法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

たがいに読みあう頭脳戦を描かない『アルドノア・ゼロ』の残念さ

一応、火星側は貴族趣味の利己主義だから非効率的に動くのは意図的という解釈はできる。
異文明の超技術を入手した側が機体性能にたよって侵略し、技術で劣る地球側が作戦でおぎなって防衛するという構図が守られたら、それなりに面白くなるだろう。
さまざまな能力の敵ロボットを各エピソードで倒していく、というロボットアニメの古典的な展開。それを占領されつつある世界での逃亡劇という新しい構図で描いていることは興味深く楽しんでいる。


ここでまずいのが第2話の序盤だ。地球各地が侵略されていく過程が描かれているのだが、ここだけ火星側と地球側の頭の良さが逆転している。火星側が地球側の通信設備をピンポイントで狙う一方、地球側の指揮官は敵の技術に驚くだけ。通信設備が破壊されたことは主人公達を情報的に孤立させる展開の準備だったと後の話数で明らかになるものの、ここで地球側組織が無謀な攻撃をしかける姿を印象づけてしまった。
第2話の中盤でも、敵機を目前にして地球軍の意見がわれて個別に行動してしまったり、圧倒的な敵機の能力を見ながら正面から戦うだけだったり、操縦を担当していた大人が逃げ出したり、軍組織全体が頭を使っていない。読み違いをしたのではなく、何も考えていないように見える。
結果的に第2話の終盤から第3話にかけて、主人公の少年が頭を使って戦うことが映えたとはいえる。孤立した子供たちだけが必死に頭を使って逃亡するという物語も、それはそれで面白いだろう。
しかし第4話に入って主人公たちと会話して協力する軍人たちは、それなりに頭を使う。逆に新しい敵機は簡単な作戦に引っかかり、ちょっとした打撃でダメージを受けてしまう。第3話と第4話の展開を見ていると、第2話の序盤における地球側の敗北が信じられなくなる。


第2話でテログループの少女だけが助かった不自然さも、テログループが保険をかけるような思考力で動いていれば、必然として助かった描写になったろう。この第4話まで、勝つ側ばかり頭を使って、負ける側は考えなしに動く。まるで制作者が対立する立場の異なる思考を描けないかのように。
比べると、まだ『アルジェヴォルン』は敵味方がたがいに頭を使おうとしている。第4話までの展開を見て、主人公の部隊は荷物をかかえながら撤退を成功させ、敵の追撃部隊は深追いせず決定的な壊滅はまぬがれる。よりによって主役機の操縦者と技術者が最も考えなしに動いていたり、制作現場がスケジュール等の問題をかかえていて*1映像をそれらしく構築できていなかったりして、そう感じられにくいのであって。


ちなみに、頭の良い者同士の戦いを描けなくても、不自然さをごまかす簡単な方法がふたつほどあった。
ひとつは、主人公の周囲だけ無能な敵が集まっている背景を設定すること。たとえば主人公は火星側の重要人物とともに行動していて、敵味方全体でも特異な立場にある。その重要人物を殺させないための隠れた努力として、無能な敵ばかり選ばれたという説明は苦しいなりに可能だろう。そもそも火星側のロボットは超技術を利用した人工知能で動いているとか設定してもいい。
もうひとつは、第2話の前半を無くすこと。個別話数の感想でも第2話の前半は不必要と書いたが、第4話まで物語が進んだ今、いっそう確信している。
『アルドノア・ゼロ』EPISODE.02 地球の一番長い日―Beyond the Horizon― - 法華狼の日記
上層から末端まで無謀なだけの突撃をはっきり描くから、地球側全体が愚かに見える。多様な立場の異なる思考を描く余裕がないなら、そこは削って視聴者の想像にまかせばいい。通信設備が破壊されているのだから、主人公の視点で地球側の全体状況がわからなくても不自然ではない。世界の全体を描こうとすれば、どうしても作者の想像を超えることはできない。

*1:たとえば北久保弘之コンテ演出によるOPは第4話でさしかえられつつも未完成であり、演出意図通りの完成版は第6話くらいからだという。http://ask.fm/LawofGreen/answer/116639376079