中派記者の総括は何も済んでいないということも知っている。いわゆる「百人切り」で無責任な記事を書き、関係者の名誉を毀損し、日本国民の心を惑わし、その後中国に逃げた東京日日新聞(現・毎日新聞)の記者・浅海一男も、また、いわゆる「従軍慰安婦」で思い出される吉田清治も、同胞日本人への贖罪はほとんど何も済ませていない。

軍人側から記事を書くように持ちかけたことを無視して、なぜ記者を無責任というのだろうか。なぜ遺族敗訴が確定した名誉棄損をもちだすのだろうか。
記者とは無関係に、問題の軍人が学校講演で捕虜惨殺を語ったという証言も、本多勝一記者が1970年代に雑誌上の論争で提示していた*3。さらに百人斬り裁判がきっかけとなり、問題の軍人が捕虜や民間人を惨殺していたという同時代の軍人証言も発掘された*4
インターネットが発達した時代に裁判がおこなわれたこともあり、このようにWEB上で確認できる記事が充実している。「冷静に分析すべき」という山岸氏は、それを自身で実行できているだろうか。
おまけに朝日新聞に対する訴訟の陳述書を読むと、山岸氏は南京大虐殺そのものを否認していた。根拠としてYOUTUBE映像を特定もせず出されても困る。
http://www.asahi-tadasukai.jp/chinjutsu03.pdf

南京大虐殺》なるものの多くが、実際には中国による《捏造》であることをYouTubeの動画や関連書籍等によって知っていたからです。


さて朝日新聞への訴訟にもどるが、冒頭の産経記事によると、山岸氏は下記のように主張していた。

 「本多勝一氏と、植村隆氏が書いたことを信じた私を、本当に恥ずかしく思う。死ぬときぐらいは、身ぎれいにして死にたい」

前述の陳述書では「朝日新聞の、とりわけ本多勝一氏、植村隆氏の記事がもととなって国の内外に広がった実害はあまりにも多大だと思います」とまで主張している。しかし植村氏による従軍慰安婦問題の記名記事は2回だけで、朝日検証でも第三者委検証でも「捏造」はないと結論づけられている。
山岸氏は、たとえば2014年12月25日のブログエントリで『文藝春秋』に掲載された植村手記に反論しているが、自身は挺身隊と慰安婦のちがいを知っていたといった脆弱な理屈ばかり。
http://blog.livedoor.jp/yamakatsuei/archives/52130375.html

私など小学1年生の頃(昭和26年)から、「挺身隊」の何たるかを理解していた。「その固定化された観念にしたがって記事を書いた」などという幼稚な弁解は通らない。

「捏造記者ではない」と断言しているが、「女子挺身隊」と言えば「慰安婦」のことだったという韓国の誤った認識を教養人、大人、新聞記者として植村氏がそのまま踏襲したこと自体が“捏造”と言われても仕方がないだろう。

挺身隊と慰安婦のちがいを理解していたのなら、なぜ山岸氏が「植村隆氏が書いたことを信じた」のか説明してほしい。本当は当時の山岸氏も混同していたのか、混同が致命的な誤りではないことを認識していたのか、それとも他の理由があるのか。
それにその混同は、参照された専門書から他のメディアまで同じようにおこなっていたこともわかっている*5。それでも植村氏や朝日新聞を特定的に批判するならば、特筆できるだけの根拠がいるだろう*6
そもそも、日本軍が慰安婦を組織的に動員していたこと自体は、日本政府*7歴史学*8も認定している。動員において挺身隊という名称をつかっていなかったとだけ訂正して、日本の印象がどれくらい変わるだろうか。詳細な研究がおこなわれること自体への高評価や、挺身隊参加者への二次加害をふせぐ意味などはありうるが、日本の責任が消え去るような性質の訂正にはなるまい。


山岸氏のブログには、植村氏をタイトルで名指しした批判エントリもあるが、その根拠はチャンネル桜YOUTUBE映像だった。
山岸勝榮の日英語サロン : 植村隆さん、「嘘つきは泥棒の始まり」ですよ!

