法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「説得や意見表明を離れたデモにテロに似たところがある」という「ど真ん中の左翼」

たしかに左翼の種類によってはテロ行為を否定しないこともあるが。

id:zaikabou氏が昨年に上記のようにツイートしていたのだが、言及されていた大屋雄裕教授*1が下記のようにツイートしていた。

世間的に共感されやすい批判しかおこなってはならないのか?そもそも世間や共感とは何を基準にしているのか?という疑問がぬぐえない。
また、私自身が「はてサ」にふくまれると仮定して、「稲葉振一郎とか、菊池誠とか、大屋雄裕とか、山形浩生」に対して、興味関心が重なる話題でも、批判どころか言及したことがあまりない。ここ一年くらいで大屋教授を何度か批判したことがあるくらい。はてなブックマークで批判されたり、はてなブロガーからよく批判されているのは、メディアとしては産経新聞だろうし、個人としては池田信夫氏あたりではないかと思っている。
なぜzaikabou氏がその四人を選んだのかということを最初に言語化しないと、第三者がまとめることは難しいのではないか。


ただ、これらのツイートへの反応で、北田暁大東京大学准教授*2が下記のようにツイートしていたことには首をかしげた。

あえて議論を呼ぶため極論を立てたり、結論に同意しながらも理路への疑問をのべつづけるだけなら、「変化球が好き」という評価はわからないでもない。
しかし後述するように、特定のデモをテロと同一視する発言に同調しておきながら、後から全てのデモからひとつだけテロと同一視できればいいかのようにすりかえ、立証すべき責任を転嫁するふるまいは「変化球が好き」と評価できないと思う。


まず、大屋教授は特定秘密保護法案の成立に対して、今年2月にSYNODOSで記事を書いていた。
特定秘密保護法と「社会的なるもの」 / 大屋雄裕 / 法哲学 | SYNODOS -シノドス-

以下では、成立時の条文を前提として、特定秘密保護法がなにを定めた法律であり、どのような問題を含んでいるかについて説明したのち、本法案をめぐる議論がしめすものについて述べることにしよう。

このように条文を前提として主張を展開していたのだが、この段階でも疑問がないではない。

本条自体が自衛隊法122条など防衛秘密に関する既存の条文の引き写しに近いものであり、そちらでこれまで問題が起きていないにもかかわらず本条のみを問題にすることはバランスを逸している。

既存の条文で「問題が起きていない」という主張について、下記報道への言及と説明くらいはほしかったところ。
http://www.asahi.com/articles/TKY201312070406.html

3佐は2008年の告発時、調査の関連文書のコピーを証拠として自宅に保管していた。海自はこれを規律違反だと主張。3佐は「正当な目的であり、違反にあたらない」と争う構えだ。内閣府の審査会は今年10月、「不都合な事実を隠蔽しようとする傾向がある」と海自の姿勢を厳しく批判。

とはいえ、ここまでなら大屋教授の主張に大きな異論はなく、わざわざ疑問を発するつもりはなかった。
特に下記のような、考えられる問題点として萎縮の可能性があるという主張は、ほぼ私も同意できる。

それでもなお萎縮する可能性はあるという指摘も事実ではあるが、それが法律の側の問題なのか、ジャーナリストを称する人々の職業意識の問題なのかについては議論が必要だろう。


しかし読み進めていくと、下記のようなくだりがあった。
特定秘密保護法と「社会的なるもの」 / 大屋雄裕 / 法哲学 | SYNODOS -シノドス- | ページ 4

簡単に言えば「何らかの主義主張を他人に強要しようとする活動」がすべてテロリズムに含まれ、たとえばある政党を褒める発言なども拡大解釈すればこれに該当し得るので言論・表現の自由や政治活動の自由が失われるという批判が反対派から多く発信されたのだが、これが「又は」と「若しくは」という接続詞の使い分けと列挙の表記方法というルールを踏まえていないものだった、という問題である。

この文章を読んで「条文を前提として」と大屋教授が限定した理由がわかった。このSYNODOS記事でも言及された下記記事で、条文から解釈すれば「何らかの主義主張を他人に強要しようとする活動」だけではテロリズムあつかいされないという擁護があったのだ。
条文はこう読む ―特定秘密保護法の「テロリズム」をめぐる誤解―(園田寿) - 個人 - Yahoo!ニュース

つまり、本法が「テロリズム」として想定しているのは、(1)殺傷のための活動と(2)破壊のための活動という2類型なのです。

しかし、条文に限定しなければ話は別だ。
この特定秘密保護法をめぐっては、法案を通した自民党の幹事長が「絶叫デモ」に対して本質的にテロリズムと同じと主張したことで知られている。
http://www.asahi.com/articles/TKY201311300290.html

自民党石破茂幹事長は11月29日付の自身のブログで、特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判した。

そして大屋教授も、その見解に一理を認めていた。

大屋教授はこのように石破幹事長発言へ同調しつつ、批判に対して意味あいを少しずつずらしていった。
一連のツイートに対して私が批判したところ*3、もともとの石破幹事長発言からは引き出せないような解釈のもと「一定の正当性がある」と主張した。
認められない人たち - おおやにき

仮に「デモ」に集まった人々が議会の物理的な封鎖によって議決を不可能にすることを目的にしていたり、あるいは多数派議員に暴力を振るうことで恐怖状態に陥れ・少数派の実力行使に抵抗できない状態を実現しようとしているのであれば、それは少なくともデモクラシーに反する行為であるし、後者に至ってはテロルそのものだということになろう。その意味で、説得や意見表明を離れたデモにテロに似たところがあるという石破幹事長発言には一定の正当性があるということになる。

最終的には、下記のように石破幹事長発言から遠く離れていった。
リアリズムと陰謀論(3・完) - おおやにき*4

絶叫デモとテロの関係について何を言われたかということが法華狼氏はまだ一向にわかっていないらしいので、その点のみ一言する。要するに、「すべてのカラスは黒い」という全称命題を否定するためには黒くないカラスをとにかく一羽見つけてくればよい。

これに対しては、当時に応答エントリをあげた。
政府権力がデモをテロとみなす危険性が理解できない人 - 法華狼の日記


このSYNODOS記事において、大屋教授は石破発言はもちろん、自身の同調発言にもふれてはいない。かつて絶叫戦術という主観評価だけでテロリズムにふくまれるという主張に同調した法哲学者が、条文だけを読めばその危険性はないと解説している。
そう解説した記事の結論で反対派全体を批判するような態度は、あまりに公平を欠いているように思われる。

今回の騒動では、国家による秘密の保護という考え方自体に反対し・個々人の自由な自己決定を通じた近代的統治を実現しようと主張する側こそが、政治的勝利を求めて真実からほど遠い「ホラーストーリー」を流布させてしまった。反対派の行動それ自体が反対派の主張に反する行動になっているという意味において、それは思想的敗北ないし自己崩壊にほかならない。

その「真実からほど遠い」という「ホラーストーリー」を、法案を通した側の幹事長がなぞってみせ、大屋教授は同調してみせた。そうした過去を大屋教授は切断してSYNODOS記事を書いた。
これが私には一番の「ホラーストーリー」だと思えるし、「思想的敗北ないし自己崩壊にほかならない」という評価は大屋教授自身にも当てはまるだろう。
このようなふるまいが「ど真ん中の左翼」というのであれば、私は左翼になりたくはない。

*1:ツイッターアカウントは[twitter:@takehiroohya]。

*2:ツイッターアカウントは[twitter:@a_kitada]。

*3:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20131202/1385998453

*4:太字強調引用ママ。