法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』

2012年11月に公開された、4部作予定の第3部。特に心動かされることはなかったが、『新劇場版』では最も良かった。
108分だった『破』に対して『Q』は95分と短めで、そのため『巨神兵東京に現る』*1と同時上映だったのだろうか。もっとも『序』も98分なので、大差はないのだが。


これまではTV版のシークエンスを時系列通りに再構成していたが、今回は状況も展開もほとんど新作。しいていえば第24話を長編映画におさまるよう大胆に改変したといったところか。
それなりに主人公の行動が意味をなした前作を台無しにする導入で、『エイリアン3』を思い出す。しかし、わざわざ新規に作った意味が見いだせなかった『序』や、とってつけたような見せ場が不連続におとずれた『破』に比べて、ひとつの映画としてまとまっていた。挿入歌が主張していた『破』に比べて音楽関係に違和感がないことも、まとまってた印象を生んでいる。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 TV版』 - 法華狼の日記

映画としては、見せ場を順番通りに繋いだ構成が相当にいびつ。おそらくTV放映当時の多くが望んでいた展開なのだろうが、もともと当時のTV版に乗り切れていなかった観客としては、最後の盛り上がりにも熱くなりきられない。

対立する組織ふたつを移って、情報が足りないなりに見聞し、主人公なりに決断して決戦に向かうという構成も明確でわかりやすい。主人公にかかわる人物数も抑え目。新登場した人物は多いが、過去にいたキャラクターの変奏だったり、モブを類型で処理したりと、見ていて混乱したり説明がほしくなることはない。


キャラクタードラマとしても、はっきりいって好みではないのだが、素直なつくりなので『序』や『破』より見ていて納得できた。
これまでの『新劇場版』は、あたかも大人が主人公を思いやっているようにTV版から改変されてきた。だが、主人公を死地に追いやっているという物語の根幹が変わらないこともあり、表面をとりつくろっているだけとしか感じられなかった。それが『Q』では主人公をつきはなし、拘束する装置をとりつけ、誰もが説明を後回しにする。
それでいて説明がほしい場面は戦闘中だったりするので、説明されないことが不自然とまでは感じない。顔のある大人がそれぞれ正しいと思うことを行動しているらしいと描かれており、奮闘を語られて主人公の戦いを後押しするだけだった『序』の大人より、むしろ固有の人格が感じられた。
納得させようと主人公に語りかけるのは、対となる少年の渚カヲルだけ。悪魔的な魅力を持つ少年に導かれて、地獄めぐりのように地下へと向かう主人公の気持ちは納得できる。いやむしろ、TV版第24話と同じように主人公が渚カヲルに心ひかれた状況を作りだすため、ストレスをためる展開を序盤から連続させたと考えるべきか。
ただし決戦においての、渚カヲルから最初に指示されたことを主人公が実行する展開は納得しにくい。せっかく戦闘中なのだから、渚カヲルと主人公が会話できない状況になったという描写にしていれば理解できたろう。むろん会話できる状況なのに言葉が通じなくなってしまったというドラマを見せたいのだろうとはわかる。しかし、もともと決戦時の行動と目的が台詞で説明されているだけなので、制止されてなお行動しようとする主人公が感覚的に理解できなかった。


映画らしい絵もまずまず。宇宙、極地、廃墟、地下……広々とした舞台を転々としながら、ちっぽけな主人公がさまよいつづける。メカニックがからまない場面でもハッタリのきいた情景が楽しめる。
はっきりした作画の見せ場がないことは残念だったが、ままエフェクト作画はがんばっていたし、3DCGで描画されたアニメートのタイミングも気持ちいい。


あと、見ていて似ていると思った作品が『エイリアン3』以外にふたつある。『劇場版 BLEACH 地獄編』*2と『交響詩篇エウレカセブン』だ。
前者は地獄めぐりという展開が共通しているので当然だが、後者は意外だった。京田知己監督が『序』に参加していたこともあるし、他にも多くのスタッフが共通しているとはいえ、鳥のような空中艦で世界と対峙する愚連隊だの、操縦席が並列した複座式コクピットだのといった独自のビジュアルイメージが似通っているのは不思議。
もうひとつ、主人公が状況に流されて各勢力をわたりあるく展開に『機動戦士ガンダムUC』を思い出した。しかし、これは同じように作者の都合が見えても、長編映画で1回なら許容できるかな、といった感想。