YouTubeの動画はその植村隆記者に言及したものだが、この御仁や本多勝一という御仁には、昔の侍や武人には普通であった「名を惜しむ」ということの意味がよく分かっておられないらしい。

しかも映像を見ると、やはり具体的な批判はほとんどされておらず、植村氏の身辺情報を流すばかり。
さらに朝日に対する訴訟へ参加したことをつたえるエントリでは、末尾でチャンネル桜への支援をもとめる。
山岸勝榮の日英語サロン : 「朝日新聞集団訴訟」第一回口頭弁論に行ってきた。

本ブログをご覧のみなさん、どうか「日本文化チャンネル桜」を応援してください。「桜サポーター(準会員)」なら、無理なく応援できるのではないでしょうか。

京都朝鮮第一初級学校の裁判に言及したエントリでは、在日特権を実在視して、在特会への高評価をおこなっていた。
http://blog.livedoor.jp/yamakatsuei/archives/52106151.html

ヘイトスピーチは「キムチ臭い」、「保健所で処分しろ、犬のほうが賢い」、「朝鮮半島に帰れ」といった言葉に代表されるもののようだが、在特会が訴え続けている“在日特権”の乱用からみれば、そんな言葉などまことに“たわいもない可愛いもの”だ(どこからか、「その言葉で傷付く人たちがいるのだ!」という声が聞こえてきそうだ)。

在特会が戦後の日本人の蒙(もう)を啓(ひら)いてくれていることはもっともっと評価されてよい。心ある日本人は彼らの使う激しい言葉にばかり耳目を奪われてはならない。それでは彼らの“真価”は理解出来ないし、戦後の誤った“認罪意識”から脱することもできないからだ。

在日特権を実在視しつつ在特会を切断処理する人々に比べれば、まだしも山岸氏に一貫性はあるといえるかもしれない。唾棄するしかない一貫性だが。


社会的な地位が高くて英語に通じているというだけでは、視野を広げて人権を重視できる充分条件にはならない。
山岸氏を見ると、それがよくわかる。

*1:http://homepage3.nifty.com/ryo-folklore/intisol/hyakunin3.htm

*2:従軍慰安婦」は原文ではWikipediaの「慰安婦」項目にリンクされている。以降も、山岸氏のブログからの引用において、リンクや文字協調を排する。

*3:http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/shijime.htmと同じもの。朝日文庫『殺す側の論理』191〜194頁。論争での初出は1972年の『諸君!』。

*4:http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm

*5:朝日新聞が従軍慰安婦問題を特集 - 法華狼の日記で「慰安婦と挺身隊の同一視、加害証言として注目された吉田清治著作、実名の被害証言として注目された金学順証言、どれも既存の著作や活動を紹介したものだ。先述の朝日検証でならべられているように、前後して他紙も報じていた」と書いたとおり、朝日検証で具体的に指摘されていた。

*6:既存の誤りを踏襲しただけで「捏造」と呼んでいいならば、山岸氏も「吉田清治が『私の戦争犯罪』(1983)で告白した《慰安婦狩り》はアメリカ合衆国下院121号決議(2007)などの事実認定の際に、“慰安婦強制連行”の有力な証拠として採用された」という主張は「捏造」になる。山岸勝榮の日英語サロン : 目覚めよ、日本人―捏造された“従軍慰安婦”イメージを否定する根拠は2014 とくほう・特報/「慰安婦」裁判も米下院決議も「吉田証言」を根拠にせず/事実ねじ曲げる「河野談話」否定派の迷走等。

*7:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf「各地における慰安所の開設は日本軍の要請によるもの」

*8:「慰安婦」問題に関する日本の歴史学会・歴史教育者団体の声明(16団体) | Fight for Justice 日本軍「慰安婦」―忘却への抵抗・未来の責任