2024年4月から1クール放送された3期。監督は原作キャラクターデザイン協力をつづけながらアニメでもTVアニメ第1期からメインスタッフとして参加しているアニメーターのジミー・ストーンに交代。
2014年のTVアニメ第1期は、おそらくは原作に由来する社会観がひどくて、アニメーションにおいても面白味の少ない残念な作品だった。特に難民のねじれた位置づけは悪い意味で印象に残っている。
難民に裏があるアニメを、みんなもう忘れたのだろうか - 法華狼の日記
より現代の気分を反映した作品として、WEB小説を原作とするTVアニメ『魔法科高校の劣等生』もある。そのクライマックスが、密入国者の暗躍と横浜中華街で始まるテロを描いた「横浜騒乱編」だ。
アニメ『魔法科高校の劣等生』
それも日本への亡命を手助けするはずのブローカー*1が亡命元の大国と手を組んで騒乱をひきおこしたという展開で、hokusyu氏のいう内容に近い。
しかしつづいて制作されたアニメオリジナルストーリーの劇場版と、時系列を前後して原作を映像化した2期「来訪者編」は対抗勢力が米国となり、1期と違ってそれなりに戦闘が拮抗したり、敵対者にも最低限の敬意がはらわれるようになった。おかげで最終的に主人公が圧勝することは変わらないにしてもB級アクションとしては楽しめた。劇場版のクライマックスで主人公のおこなう「伝説」が、ちゃんとアニメとしてハッタリのきいた絵になっていたことも良かった。
しかしこの3期は先述のブローカーを排除すべき目標に設定することで、1期と同じダメさにもどってしまった。敵対者を小物としてふるまわせるようになり、排外主義につながるような黒幕を設定。対する主人公の策略の非論理性を誰も反論せず正論のように素通りされてしまい、おこなうイベントも絵として地味でアニメとして面白味がない。良くなったのは話数が半分の1クールになったので絵にならない主人公側の圧勝を省略できているところくらい。
象徴的にひどいのが学校を舞台とした第3話で、懇意のマスコミをひきつれて学校に介入するのが野党というのが現実の現代日本とは異なる世界と解するとしても*1、学校で子供を洗脳して軍事開発しているという疑惑への反論が成立していない。平和利用可能な技術を開発してみせるイベントは、どう考えても軍事転用可能な技術を開発していない証明になるわけがない。
イベントで開発した技術は直接的な兵器として転用するには煩雑すぎるという反論はいいが、それだけでは軍事力にむすびつかない証明としては弱いし*2、その開発力をもって別個の軍事技術を開発しているという疑惑はふせげない。
軍事研究は詳細が公表されず一国家が秘匿することで世界的には技術の停滞をまねくという問題意識もない。その技術をどのような論文で公表するのか、権利を守りつつ世界の共有財産とするため特許の取得などは考えているのか、そうした質問にていねいに答えたなら、もう少しリアリティがあったのだが。
ここで驚くのが、まさに主人公が技術開発して実行した軍事行動について、関連づけるマスコミの質問が理不尽な見当違いであるかのように演出していること。思いこみの難癖が結果として正解にかすっていたという皮肉ならば面白いが、そういう描写になっていない。技術をどのように運用するか方向づける人権教育についてふみこんだ質問もまったくない。人権の観点から主人公に対立しているはずの敵対者が、なぜか最初から最後まで技術開発という主人公が一方的に設定した土俵で争って終わる。
開発技術の絵面としても、巨大な透明の球体殻の内部で反応して光ったり、そこに重機で注水するくらいの地味さ。フェティッシュな機械の描写が楽しめるわけでも、エフェクト作画が炸裂するわけでもない。
