法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『不許可写真』草森紳一著

同年に亡くなった漫画評論家の文章を収録した、2008年の文春新書。
毎日新聞社のスチール本棚ふたつに保管されていた報道写真群。その多くは、今では毎日フォトバンクから検索することができる。
MAINICHI PhotoBank - 毎日新聞社
「不許可」と「検閲済」と「保留」の三段階にわけられた写真群は、検閲にとおらないと知りつつ写真家が撮影せずにいられなかっただろうものから、兵器や戦場や士官を特定しかねないため修正を指示されたもの、さらに微妙な違いで検閲をくぐりぬけたものまで、分厚いスクラップブックに張りつけられていた。
それを見せられた評論家が、写真表現としての評価をくだしたり、撮影された状況に想像をめぐらせたり、検閲制度に思いをはせたりする。


よく似た題名で毎日新聞社が写真集を出していた記憶があり、どのような関係で出版されたのかと疑問だったが、その写真集『シリーズ20世紀の記憶 不許可写真 毎日新聞秘蔵』が初出と末尾に記載されていた。もともとは関係者がよせる巻末エッセイのような位置づけの原稿だったようだ。
この新書単独で読めば、解説形式の随筆集といったところ。歴史研究らしい部分は、検閲担当側の文章を複数参照した末尾くらい。著者は報道写真や歴史学の専門家というわけではなく、新聞社に呼ばれて一部のスクラップブックに三日間だけ目をとおしたにすぎない。あえて検閲制度の事前調査はせず、先入観なく写真を見た感想がならべられている*1
いずれにせよ評論家の考察を追っていく面白味はあるのだが、後から間違っていたと明かされたりもする。そもそも1998年から1999年にかけて出版された写真集が初出であり、特に大きな追記も見当たらないことから、情報源としては古びていると考えるべきだろう。
もちろん写真も多く収録されており、特に印象的なものが選ばれているものの、紙質こそ良くても新書サイズにすぎず、細部ははっきりとしない。資料的な価値よりも、表現としての評価を重視した書籍ゆえ、一部を拡大するよりも全体の構図を見せることを優先しているのだろう。


多く紹介されるのは、逆光で映った兵士。そうした写真は表現として美しく、細部がつぶれて情報が隠されるので、報道と軍隊それぞれの希望にかなったのではないかと著者は指摘する。
代表的なのが、1937年に撮影された下記写真だ*2

検閲体験を重ねることで、新聞社側はどのような写真が求められているかを理解し、都合のいい写真を撮影するよう国家が新聞社に依託するような状況になる、そう著者は指摘する*3。実際に不許可写真の多くは、戦場の位置や兵器の性能や士官の顔形が意図せずうつりこんでしまっているだけで、特に軍隊や政府を批判するような内容ではない。
そして著者は、報道の精神を守るためには、使われないことを覚悟して撮影し、フィルムを秘匿することだと主張する。漫画が表現として広く認められる以前から評論していた人物らしい言葉だと思う。
そのような意思が当時の写真家にもあったのか、報道されるはずもない慰安所の写真も多く残されている。たとえば慰安所規定を映した写真には、料金とともに「三十分」という時間制限や「排泄」という表現が見られ、兵士にとっても「慰安」からかけはなれた場所であったとわかる*4
また、「検診にむかう到着直後の朝鮮女性」について、にらみつける表情の女性と、口もとを隠しつつも笑う女性が好対照でありつつ、どちらもカメラに気づいているのではないかと著者は推測している。そして後者を、「潜在する女の媚び(美人意識)が、自分たちをねらっているカメラマンを発見するや、憂鬱な気持ちをほうりだして機械的につい出てしまったのかもしれない」と評する。検閲されない写真であっても被写体のありのままが映るわけではないのだ*5


ちなみに著者は1938年の生まれで、直接的な戦争の記憶はないのだが、戦争体験者から聞いた証言もいくつか記述している。
著者が中学生になってから、二十五・六歳のころに開かれた東京オリンピックまで、よく聞かされたという。*6

たいていは、上官にビンタを張られた話である。つづいて多いのは慰安所の話(一里も列を作って兵たちはズボンの上からチンポコを抑えながら順を待って並ぶんだと一般論めかしていうのがパターン)、つぎは強姦の話(中国の女性は貞操が高く、膝をなかなか開くことができなかったそうだと間接的にいうのがパターンである)をずっときかされつづけたような気もする。戦いの話を彼等があまりしなかった。

もっとも、子供を驚かせるために大人が面白がっていうのだという見方を著者はとっている。また、当時の著者が戦記ものをあさって見た記憶として、上官に殴られる場面は売りですらあったが、慰安所の話は少しだけで、日本兵の強姦はまったく出てこず、満州をひきあげる日本女性が強姦された話が出ていたという。公的な表現と、私的な表現とで、戦争の記憶は異なっていたということだろうか。
印象深いのは、学生時代に下宿屋のオヤジの晩酌につきあわされた時に聞いたという、捕虜を標的にした訓練だ*7

ひきだされた捕虜は目隠しされて一本の柱にその胴体をくくられる。手は自由である。これから敵と戦うため、新兵への特訓として銃剣をもって捕虜を刺突させるのである。普通はわら人形だが(戦争末期は、本土決戦にそなえ、銃後の婦人も竹槍で突く練習をさせられた。子供の私もした)、ここでは人間(生き人形)そのものである。わら人形は、突き刺しても血はでない。生き人形は人間を人形に見立てただけの話なので、血を流すだけでなく死ぬ。
 そう思えば、赤紙一枚で引っ張りだされた新米兵士が、わら人形と思って刺せといわれても、中国の捕虜だと分っているわけで、刺せるはずもない。足が動かない。上官の叱声で、目をつむって、闇雲に突進する。相手の腹に剣先が喰いこむ。その時のいやな鈍い感覚は、今でも忘れられないという。剣を抜こうとするが抜けない。目を開くと、うめく捕虜は両手で銃剣の刃をにぎりしめている。向こうこそが抜こうとしている。その指がボロボロと落ちる。

戦争についてオヤジが語ったのは、世話になった四年間で、この時だけ。どこで体験したかは語らなかったらしい。時々まだ夢に見る、と著者にいったという。

*1:18頁。

*2:57頁。画像は毎日フォトバンクからキャプチャしたもの。

*3:22頁。

*4:89頁。

*5:93〜94頁。ただし私からは、フレーム外に存在する別の人物に女性たちの注意が向いているように見える。また、到着直後であることから、慰安所の状況を女性たちが認識していない可能性も高い。写真はhttp://makizushi33.ninja-web.net/に転載されたもの。

*6:96〜97頁。

*7:132頁。