法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

浅羽祐樹『韓国化する日本、日本化する韓国』巻末の読書案内を読んで、池上彰氏と同じくらいの信頼性と感じた件

まず、以前のエントリで言及した、『帝国の慰安婦』を紹介した文脈の実際について。
従軍慰安婦問題についての浅羽祐樹教授の見解がよくわからない - 法華狼の日記

複数の初歩的な誤認が指摘されていることを浅羽教授は知っているのだろうか。
日本政府は『帝国の慰安婦』における明らかな間違いに訂正を申し入れたりはしないのかな? - 思いつきのメモ帳
「歴史戦」の研究: 「和服・日本髪の朝鮮人慰安婦の写真」とは?/『帝国の慰安婦』私的コメント(1)
「歴史戦」の研究: 『帝国の慰安婦』における「平均年齢25歳」の誤り/『帝国の慰安婦』私的コメント(2)
これらは誤認ではないと判断するのか、それとも誤認に気づきつつも紹介する価値はあると思ったのか。

あくまで疑問に思っただけなのだが、浅羽氏には「著作も論文も読まずにツイートだけで判断するとは…」とツイートされ、コメント欄でもpopper氏に「著作を読めばいいだけでしょ」とコメントされたので、とりあえず下記のように判断した。
浅羽祐樹教授はSYNODOS記事を疑問視されると「著作も論文も読まずにツイートだけで判断するとは」と反応するような人物 - 法華狼の日記

『帝国の慰安婦』の紹介で事実誤認を正確に指摘しているというのは、浅羽教授がやってもおかしくはないなと思ってはいました。だとすると副読本として役立つ有用な情報であり、感謝しております。

しかし結論からいうと、そのような情報量のある書籍紹介ではなかった。


読書案内の解説文は1冊につき2行が基本で、3行つかったものが1冊、詩集2冊をひとまとめに2行紹介しているのみ。それでも鈴置高史氏の著作に「賛否が割れる見方だが、必読」と留保したりしているが*1、『帝国の慰安婦』は事実誤認の指摘などはされていない*2

挺身隊対策問題協議会という事実上の拒否権プレイヤーによって表象=代表されなかった韓国人慰安婦たちの第3の声を届け、行き詰まった事態を解きほぐせるか。

「解きほぐせるか。」とむすんでいるのは、著作そのものよりも影響に注目しようという主張か。しかし朴裕河氏が既存の研究や証言集から「第3の声」を引いていること、その引用や要約に上述のような問題が指摘されていること、その「声」の当事者から問題視された結果が「発売禁止処分」ということ。それらを思うと、表現が慎重さに欠けている印象はある。
読書案内では、留保しつつも評価が甘いところが目につく。たとえば黒田勝弘『韓国 反日感情の正体』などは、「嫌韓」に対する見方は黒田氏の視点としつつ、「喝破した」ことは前提視している*3

「昼は反日、夜は親日」という韓国人の複雑な対日感情を喝破した在韓歴30年を超えるジャーナリストの目には、「嫌韓」は等身大の韓国が理解できていないと映る。

吉田証言報道で朝日新聞に求めたような責任を、浅羽氏自身は専門家として果たすことができるだろうか。


そして驚いたのは、2冊目に紹介されたのが池上彰佐藤優『新・戦争論――僕らのインテリジェンスの磨き方』であり、それが絶賛としか読めないこと*4

ニュースを単なるインフォメーションとしてではなく、交渉や生存を左右するインテリジェンスとして読み解くために、現代の知の巨匠2人による対談に倣/習え。

表現のおおげささもあって、「知の巨匠」という表現をどこまで本気でつかっているのか悩む。池上氏といえば下記エントリでまとめたように、従軍慰安婦問題について事実誤認をひろめていたひとりではないか。
従軍慰安婦報道にまつわる池上彰のバランスとは、事実と虚偽の中間をわたりあるくこと - 法華狼の日記
逆にいえば、たとえば“時流を読む達人”といった表現を浅羽氏がつかったなら理解はできる。私も上記エントリで下記のように結論した。

池上彰氏は、日本政府の半公式的な見解や、歴史学における有力説はもちろん、朝日検証もきちんと押さえていない。おそらく二次情報に依存し、それも産経新聞や読売新聞あたりの虚報を信じてしまっている。
しかし、そうした虚報が広く信じられている現状によりそうことで、苦言をていしているかのようで批判されにくい立場を確保できるのだろう。社会がゆがんでいる時、事実や倫理によりそうことを選ぶと、攻撃の矢面に立ってしまう。

たとえ事実認識や専門性に疑問があっても、ゆらぎつづける日本世論の中央値を示していると考えられなくもない。国際関係をゲームのようにとらえようとする浅羽氏の主張からして、日本陣営の状況を手早く知るために推薦してもおかしくはない。
そこで韓国陣営の見解の参考になるだろう朴槿恵大統領の自伝『絶望は私を鍛え、希望は私を動かす』については、信念部分をカギカッコにくくっており、説明全体も事実関係にしぼっている*5

