法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

表現や発言に攻撃を加えてきたのは一般人、と主張する漫画家の藤栄道彦氏は、単に権力による攻撃を除外しているだけ

政治家による漫画規制の動きにおいて、政治家の立場を誤認するように漫画の一頁が断片的に流れていることを紹介した。
『アニメ店長』の断片的な描写から、あたかも蓮舫氏が表現規制派のように受容されている違和感 - 法華狼の日記
それに対して、別の私のエントリが誤解や偏見をまねいていると漫画家の藤栄氏がうったえていた。


この人が引用している「法華狼の日記」というのも、そもそも私の漫画の文脈から全く異なる形で引用して、誤解や偏見を招いてるんですけどねえ。
https://hokke-ookami.hatenablog.com/entry/20161025/1477489816

まあ、左巻きの人から見れば私にいい印象を持たれないのは自覚してますけども。


一応反論しとこうかしら。

この後数年間、漫画を始めさまざまな表現や発言に攻撃を加えてきたのは、ポリコレを始め変な思想に凝り固まった一般人です。
「表現を攻撃するのは権力者」というのは単なる思い込みです。

今現在、私が危惧した通りになってます。

もちろん脅迫などによって一般人が表現や発言に攻撃をくわえる事例があることは否定しない*1。そのように読みとれる主張をしたつもりはない。「あいちトリエンナーレ2019」の一角にあった「表現の不自由展・その後」が脅迫を受け、一時的に閉鎖されたことは記憶に新しい。
一方で、「表現の不自由展」が象徴するように表現に対して権力者が攻撃をくわえている問題はいまもつづいている。もともと「表現の不自由展」は公的な展覧会から検閲的に排除された作品を集めた展示だ。それらの作品のいくつかは過去に言及したこともある。
このアートから靖国参拝批判だけ削除させるって、逆に検閲の真意が明らかになるだけだと思うのだが - 法華狼の日記
東京都美術館から政治性をおびているとして作品が撤去された背景について - 法華狼の日記
朝鮮人追悼碑をモチーフにした作品が群馬県立美術館から排除されるという、表現への二重の弾圧 - 法華狼の日記
「あいちトリエンナーレ2019」自体が権力者によっても攻撃され、政府の補助金が不当にうちきられたり*2地域政党の関係者や市長によって知事への不正なリコール運動がおこなわれた。
愛知県知事リコールは、選挙管理委員会が調べた範囲で8割以上の不正が見つかったとのこと - 法華狼の日記
もちろん上記以外の権力によるさまざまな表現への攻撃や制約が見られる。たとえば映画『宮本から君へ』の助成金不交付は裁判にもなっている。
映画「宮本から君へ」の助成金不交付は違法 東京地裁 :朝日新聞デジタル


そしてつづくツイートを読むと、「捏造にもとづく批判や脅迫」による「攻撃」への加担を、植村隆*3が敗訴したことをもって藤栄氏は正当化していた。


「さらに藤栄道彦氏のツイッターを見ると、捏造にもとづく批判や脅迫によって「攻撃」され、大学を追われた人物に対して、どちらかといえば「攻撃」に加担していた。」

これも最高裁まで行って、植松氏の敗訴で終わってます。
残念でしたね。

植村氏が起こした名誉棄損裁判は脅迫の不当性を争ったわけではない。また裁判の過程でも被告側が事実誤認をしていたことも明らかになった。
金学順証言について細部の違いを強調する櫻井よしこ氏が、40円問題について誤認を指摘された時の態度とは - 法華狼の日記
名誉棄損裁判で植村氏が敗訴したことは間違いないが、真実性や真実相当性の認定が「攻撃」をどこまで正当化しうるかは個別に評価しなくてはなるまい。


