法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

『カールじいさんの空飛ぶ家』

時代の波に取り残され、住んでいる一軒家から追い出されそうな老人。亡くした妻と共有していた冒険心を呼び起こされ、家に無数の風船をくくりつけて空の旅に出発する。その目的地は、かつて憧れた冒険家が消息をたった、南米にある巨大な滝。
2009年のピクサー映画。いつものように3DCGで制作され、ピクサー初の3D映画として公開された。


途中から話運びが混乱しはじめて、結局のところ何を語りたかったのかわからない。
憧れの英雄を追いかけたかったのか? 妻の願いをかなえたかったのか? 空を飛びたかったのか? 日常の素晴らしさをうたいたかっただけなのか?


失墜した英雄の現状を見せて、対立した主人公が本当の冒険心を受けつぐかと思えば、小さな日常に回帰して終わる。
失墜した英雄は狂的な小物でしかなく、魅力がない。正面から戦って、ためらわず決着をつけてしまう。『クレヨンしんちゃん』のオトナ帝国と比べて安っぽすぎる。『Mr.インクレディブル』もこの作品と同じく悪役像が好みではなかったが、主人公が手をさしのべようとする一瞬があった。
かといって英雄が全て空虚な幻想だったかというと、そこまで思い切りが良くもない。たとえば『劇場版NARUTO−ナルト− 疾風伝 絆』の、裏切られてなお英雄にこがれた気持ちは本当だと確認する熱さは、この作品にはない。


「空飛ぶ家」という中心的なモチーフは、途中から家を移動することだけが目的となり、やがては物語展開の障害物でしかなくなる。同じように崩れながら住居が移動した『ハウルの動く城』が障害物になることがなかったことと比べて、見ていて爽快感がない。
しかも目的地にいったんたどりつきながら、英雄を倒すためにいったん空を飛んで、戦った後に目的地へ戻る。英雄を倒すためだけなら家ごと飛ぶ必要は存在しない。


英雄失墜物の要素が、この映画に必要だったとは思えない。妻とすごした日々の豊かさを描きたかったなら、冒険を続けながら過去をふりかえっていくという展開にすれば充分だったろう。この場合、主人公こそが鳥を捕まえようとして失敗を続け、やがて妻の望みと乖離していたことに気づく、といった展開にしてもいい。
どうしても敵と戦う展開にしたいなら、たとえば英雄は飛行船内でとっくに死亡していて、その遺言を犬が忠実に守ろうとした結果として後半以降の展開になったと描けば、少しは納得できたかもしれない。小ネタでしかない命令装置の故障も、そのせいでリーダー犬が意図したより配下の犬が攻撃的に行動したという真相に繋げられる。


映像にしても、奥行きある3DCGで立体的な情景や戦闘を描くための、カラフルな大量風船で家を浮かべるという企画が良かっただけ。予告編から想像した以上の面白味が存在しない。