先月末に言及した大屋雄裕教授*1が、一年半どころか数日で「デモ」に対する態度が変わってみえたという話。
まずは特定秘密保護法案が強行採決されたことに対する、下記ツイート。
このツイートと一年半前のブログエントリとで、「少数派」への態度が変わっているのではないかと、私が下記エントリで疑問視した。
「少数派の意見や権利を守る」「少数派に意見表明の機会を与えたら淡々と採決すればいい」どっちだよ - 法華狼の日記
それに対する大屋教授の反論が、下記ツイート。
このツイートをふくむ一連の応答に対して、私は下記エントリで応答した。
おちついて返答してほしいところ - 法華狼の日記
結局のところ大屋教授は、「少数派」に対する態度への問いかけから話をそらしただけで終わったと感じた。
そして私はコメント欄で下記のような感想を書いた。
どの建前を採用するのか、法則としては簡単です。ただ現政権の現時点の行動を肯定しているだけ。解散総選挙は将来のことですし、デモを正しいと評価できたのも現政権の評価とは別だと見くびることができるから。事実、秘密保護法案反対デモは最近も行われていましたが、その上で強行採決されたわけですからね。
もちろん憶測にすぎないことは留意したが、そのように大屋教授がふるまっていることもたしかだ。
このように大屋教授は「国会内の動向に不満があるから直接押し寄せるというのは正しい行動」と重ねて主張し、かわりに政権の強行採決を弁護した。
ところが二日後、石破幹事長に対して複数の報道機関が批判的な記事を出した。石破幹事長がブログで、デモとテロが本質において変わりないと主張したためだ。
http://www.asahi.com/articles/TKY201311300290.html
自民党の石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した。表現の自由に基づく街頭での市民の主張をテロと同一視したことは問題になりそうだ。
今も議員会館の外では「特定機密保護法絶対阻止!」を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。
問題の法案が強行採決して終わり、特に解散総選挙をせまられている状態でもないのに、意外とデモの圧力がこたえたらしい。
特定秘密保護法案の対象がテロに限られているという説明に対して、無制限に対象を広げられてしまうのではないかという懸念があった。そうした懸念を、幹事長が自ら裏づけしたといったところか。
さて石破幹事長の発言をうけ、大屋教授は下記のように主張していた。
ほんの数日前、押しかけて圧力をかけるような「デモ」を肯定していたのは何だったのか。さらにいえばデモを許容できるかどうか政府権力が判断すること自体に、さまざまな危険性がある。
ついでにデモ一般を在特会の街宣行為と同列に論じているのも、不見識だろう。そうでないというなら、在特会に対する批判が、どれほどデモという社会運動全般への批判に通じるか、きちんと論じる必要がある。
さらに大屋教授は麻生太郎議員の発言を引きながら、論点を「ウチソトの使い分け」のレベルに落としてみせた。
なるほど、大屋教授にとって政治とは建前と本音の問題だったのだ。在特会にしても麻生発言にしても内実を検証しようとはしない。どうやら最初から真面目に相手をする価値はなかったようだ。