とはいえ、ここまで読んで、公権力により性器描写が禁じられている現状を藤栄氏が表現の自由の問題として認識できない心情は理解できた。
公権力により性器描写が禁じられていることを、なぜか規制側を嘲笑できる根拠にしている一般漫画家の謎 - 法華狼の日記
藤栄氏と権力といえば、漫画家の原稿を出版社が紛失した告発に対して、出版社側について批判をあびたことがある。弱者と強者が対立した時、強者につきがちな思想をもっているのだろう。
雷句誠が小学館を提訴まとめ
ただし、それは一貫した思想ともいいがたい。名誉棄損裁判で「学問研究の成果というに値しない」*4と認定されたことで悪名高い人物を、2020年に「そこまでトンデモではないと思う」と評価していたこともある。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

そういえば先日聞きそびれてしまいましたが、渋多さん的に東中野修道教授の評価ってどうでしょう?
と学会にボロクソ書かれてたようですが、私そこまでトンデモではないと思うんですが。

もともと兵士の犠牲もふくむ南京大虐殺をテーマにしたドキュメンタリに対して、捕虜虐殺を「タイトルと何の関係もない」と非難するような人物でもある。


NNNのドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」が一部で高評価されているようなので見てみたのですが、あまり特筆すべき部分はありませんでした。前半はタイトルと何の関係もない捕虜の処刑の話。終盤は相変わらず証言のみ。これじゃ今時の保守派は釣れないでしょう。

ここまでくれば、藤栄氏こそ「左巻き」と評されてしかるべき人物だと、私としては皮肉のひとつもいいたくなる。


以降も藤栄氏のツイートはつづいているが、ちくいち反論する価値はないだろう。
ただひとつ、現代の漫画家として見識をあらためるべきだろうツイートについては指摘しておく。


慰安婦像が批判されているのはそもそも事実じゃないからですが、それは置いておきます。
作家として活動始めてから私を攻撃してるのは、あなたたちみたいな反体制お子様リベラルでございます。
私はただ自衛しているだけです。

そして一番大きな問題点がこれ。
当然このコマ無断使用。
まあいいけど。

象徴的な記念碑に対して事実ではないという評価の意味不明さや、先述の原稿紛失で漫画家についた読者を「反体制お子様リベラル」と考えているのだろうか、という疑問はさておいて。
「無断使用」が「一番大きな問題点」と表現しているが、私はエントリにおいてコマの引用元を明らかにしており、漫画を引用する要件を満たしているはずだ。
その要件は過去に『脱ゴーマニズム宣言』という書籍をめぐる裁判で争われ、56もの引用でひとつだけコマの配置を改変したものが同一性保持権の侵害と評価された*5
Vol.105「著作権・裁判例で引用と認められたケース」 | デザインの権利と保護 | JPDAライブラリ
もちろん私のエントリでコマの位置を改変したりはしていない。そうして引用が認められる場合は「無断」でコマを使用しても何の問題もありはしない。つまり藤栄氏こそが引用という表現手法を不当に攻撃しているわけである。
念のため、藤栄氏が判例に不服をのべる自由もある。しかし、ならば植村氏への攻撃もまた裁判の結果だけで正当化するべきではあるまい。

*1:なお、そのような表現への暴力的な攻撃を著書で主張した一般人が、現在は与党自民党から衆議院議員になっている事例もある。 従軍慰安婦問題の記念碑へのテロは今回が初めてではなく、かつて記念碑へのテロを呼びかけた人物が今では与党議員になっているわけで - 法華狼の日記

*2:最終的に交付はされたが減額になった。トリエンナーレの補助金、一部交付へ 文化庁が方針転換:朝日新聞デジタル

*3:「植松」の誤記は原文ママ

*4:地裁段階での表現で、最終的な判決では別の表現に変わっているが、真実性が認められずに敗訴したことにかわりはない。 南京大虐殺生存者が勝訴/東京地裁 “ニセ被害者”は名誉棄損

*5:主張にかかわる致命的な改変ではなかったため、改訂版が出版をつづけている。