法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『賢者の孫』はTVアニメ版を見るかぎり、まともに異世界転生チートをしていないことが逆に良くない

異世界に転生した主人公は幼くしてひとりきりになり、伝説的な賢者の老夫婦に育てられる。少年として出会った異世界の少女と恋仲になり、周囲に認められる。
そのような物語の『賢者の孫』はWEB小説から商業書籍化され、2019年にTVアニメ化された。

主人公はジャンルの定番らしく現代日本人としての知識をもち、理科を応用して魔法の威力をあげたりする。
しかし劇中の文化と似た時代の欧州を大きく超えるようには見えない。


むしろ主人公は現代日本人として知識不足のようにも思える。
代表的な描写が、刀身をバネじかけで飛び出させ、柄をつかいまわすアイデアだ。刀身が消耗すれば柄ごと廃棄しなければならない問題をさけるためだだが、わざわざ固定しづらく消耗するバネじかけをつかう意味がわからない。
たとえば日本刀が柄と刀身を目釘で固定していることや、戦場でも研ぎなおしてつかいつづけていたことを主人公は知らないのだろうか。主人公が知識でチートをおこなわない意味がわからない。


TVアニメを見るかぎり、主人公の言動に現代日本人の特有の意識が反映された描写は、友人たちが魔法をつかうために呪文をとなえたり踊るように動くことを「中二病」と呼んで恥ずかしがる場面くらい。
つまり『賢者の孫』をパロディした『チートスレイヤー』*1と同じように、良くも悪くもジャンルを笑いものにする描写だ。せめて異世界人にとっては普通なのだと主人公が認識すれば良いのに、それもなかった。
そもそも無詠唱での魔法がかっこいいという価値観もまた「中二病」と評されうるだろう。それに魔法をつかう動きはアニメーションとして魅力で、ダンスで魔法をつかうコンセプトのアニメがあっても楽しそうだと思えた。


さらに現代日本人と考えるには、主人公の価値観が理解しづらい。
敵対する学友が陰謀によって魔人となったエピソードで、主人公はふりかかる火の粉をはらうように倒すわけだが、そこで仮にも人間を殺した痛みを感じたりしないし、年長者の人格をもつものとして愚かな子供を悲しんだりもしない。
終盤に魔人化して暴虐をはたらく民衆を主人公や学友が倒していくが、やはり扇動された愚者をあわれむことすらしない。もし最初から異世界で育って現代日本人とは異なる死生観の主人公なら、周囲の反応もあわせてそういう文化なのだと納得できたのに。
現代日本人の意識で動いている場面ほど、この主人公は魅力が欠けていく。


異世界転生設定の利点として、現代日本人の視点をとおすことで、設定を読者に説明しやすいこともある。最初から異世界の住民では、異世界現代日本の文化の違いを認識しないし、現代日本の事物で比喩することもできない。
そもそも一般常識をわざわざ声に出して説明する描写は、不自然な説明台詞として低評価されがちだ。わざわざ何かを説明したり質問するならば、周囲と知識のギャップがなければおかしい。
ここで『賢者の孫』の主人公は、幼少期に家族を盗賊に殺されて、老賢者夫婦にひろわれて僻地で育てられ、異世界の一般常識に無知なまま成長した。賢者夫婦と仲の良い「おじさん」「おにいさん」「おねえさん」が国王や騎士たちとは知らないほどに。
つまり主人公が最初から異世界で生まれた子供でも、『賢者の孫』は問題なく異世界設定を説明できるのだ。無知な主人公が恋人や学友に助けられるコメディも、賢者に教えられた魔法で見返すドラマも描けるだろう。
能力を何度も見せつけた主人公の有名な台詞「またオレ何かやっちゃいました?」も、市街や学校の生活でやらかしつづけて周囲に助けてもらった後ならば、増長とは感じさせまい。


他にTVアニメ化された作品で、『八男って、それはないでしょう!』も、わざわざ主人公を異世界転生者に設定しなくても成立しそうに思えた。

主人公は僻地の貴族の貧しい末子として生まれ、その知識や能力の多くは屋敷の図書室で獲得した。やはり転生者という設定がなくても異世界の設定を説明できるつくりだ。
現代日本人の知識は唐突な味噌作りがおこなわれたくらい。それも図書室で異国の食文化を集めていた結果と設定すれば転生設定は不要だろう。
『賢者の孫』も『八男って、それはないでしょう!』も、異世界転生ファンタジーというジャンルが流行だからと、安易に導入につかっただけようにすら思えた。どちらも物語の構造としては最初から最後まで異世界のみが舞台のハイファンタジーが向いている*2
主人公がいわゆるチートをつかえる立場に設定されているなら、きちんと物語で活用してほしい*3


なお、TVアニメ化された範囲を超えれば設定がきちんと活用されて、また違った感想になる可能性もある。異世界転生ファンタジーの導入が段取りに終始して刺激がないことはよくある。
そこで近年は『くまクマ熊ベアー』が第1話で主人公の活躍を前倒しで見せたように、定番の導入展開がつづかないよう工夫した事例もある。必ずしも成功していないことが悩ましいが。

*1:hokke-ookami.hatenablog.com

*2:転生者という設定だけで読者が感情移入しやすくなる可能性もあるが、『賢者の孫』ではむしろ共感の難しさをきわだたせかねない。

*3:ここでいう「活用」は、チートをあえて嫌って捨てるようなドラマもふくまれる。