法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

少女が被害者であったという観念を『帝国の慰安婦』が批判するのはいいのだが、慰安婦募集広告の検証が見つからないので困っている

従軍慰安婦問題にかぎらず、少女だけに社会問題を表象させるべきではないという問題提起は、もちろん朴裕河氏よりも昔からあったし、私個人も同意できる。
また、頁数が多い分厚い書籍であることと、どうにも読み進めることが難しい内容なので、見落としている可能性は正直ある。
それを念頭において以下の文章を読んでほしい。


まず、朴裕河氏は既存の学説に言及こそすれど、より有力としてとなえる自説の根拠ははっきりしないものが多い。
たとえば慰安所設営の動機として性病対策に言及しつつ、それは付属的なものであったと主張する*1

性病防止などが慰安所を作った第一の理由に考えられているが、それはむしろ付属的な理由と考えられる。むしろ、戦闘の合間の駐屯地に軍専用に指定するなどして利用していた既存の売春施設の利用方式から一歩進んで、軍が主体的にその供給に出たものと考えるべきだ。

以降、からゆきさんなどの歴史から「同志的関係」を見いだしていく文章が続いていく。しかし、有名な軍医資料「花柳病の積極的予防法」*2にも出てくるような性病対策について、それが付属的な理由であったという論証が見つからない。
もちろん、性病対策も性的慰安も、日本軍の目的としては矛盾せず両立する。しかし致命的な問題ではないとはいえ、朴裕河氏は自説の論証に文字数をつかうが、既存の学説をしりぞけるための論証が甘いように感じられる。そのため既存の関連書籍を読んできた者としては、読み進めようとするたびに引っかかりをおぼえてしまう*3


既存の学説をしりぞける論証の甘さは、少女という表象の否定においても変わらない。
すでに多くの論者から、資料から平均年齢を誤って算出していることや、未成年者の被害が多い証言集から成年者の証言のみ抜粋しているといった問題が指摘されている。
[インタビュー]日本国内の「帝国の慰安婦」礼賛現象は知的衰退の終着点 : 文化 : hankyoreh japan

朴裕河は私が引用した同じ証言集を使っていながら、被害女性の大部分が“10代の少女”だったという全体的な実状を無視し、“20歳以上”という自身の持論に合致する証言だけを選び出すという恣意的で暴力的な情報操作をしている」。金教授は朴教授が言うビルマのミッチーナにいた朝鮮人慰安婦たち(1944年に米軍の捕虜となり米戦時情報局心理作戦班の尋問を受けた)「平均年齢が25歳」は事実でないと話した。 「捕虜になった時、彼女たちの平均年齢は23歳であったし、連行当時は21歳だった。 そして20人のうち12人、すなわち過半数が10代の少女だった」(米戦時情報局心理作戦班「日本人捕虜尋問報告」)。金教授は証言集6冊を検索し捜し出した78人の慰安婦被害者の中に未成年が73人いたという話もした。

しかも『帝国の慰安婦』には、よく知られている慰安婦募集広告も出てくる*4


慰安婦の募集広告 1944年10月27日付「毎日新報」には、「十八歳以上三十歳以内」の身体強健な者「数十名」を「許氏」が、そして1944年7月24日付「京城日報」には「一七歳以上二十三歳まで」を「今井紹介所」が至急募集している。両方とも行く先は軍部隊の慰安と記している。新聞で公募できたということは、「慰安所」という場所が必ずしも現在のようにはイメージされてはいなかったことを示す。

キャプションで推測されているのはイメージについてのみ。この前後の頁では、業者が慰安婦を集めていたということが主張されている。
しかし文章で引用しておきながら、この広告で「十八歳以上」「一七歳以上」のように未成年が下限となっていること、一方の上限も「二十三歳」にとどまることについて、きちんと検証した文章が見つからない。


朴裕河氏は、慰安婦が未成年と知って帰らせた部隊があったという証言などを引いている。しかしそれは現場の良心が発揮された事例であって、組織の責任が問われていることの反例とはいいきれない。
当時の識字率から考えて制限はあったろうが、それでも広告とは多くの人間へ見せるものだ。未成年をふくむ若い女性が募集されたという資料を自身で引用しながら、なぜ年齢の検証において採用しないのか。
どう考えても私が見落としているとしか思えないのだが、インターネットで検索しても朴裕河氏が新聞広告の年齢を検証したという言及が見当たらない。それで困惑している。

*1:31頁。

*2:この資料にも、日本人は成年した売春婦が慰安婦となったが、朝鮮人は未成年の非売春婦が慰安婦となったという記述がある。Ⅲ 調査結果 - 15年戦争資料 @wiki - アットウィキ「コノ時ノ被験者ハ半島婦人八十名、内地婦人二十名余ニシテ、半島人ノ内花柳病ノ疑ヒアル者ハ極メテ少数ナリシモ、内地人ノ大部分ハ現ニ急性症状コソナキモ、甚ダ如何ハシキ者ノミニシテ、年齢モ殆ド二十歳ヲ過ギ中ニハ四十歳ニ、ナリナントスル者アリテ、既往ニ売淫嫁(ママ)業ヲ数年経来シ者ノミナリキ。半島人ノ若年齢且ツ初心ナル者ノ多キト興味アル対象(ママ)ヲ為セリ。ソハ後者ノ内ニハ今次事変ニ際シ応募セシ、未教育補充トモ言フ可キガ交リ居リシ為メナラン」

*3:引っかかりをおぼえる理由は他にもいくつかあるが、それについては別の機会に。

*4:33頁。画像は以前に引用したものを使った。