「約束と信頼」を信念にする現大統領の自叙伝。父も母も暗殺された後、20年近く隠遁生活を続けたが、政界に入り、女性初の大統領になるまでの軌跡を描く。

他の頁を読んでも、浅羽氏の池上氏への評価ははっきりしない。ただ著作をはなれていうと、池上氏が朝日検証に対して検証遅れの検証を求めたのと同時期*6、浅羽氏も同じような批判をしていた。

このことは以前から知っていたが、あらためて浅羽氏は池上氏と同じくらいの信頼性と感じた一因である。もし浅羽氏が池上氏を本当に高評価しているなら、専門家として危ういと思わざるをえない。逐語的に読むならば、そう解釈せざるをえないので困っている。


ついでに、一部で話題になっていたサン=テグジュペリ星の王子さま』だが、これは読書案内の末尾におかれていた*7

異星人同士、王子さまときつねがはじめて仲良くなろうとしたときにとったアプローチが印象的だ。「仲良くなる(apprivoiser)」は韓国語版では「手懐ける」と訳されている。

これについてツイッターでaiko4012氏*8とt_wak氏が問題点を指摘していた。新潮文庫版だけを日本語訳とするのはミスリードではないかと。

手元にある岩波書店版からキツネに質問する場面を引くと、下記のとおり。そもそもキツネとむすばれる関係の多義性がポイントなのだ*9

「ちがう、友だちさがしてるんだよ。〈飼いならす〉って、それ、なんのことだい?」
「よく忘れられてることだがね。〈仲よくなる〉っていうことさ」

かつてTBSの企画で翻訳を募集した時も、このやりとりがどう訳されるかが注目されていた。
http://www.tbs.co.jp/lepetitprince/tr21_comment.html

第21章「王子さまキツネにであう」です.たいへん長い章だったので,応募数はちょっと少なくて37件でしたが,力作が目白押しでした.
まず,やはり apprivoiser がどう訳されているのかに注意が向きますが,予想をはるかに超える多彩な訳語が出そろいました.

Créer des liens のほうも,これに劣らず多彩でした.ここでも,なんとか新しい訳を生み出そうとする意気込みが見られます.

なお、浅羽氏自身はツイッターでlemon_kitune氏に質問していた。このやりとりを読むと、読書案内の末尾につかった意図がわかるような気はする。

しかし、うまいことをいおうとした欲が、良くなかったというところか。もともと原文から多義的であったものを、日本語訳と韓国語訳のちがいと過剰に意味づけてしまったわけだ。


さて、困惑や疑問は読書案内にかぎらない。浅羽氏の文章は、できるだけ多義的に読めそうな表現を多用している。それゆえ、多義的すぎて事実関係が不明瞭なところがあったり、それでも危ういところを断言してしまっていたりする。
たとえば朝日検証の吉田清治証言とりけしが過大視された文脈として、下記のように説明している*10

掲載した吉田証言は虚偽だったとして、記事を30年以上経ってから取り消しました。前代未聞の事態でした。

 吉田証言をめぐる論争は、20年以上続いていました。加害者の国の新聞が常に被害者側に寄り添ってきたのですから、朝日新聞は正直なところ国内で孤立し、メディアとしての信頼性が疑問視されていました。朝日新聞はほかにも虚偽報道や外部執筆者によるコラムの「検閲」などで、各方面から集中攻撃を受けている最中でした。そこにきて吉田証言問題は、決定打となり、大手新聞としての信頼度がガタ落ちした、という流れが見てとれます。

「虚偽報道」は朝日検証ともども社長退任の理由となった吉田調書のこととして、「外部執筆者」とは誰のことだろう。池上彰氏のコラムであれば、朝日検証をとりあげて掲載中止という判断がなされたわけで、時系列から考えて「外部執筆者」ではありえない。同時期にカギカッコつきとはいえ「検閲」と攻撃されるようなことがあっただろうか。
それに吉田証言をめぐる「論争」は1990年代には終わっており、朝日新聞が採用しなくなった時期は他新聞と変わりない。このことは朝日検証でも書かれていたこと。20年以上も続いていたのは、吉田証言否定をもって強制連行を否定できるという一方的な“論難”だった。これが仮に「論争」ではなく「疑問視」という表現ならば、論難をしかけた側やそれを信じた側がいたという事実をつたえる表現となる。だがそうはなっていない。
長くなったので、こうした本文を読んでいて引っかかったところは、次の機会にまとめることにする。

*1:251頁。以降も、特に断りのない頁番号は『韓国化する日本、日本化する韓国』からの引用を示す。

*2:248頁。

*3:252頁。

*4:243頁。原文には「倣/習え」に「なら」のフリガナあり。

*5:246頁。

*6:「(池上彰の新聞ななめ読み)慰安婦報道検証」について - 法華狼の日記で引用した。

*7:252頁。

*8:本題とは関係ないが、言及した機会に書いておくと、木村幹氏のパーソナリティ(それも社会的なスティグマが強固)にaiko4012氏が注目したことがあるのは、たとえ“質問しただけ”であっても誤った態度だろう。それを理由に木村氏が批判から逃れようとしていたわけですらない。質問した相手のsakurainobuhide氏に問題があることはいうにおよばず。https://twitter.com/aiko4012/status/668302669287571456

*9:内藤濯訳、1998年4月7日第66刷改版、90頁。引用時、フリガナを排した。

*10:197〜198頁。