第4話は同じ場所で似たルールの試合が3回あり、この作品の短所が見えてくる。1回目は拮抗していても棒立ちエフェクト合戦気味でつまらないし勝敗をわける判定も主人公の裁量で格差を表現する土台でしかない。2回目は一方的な戦闘となり、小物としてふるまう弱者を涼しい顔で見くだす決着を主人公ではないキャラクターもやってしまう。3回目はようやく拮抗して動きまわる戦闘になり、アニメ表現として楽しいものになったが、攻撃をあえて後退することでいなす描写など古典的なパターンが多く、結局作品独自の設定で面白い戦闘描写は作れないのではないかと思ってしまった。
第5話から第8話の「スティープルチェース編」も中国モデルとおぼしき敵国の介入と、抵抗する自国の策謀を描いて、作品の世界観がむきだしになっている。兵器開発の隠された動機として子供の魔法士を戦争に参加させたくない私的な感情があったのに、それをも否定したところがこの作品らしいというか。
ただ国益至上主義を一般的な道徳のように位置づけ、主人公の至上命題を兄妹の愛情におく作品においては、基本的に日本国内の派閥争いに終始するため、前後のエピソードと比べれば拮抗した戦闘が楽しめるところはあった。主人公兄妹の最終的な圧勝は約束されているとしても、それなりに伏線もきいているし、主人公以外の策士がそれぞれの立場で策に溺れていくところは『ゴルゴ13』的な面白味がないでもない。
いっそ作品全体も、主人公の動機を妹を守ることだけに徹底して、せまい視野で他者を論評する描写をなくせば、ただ強いだけのキャラクターにひっかきまわされる群像劇として面白くなりうるかもしれない、と感じた。
そして第8話以降の「古都内乱編」は中国モデルの敵国からの亡命者と、それを受けいれ利用することで逆に弱みを握られた国内の対立勢力との戦いになるわけだが……1期でも最大の疑問のひとつだった、敵国からの亡命者が敵国の内通者としてあつかわれることに、あいかわらずエクスキューズがない。敵国からの亡命者を受けいれることは一般的に敵国への打撃になるという観点がないので、今回は一般的ではないという段取りが描かれない。
1期の時点では陰謀論のバリエーションではあると思ったが、3期までくると留保すら不要の正面からの排外主義に感じられてくる。これならば現実に難民を拒否する動機としてよく語られる負担への拒否や弱者への蔑視がまだマシだ。
第11話で国内の対立勢力の一部が主人公に協力するが、その動機が国益というところに異様な一貫性がある。亡命者の受けいれそのものが仲間についていけない理由として語られるわけだが、攻撃的な対立者だけでなく主人公陣営まで人道や人権への留意がいっさいない。排外主義者が外国の排外主義者と同調するパラドックスがある現実のほうがまだマシだとすら思えてしまった。
主人公陣営の関係者が実は敵を利用していた関係者でもあり、主人公陣営に秘密がもれないよう口封じをかねて自死攻撃までしてとりにがし、しかしその攻撃を伏線として主人公が敵を倒して結末をむかえたわけだが……そこで死んだ関係者の無念を主人公が晴らしたという台詞が雇用関係者から出てきたのをどうとらえるべきか悩む。一応、台詞を発した雇用関係者はすべてを知らないようではあるが、あまりよくない事情が背景にあることは知っていたはずだ。登場人物が意図していない皮肉にしても、外国人を利用して殺そうとした日本人が利用された外国人より同情すべき対象であるとは思いがたい。
3期を見ながら、ウイグル出身の自民党議員でありながら、インターネットの保守層から差別的な嫌悪や陰謀論がぶつけられつづけている英利アルフィヤ氏を思い出さずにいられなかった。
*1:たとえば都立養護学校へ乗りこみ教育を阻害したのは与党自民党議員である。 東京都教育委員会の都立七生養護学校の性教育に対する処分に関連する警告書要約版|東京弁護士会
*2:たとえば北朝鮮が人工衛星をうちあげるロケットのために導入した液体燃料は、発射の準備に時間がかかるため弾道ミサイルなどへの転用はおこないづらいが、それでも国際的に開発が禁じられている。 韓国 “ロシアがさらに積極支援か” 北朝鮮 軍事衛星打ち上げ | NHK | 北朝鮮 ミサイル